13.もうひとつの生き方 I 2
頼りになるのは覚者だけ
先月は「悟り」とはどういうものかを、サーリプッタ尊者の言葉から見てきました。
少しふり返ってみますと、先月のお話の中で、智慧もサマーディも悟りではないという話がありましたが、だからといって、智慧なしに、サマーディなしに、悟りがあるかというとそれは違う。智慧とサマーディによってものごとがありのまま見える。ありのまま見える人が解脱を達成できる。智慧もサマーディも、ありのまま見るための「道具」だということなのです。解脱に到達するためのハシゴのようなものです。解脱というのは「執着する心」がない状態です。
心とは
「心」の定義はというと、対象をつかむということが「心」です。なにかをつかまえて認識する。音を聞いて認識する。それは心。形を見て「見えた」と認識する。それが心。何か考えて認識するのが心の働き。心はいつも、次から次へと、何かをつかまえています。永久的に止まることなく、次から次へと。外の世界につかまえるものがなければ、自分の方へ、回転する。自分で回転することができますからね。それは、恐ろしいことです。いつまでも心は続けるのです。対象をつかまえるのが心であれば、対象をつかまえなければ、そこに、心はないということなのです。人間に説明できるのはそこまでですからと、お釈迦さまは、話を終わられます。
お釈迦さま死後の仏教
仏教の初期時代には、お釈迦さまの弟子たちの間に、悟りについてこのような話がありました。修行をしなかった人々が、お釈迦さまが亡くなったあとで、いかに立派な人だったかということに気付き、お釈迦さまのかわりに仏塔や仏像やいろいろなものを作って拝んだり儀式をしたり、そしていつしかそれが仏教だと思いこむようになりました。そして修行はせず、まじめに修行している人たちをけなすばかりの人々も生まれはじめたのです。あの連中には、金もない、寺もない、森の中で汚い服を着て人にものをもらって食べていると馬鹿にしました。このようにじわじわと、財産管理型の寺ができてきたのです。
お釈迦さまの死後100年たったころ、インド北部のある場所で、お坊さまたちが会議を行って、いくつか決まりを作ったんですね。お坊さんたちがお金を使ったり、お金の管理をしてもいいなどの決まりをね。阿羅漢たちがその話を聞いて、また会議をしたんですね。遠いところでいろいろな話をしているが、ああいうことは仏道じゃない、やめましょう、と決めたのだけれど先のお坊さまたちは認めなかったのです。そこで別れることになったのです。
戒律や生き方を変えようとするのは、悟った人ではあり得ません。変える必要は何もないのです。お釈迦さまの話を、新しく解釈する必要はない。お釈迦さまほど明確に、悟りの道を教えられる人はいないのです。他の方法もあるのではないですかと言う人もあるかもしれませんが、まずお釈迦さまのおっしゃっているとおりにやってみて、うまくいかなければ考えればいいことです。お釈迦さまの、おっしゃっているとおりに修行すると、誰でも完全に悟ることができるんですね。そしてそのようにして悟ったならば、この方法はまずいんだ、変えよう、という気持にはならないものです。
お釈迦さまのおっしゃることは、ときに信じがたいような言葉であることがあります。たとえば、ものすごくかわいい子供を「不幸のもと」だとおっしゃったり。言うこともよく聞く、とてもいい子を見て、それこそ究極的な不幸だとおっしゃったりするのです。そんなとき、誰も信じないですよね。
しかしある在家の信者さんは、そんなまさかというようなときにも「お釈迦さまのおっしゃることは正しいと思います」と言いました。この人はお釈迦さまの教えに従って自分で修行して真理を見つけだした人なのです。自分で真理を確かめたので、そんな風に大胆な発言もできました。そのように、きちんと修行して真理を見つけだした人にとっては、お釈迦さまの方法を疑う余地はないのです。
サーリプッタ尊者の指導
もうひとつ、簡単な経典を説明しましょう。「比丘たちよ。あなたがたが本当に、仏法僧に対する信頼があり、本当に修行したいと思って出家したのなら、『自分はサーリプッタ尊者のようになります』あるいは『自分はモクレン尊者のようになります』と、頭の中に思い描いた方がよい」という内容の経典なのです。模範として自分とひきくらべるとするならば、その二人と比べなさい、その二人が基準ですよ、というのです。
ですから、初期仏教の世界では、出家した比丘たちは皆、サーリプッタ尊者、モクレン尊者を模範として、彼らのやったように修行する。そうすると、みんな悟れるわけなのですが、だからといって、能力やいいろいろな面で二人と似たようになったかというと、それはそうでもありません。才能というのは一時的なもので、それほど気にする必要はありません。悟りの世界では何ものにも執着しないわけですから、そこには何の上下もないわけなんですね。
サーリプッタ尊者のとてもいいところは、どんなに頭の悪い人が来ても、いろいろ話してあげて、悟りの世界を体験させちゃうんです。いちばんむずかしいのは、最初に、悟ることなんです。そこを悟ってしまえば、ほかのものは瞑想が進み次第、進んでいくものでむずかしいことではないのです。最初の悟りを体験してしまえば、確実に最終的なレベルまで悟ることができるのです。サーリプッタ尊者はそれがかなり上手だったのです。
最初の悟りは「知識」に関係が深いのです。これは煩悩とはそれほど関係がないのです。ですから最初の段階を悟った人は、人類にはたぐいまれな哲学者なのです。ものが見える。ものが見えて哲学者ではあるけれども、人間としての煩悩や、やりたいことはいろいろあるかもしれません。煩悩が消えていくのは、二番目三番目四番目の悟りで、一番目の悟りではいくらかは消えますが、あまり消えません。一番目の悟りで消えるのは、無明に関する煩悩の一部です。智慧が現れますから。
当時サーリプッタ尊者が指導した相手というのは、当然インド人ですよね。インド人の中でも、優れた宗教家たちや論争家たちが来たのです。当時のインドでは全部、丸暗記でしょう。図書館から本を持ってきて、参考にしてしゃべるということはありません。昔は、知っているということは身体で知っている。覚えているということは体で覚えているのです。ですから一時間でも一年間でもしゃべり続けるような、そういう恐ろしい知識人たちがやってきました。
ですが、不思議なことは、どんな人がどんな哲学的な問題を持ってきても、サーリプッタ尊者は懇切丁寧に、ぴったりと解説してあげたのです。そして問題解決の方向へ導く。修行中の人々の場合でも、この人は、一番目の悟りのこういう状態だから、こういう思考で引っかかっている、こういう感情で引っかかっている、それがすぐ見えるので、それを教えてくれるのです。
しかも性格は謙虚で、大変控えめで素晴らしいのです。究極的な智慧の人なのですが、控えめなのです。しかもそれが見せかけではなく、本当に控えめなのです。ですからみんな、遠慮なく質問したのです。そうすることができたのです。「先生これはどうですか」と聞いたら、何ということなく、「そうですね、それはこういうことだよ」と答えてあげる。沙弥たちも来て、どんどん質問する。
経典の中では、たとえばこんな風に書かれています。誰かお坊さんが病気になったら、すぐそこに行って、面倒を見てあげる。病気になって托鉢に出られない。ほかのお坊さまたちは自分の修行で忙しいが、サーリプッタ尊者は自分で托鉢に出ていき、ごはんをもってきて、面倒を見てあげる。夜休むときも、たくさんいるお坊さんたちに、ちゃんと場所はありますかと聞いて回る。いちばん偉いお坊さんなのですからいちばんいいところで寝ればいいのですが、そうではない。みんなの場所を見てあげて、自分に場所がなければ、座って瞑想でもしている。
だからといって、私はこんなに苦労しているんだとか、みんなの面倒を見てやってるんだとか、そういう気持はまったくありません。ただ好意でのみ、やっているのです。
一方モクレン尊者は瞑想の大変上手な方で、いろいろな瞑想方法を実践していて、どんな瞑想からでも完成まで導くことができました。二番目の悟りの段階に行くためには、かなり瞑想の力が必要なんですね。サマーディの力が必要で、哲学では無理なんです。そのあたりはモクレン尊者が面倒を見てあげたのです。
そんなわけで、二人は大変ありがたい存在でした。二人はお釈迦さまより先に亡くなったのですが、お坊さまたちが、お釈迦さまのそばに二人がいないのを見ると、何かすごく寂しく感じたそうです。我々が普段言う、普通の意味での「寂しい」ではなく、何というか、誰もいないような感じがするのだそうです。お釈迦さまが、彼らほどほめた人物は他にはなかったのです。とにかくお釈迦さまは出家者にとっての模範は、サーリプッタ尊者とモクレン尊者だと、繰り返して言われました。(次号に続く)