勝利の経 Vijaya suttaṃ (Sutta nipāta I_11)
- 193.
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- Caraṃ vā yadi vā tiṭṭhaṃ, nisinno uda vā sayaṃ;
- チャラン ワー ヤディ ワー ティッタン ニスィンノー ウダ ワー サヤン
- Sammiñjeti pasāreti, esā kāyassa iñjanā.
- サンミンジェーティ パサーレーティ エーサー カーヤッサ インジャナー
- 歩く、立つ、座る、横たわる、伸ばす、縮む。身体の動きはこれだけです。
- 194.
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- Aṭṭhīnahārusaṃyutto, tacamaṃsāvalepano;
- アッティーナハールサンユットー タチャマンサーワレーパノー
- Chaviyā kāyo paṭicchanno, yathābhūtaṃ na dissati.
- チャヴィヤー カーヨー パティッチャンノー ヤターブータン ナ ディッサティ
- (この身体は)骨と腱で組み立て、肉と皮膚で舗装されている。
皮膚に隠れているのでありのままには観られない。
- 195.
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- Antapūro udarapūro, yakapeḷassa vatthino;
- アンタプーロー ウダラプーロー ヤカペーラッサ ワッティノー
- Hadayassa papphāsassa, vakkassa pihakassa ca.
- ハダヤッサ パッパーサッサ ワッカッサ ピハカッサ チャ
- 身体は腸に充ち、胃に充ち、また、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓があります。
- 196.
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- Siṅghāṇikāya kheḷassa, sedassa medassa ca;
- スィンガーニカーヤ ケーラッサ セーダッサ メーダッサ チャ
- Lohitassa lasikāya, pittassa ca vasāya ca.
- ローヒタッサ ラスィカーヤ ピッタッサ チャ ワサーヤ チャ
- (この身体には)鼻汁・唾液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
- 197.
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- Athassa navahi sotehi , asucī savati sabbadā;
- アタッサ ナワヒ ソーテーヒ アスチー サワティ サッバダー
- Akkhimhā akkhigūthako, kaṇṇamhā kaṇṇagūthako.
- アッキンハー アッキグータコー カンナンハー カンナグータコー
- またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。目からは目やに、耳からは耳垢、
- 198.
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- Siṅghāṇikā ca nāsato, mukhena vamatekadā;
- スィンガーニカー チャ ナーサトー ムケーナ ワマテーカダー
- Pittaṃ semhañca vamati, kāyamhā sedajallikā.
- ピッタン セムハンチャ ワマティ カーヤンハー セーダジャッリカー
- 鼻からは鼻汁が出る。口からはあるときは(食べたものを)吐く。
またあるときは胆汁を、あるときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
- 199.
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- Athassa susiraṃ sīsaṃ, matthaluṅgassa pūritaṃ;
- アタッサ ススィラン スィーサン マッタルンガッサ プーリタン
- Subhato naṃ maññati, bālo avijjāya purakkhato.
- スバトー ナン マンニャティ バーロー アヴィッジャーヤ プラッカトー
- またその頭蓋骨の空室は脳髄に充ちている。
しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
- 200.
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- Yadā ca so mato seti, uddhumāto vinīlako;
- ヤダー チャ ソー マトー セーティ ウッドゥマートー ヴィニーラコー
- Apaviddho susānasmiṃ, anapekkhā honti ñātayo.
- アパヴィッドー スサーナスミン アナペッカー ホンティ ニャータヨー
- また身体が死んで横たわるとき、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられる。
親族もこれを顧みない。
- 201.
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- Khādanti naṃ supānā ca, sigālā ca vakā kimī;
- カーダンティ ナン スパーナー チャ スィガーラー チャ ワカー キミー
- Kākā gijjhā ca khādanti, ye caññe santi pāṇayo.
- カーカー ギッジャー チャ カーダンティ イェー チャンニェー サンティ パーナヨー
- 犬や野や狐こや狼や虫類がこれを喰らい、烏や鷲やその他の生き物がこれを啄ばむ。
- 202.
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- Sutvāna buddhavacanaṃ, bhikkhu paññāṇavā idha;
- ストゥワーナ ブッダワチャナン ビック パンニャーナワー イダ
- So kho naṃ parijānāti, yathābhūtam hi passati.
- ソー コー ナン パリジャーナーティ ヤターブータン ヒ パッサティ
- ブッダのことばを聞いて、智慧ある修行者は、この(身体の)ことを完全に了解する。
あるがままにのみ観る。
- 203.
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- Yathā idaṃ tathā etaṃ, yathā etaṃ tathā idaṃ;
- ヤター イダン タター エータン ヤター エータン タター イダン
- Ajjhattañ ca bahiddhā ca, kāye chandaṃ virājaye.
- アッジャッタン チャ バヒッダー チャ カーイェー チャンダン ヴィラージャイェー
- 〈かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう〉と、自分の身体に対する欲をも、他人の身体に対する欲をも、離れるべきである
- 204.
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- Chandarāgaviratto so, bhikkhu paññāṇavā idha;
- チャンダラーガヴィラットー ソー ビック パンニャーナワー イダ
- Ajjhagā amataṃ santiṃ, nibbāna padamaccutaṃ.
- アッジャガー アマタン サンティン ニッバーナ パダマッチュタン
- 愛欲を離れた智慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニッバーナ(涅槃)という最高の境地に達した。
- 205.
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- Dipādakoyaṃ asuci, duggandho parihīrati;
- ディパーダコーヤン アスチ ドゥッガンドー パリヒーラティ
- Nānākuṇapa paripūro, vissavanto tato tato.
- ナーナークナパ パリプーロー ヴィッサワントー タトー タトー
- 不浄で、悪臭を放つ、この身体を人間が守っている。
種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。
- 206.
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- Etādisena kāyena, yo maññe uṇṇametave;
- エーターディセーナ カーイェーナ ヨー マンニェー ウンナメータヴェー
- Paraṃ vā avajāneyya, kimaññatra adassanāti.
- パラン ワー アワジャーネッヤ キマンニャトゥラ アダッサナーティ
- このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは〈観る能力が無い〉という以外の何だろう。
勝利の経 自分の身体をあまりにも可愛がると修行が後退することになります。身体を気にすることは執着です。執着を捨てるための実践を成功させるには「ありのままの身体を観察する」のです。お釈迦様の時代では修行者たちがこの経典を日夜唱えて、「身体のことが気になって修行に励めない」という心のわだかまりを解いたのです。解脱を体験しようとする戦いで勝利を得るための経典です。
音声ファイル