慈悲の瞑想フルバージョン
- 私は幸せでありますように
- 私は幸せでありますように。
- 私の心に現れる悩み、苦しみが
徐々に消えていきますように。 - 怒り、嫉妬、憎しみの感情は
人の心を苦しめます。 - 苦しみである怒り、嫉妬、憎しみが、
私の心に起こりませんように。 - 怒り、嫉妬、憎しみの妄想を
育てないように努めます。 - 私の思考が
慈しみの思考になりますように。 - 私は「物事が常に変化して
消え去るものである」と観察します。 - 私は過ぎ去った出来事に
囚われないように精進します。 - 私は将来のことに執着して悩まない、
不安にならない人間になります。 - 私は今ここで、
するべきことに集中します。
- 私に、他者に対する慈しみの
気持ちが現れますように - 私に、他者に対する慈しみの
気持ちが現れますように。 - 他者に対して、優しい心で
対応することができますように。 - 私のこころに、他を差別する
気持ちが現れませんように。 - 苦しい状況に遭遇しても、
忍耐することができますように。 - 私のこころが、
常に平安でありますように。 - 私のこころの汚れが、
徐々になくなりますように。 - 私に、ありのままの事実を
発見することができますように。 - 私に、真理を発見する智慧が
現れますように。 - 私に、一切の現象に対する
愛着がなくなりますように。 - 私に、悟りの光が現れますように。
- 全ての生命は兄弟
- 私は、全ての生命が
私の兄弟であると思えるように
精進します。 - 私は、全ての生命と私が
平等であると思えるように
精進します。 - 私は、全ての生命の
幸福と繁栄を期待します。 - 私は、生命の間で
調和が保たれるように精進します。
- 私は、釈尊の言葉を念じます
- 私は、釈尊の言葉を念じます。
- 無始なる輪廻のなかで、
私の母でなかった生命はいません。 - 無始なる輪廻のなかで、
私の父でなかった生命はいません。 - 無始なる輪廻のなかで、
私の兄弟でなかった生命はいません。 - 無始なる輪廻のなかで、
私の子供でなかった生命はいません。 - 無始なる輪廻のなかで、
私の友人でなかった生命はいません。 - 釈尊の戒めを
尊 んで、一切の生命に
慈しみの気持ちを抱きます。 - すべての生命は私自身の
父・母であると思います。 - すべての生命は私自身の
兄弟であると思います。 - すべての生命は私自身の
子供であると思います。 - すべての生命は私自身の
友人であると思います。 - すべての生命は私自身の
家族であると思います。 - すべての生命は
幸福でありますように。
- こころは空気のように
- 空気と空気が何の対立もなく
一体になるように、
私の慈しみの気持ちが、
全ての生命のこころと
一体になりますように。 - 水と水が何の対立もなく
一体になるように、
私の慈しみの気持ちが、
全ての生命のこころと
一体になりますように。 - 太陽の光が、
地球の隅から隅まで照らすように、
私の慈しみの光が、
全ての生命のこころを
さまたげ無く照らせるように、
制限無く、慈しみを育 みます。 - 東・西・南・北・上・下という
六方に住む生命に対して、
無限に、とどまること無く、
慈しみを育みます。
- 心は大地のように
- 大地は、如何なる
清らかなものを捨てても、
如何なる不浄なものを捨てても、
喜ぶことも嫌がることもありません。 - 私も、他の生命の
賞賛・非難などを受ける時は、
大地のようなこころを保ちます。 - 生きとし生けるものが
幸せでありますように。
- 皆、業を相続します
- 全ての生命は、
自分の業を相続します。 - 自分の業に管理されて生きています。
- 各生命が受ける幸不幸は、
その生命の業の力によるものです。 - ですから、私は
私より豊かな人を見るたびに、 - 過去に善行為をした人であると思い、
喜びを感じます。 - 私より不幸に思える人を見ると、
- 生命は無明のせいで
罪を犯すのだと理解し、
自分が罪を犯さないようにと
気をつけます。 - 不幸に陥っている生命に対して、
憐れみの気持ちを抱きます。 - 協力する、助ける気持ちを起こします。
- エゴの錯覚
- 「私は他より優れている」
と感じることは高慢です。 - 「私は他と同等だ」
と思うことは同等慢です。 - 「私は他より卑しい存在である」
と思うことは卑下慢です。 - 慢とは、私のエゴの錯覚から
起こるものです。 - 私は、エゴの錯覚が
こころに現れないように、
と精進します。 - 私は、慢により現れる
対立・悩み・争いから
離れるように、と精進します。
- 苦しむ世界で苦しみなく
- 世界は欲によって
苦しんでいることを観察して、
私は欲を控えることに精進します。 - 世界は怒りによって
苦しんでいることを観察して、
怒りのないこころで生きるように
精進します。 - 世界は嫉妬によって
苦しんでいることを観察して、
嫉妬のない心で生きるように
精進します。 - 世界は恨みによって
苦しんでいることを観察して、
恨みのない心で生きるように
精進します。 - 世界は物惜しみによって
苦しんでいることを観察して、
物惜しみのない心で生きるように
精進します。 - 世界は自我を張るから
苦しんでいることを観察して、
自我を張らない心で生きるように
精進します。 - 世界は見栄を張るから
苦しんでいることを観察して、
見栄を張らない心で生きるように
精進します。 - 世界は一切の現象は無常であると
気づかないので苦しんでいることを
観察して、
一切の現象は無常であると
認めて生きるように精進します。 - 世界は一切の現象は苦であると
気づかないので苦しんでいることを
観察して、
一切の現象は苦であると
認めて生きるように精進します。 - 世界は一切の現象は無我であると
気づかないので苦しんでいることを
観察して、
一切の現象は無我であると
認めて生きるように精進します。 - 私のこころに
悩みが起こりませんように。 - 私のこころに
苦しみが起こりませんように。 - 私のこころは
平安でありますように。 - 私のこころに
安らぎが現れますように。 - 私に悟りの光が
現れますように。
- Khantī paramaṃ tapo titikkhā
- カンティー パラマン
タポー ティティッカー - 忍耐と堪忍は最高の修行であります。
- Nibbānaṃ paramaṃ sukhaṃ
- ニッバーナン パラマン スカン
- 涅槃は究極の幸福であります。
- 慈しみの拡大
- 私の上の方向に住んでいる
全ての生命、 - 私の下の方向に住んでいる
全ての生命、 - 私の前の方向に住んでいる
全ての生命、 - 私の右の方向に住んでいる
全ての生命、 - 私の後ろの方向に住んでいる
全ての生命、 - 私の左の方向に住んでいる
全ての生命、 - 全ての方向に住んでいる
全ての生命は、 - 幸福でありますように。
安穏でありますように。 - 怒り、憎しみ、恨みから
自由になりますように。 - 互いに慈悲喜捨の気持ちで
接しあえますように。 - 願いごとが叶えられますように。
- 心の汚れが徐々になくなりますように。
- すべての生命に、苦しみを
乗り越えることができますように。
音声ファイル(16.5MB)
釈迦牟尼仏陀の世界聖なるこころを体験しましょう
アルボムッレ・スマナサーラ長老
解説
「慈悲の実践」のフルバージョンを紹介します。いままで皆様がたが実践してきた慈悲の瞑想は、慈悲喜捨の気持ちを凝縮した省略バージョンです。それは誰にでも簡単に暗記できる「慈悲の携帯バージョン」です。慈しみの実践をするたびに、こころがその影響を受けて、変わっていかなくてはいけないのです。慈悲の実践は、人間を優れた人格者に育てるための方法なのです。慈悲の省略バージョンを実践することで、人格が変わって幸福になった人々はたくさんいるようです。同時に、慈悲の実践のインパクトを感じていない方々もいるのです。
そこで、こころに確実に影響を与えることを狙って、慈悲の実践のフルバージョンを作成してみたのです。経典でお釈迦さまが慈悲について語られているところを沢山参考にしたのです。パーリ語のフレーズは、直訳してみてもうまく通じないところも出てきます。そのような箇所を日本語で通じるように編集しなくてはいけないのです。そこは私の能力が及ばないところなので、自信はありません。何とかまとめられた、という気持ちです。これから皆様の意見も聞いて、さらに文章を編集したいと思っているのです。
慈悲の気持ちを経験してほしいのです。体感してほしいのです。こころにインパクトを与えて、こころを変えてほしいのです。こころは洗脳しやすい、脆いものです。人間のこころは貪瞋痴で汚れているのです。我々のこころは世間の貪瞋痴のこころによって洗脳されているので、たいへん不幸な人生を過ごさなくてはいけなくなっているのです。慈悲の実践で完全に清らかなこころを育てるのです。世間の波に左右されない、汚れたこころで、迷信で、脅迫で洗脳されない、安定したこころを育てるのです。こころを治せば、人生は奇跡的に変わります。人生における本物の奇跡とは、慈悲です。それを体感してみると、「慈悲は奇跡だ」と各自で発見するに違いありません。
ここで紹介する文章を自分のこころで感じながら、念じてみてください。自分の好きな節にあわせて唱えてみてください。これは慈悲のフルバージョンなので、すべてを唱えるために時間がかかるかもしれません。唱えている最中、自分のこころで感じやすいセットを見つけたならば、繰り返し三回くらい唱えてみてください。すべての言葉を三回唱えることを考えると、時間がかかるかもしれませんが、しっかりと慈悲の瞑想をしたことにはなります。
忙しいときは、自分の気に入ったセット一つ二つを選んで、唱えることもよいのです。何日か実践してみると、自分が一番気にいるフレーズが見つかるのです。それが自分専用の慈悲の瞑想になります。
ヴィパッサナー実践以外の瞑想は、基本的に何かのフレーズを唱えることで成り立つのです。このフレーズが自分の性格に合わない場合は、瞑想は進みません。自分特有の慈悲の瞑想を発見したら、それをしっかりと、こころに携帯してください。自分のモットーにしてください。毎日、幸福に生きられるようになります。予測できなかった出来事に遭遇しても、ものの見事に正しく対応できるようになります。怒り・嫉妬・落ち込みなどの感情が消えて、微笑んで生きられるようになります。自我の錯覚がじわじわと消えてゆくことを経験できます。ブッダの説かれた世界は、幸福に満たされた世界であることを発見します。