25.自ら試し、確かめる 5
悟りを開いた人たち③
お釈迦さまは悟りを開かれた日から涅槃に入られる日まで、無数の人々に出会い、法を説かれ、人々の苦しみを解決し、悟りに導かれました。その代表的な方々を何人かご紹介しましょう。
(前号から続きます)
美しいものが好きな金細工職人
ある金細工職人の息子が、サーリプッタ尊者のもとに弟子入りしました。サーリプッタ尊者は「この若者は在家にいるとき毎日美しいものに触れ、美しいものばかり見てきた。しかしものごとの醜い面を理解しなければ悟ることはできない」と考えて、身体は美しいものではなく不浄なものであるということを納得してもらおうと、不浄の冥想を教えました。比丘は、サーリプッタ尊者に教えられたとおり、真面目に冥想に励みましたが、心はいっこうに落ち着きませんでした。
ある日、比丘は「私は偉大なるサーリプッタ尊者のもとで出家しているにもかかわらず悟ることができない。これは自分に見込みがないからではないか」と考えて落ち込んでいたところ、お釈迦さまに出会いました。お釈迦さまは、この比丘が金細工職人で、長いあいだ美しいものにしか触れてこなかったことを察知され、このように指導なされました。「こちらに座ってこの蓮の花を見ていなさい」と。お釈迦さまのそばにはさまざまな花があり、その中に一本、大変美しく咲いている蓮の花があり、それを観察するようにと言われたのです。比丘は言われたとおりにその美しい花のそばに座り、花を見つめました。すると比丘の心に「あー、なんて美しい花か」と喜びが生まれ、心がその花にギューっと集中していったのです。我を忘れて花を見つめていたところ、今度はその花が次第に萎んでゆくのが見えました。微妙に見つめていましたから細部まで明確に見えるのです。美しい花びらが萎れてゆき、鮮やかな色が褪せてゆき、ついには枯れてしまいました。比丘は「あんなに美しく咲いていた花もこのように萎れ、枯れてしまう。作られたものはすべて無常なのだ」と、ものごとの無常性に目覚め、その瞬間、悟りを開いたのでした。
お釈迦さまは「美しいもの」に見慣れていた彼の性格を見抜き、「美しいもの」を観察させることによって心を喜ばせ、落ち着かせて、さらに悟りの方向へと導かれたのです。
一夜で財産を失った農夫
ある朝、お釈迦さまは田んぼに行き、そこで農作業をしている農夫に声をかけ、ちょっと言葉を交わして帰って行かれました。次の日も、その次の日も、田んぼに立ち寄って農夫とひとこと言葉を交わし、帰って行かれました。お釈迦さまは幾日もそうやって農夫とつきあったのです。
あるとき農夫は「お釈迦さまが私のところに立ち寄ってくださる。親しみを持って声をかけてくださる。なんという素晴らしい方が友だちになったものか」と大変喜び、「しかし私はまだ一度も食事のお布施をしたことがない。今度、稲を刈り入れたとき、真っ先にお釈迦さまにお布施しよう」と考えました。そこでお釈迦さまに「稲を刈り入れたらお釈迦さまにお布施したいのですが、そのとき私の家に、家というところではなく小屋ですが、いらっしゃっていただけますか」と申し出ると、お釈迦さまは「いいですよ、行きます」と快くお布施を受けられました。ところが稲刈りの前日、大雨が降り、洪水になって、田んぼがすべて流されてしまったのです。たった一晩で今まで苦労して育ててきた収穫物がすっかり流され、一年間の収入が失われてしまいました。それまでごく平凡に生きてきた農夫でしたが、このとき初めて「生きる苦しみ」に直面したのです。農夫は巨大な苦しみに圧倒され、とうとう倒れてしまいました。
お釈迦さまは約束の日、農夫の家にお布施を受けに行きました。お釈迦さまが来たとき、農夫の苦しみは最大限に達しました。お釈迦さまが来ているのに、お布施するものが何もありません。顔を合わせることもできず、家の中で倒れたままでいました。このすべてを理解されたお釈迦さまは、農夫が寝込んでいるところに行き、このように話されました。「人生では予測できないことや期待していないことが突然起こるものです。いくら約束をしても確実に守れるものではありません。でも、知っていますか、どうしてあなたがそんなに悲しんでいるのかを。それは洪水で流された田んぼや稲に、あなたはすごく期待していたからです。だから苦しんでいるのです。この世の中に期待できるものは何一つありません。自分の身体さえ、期待することはできません。このことを知っている人は、何に対しても期待しないのです」。
愛する者を失ったパターチャーラー
一日にして、生まれたばかりの赤ん坊・幼い子供・旦那・父母・兄弟を亡くしたパターチャーラ(Patâcârâ)は、ショックのあまり頭が狂ってしまい、服が脱げ落ちたことにも気づかずに、裸のまま町をふらふら彷徨い歩いているところ、お釈迦さまに出会いました。お釈迦さまが「妹よ、落ち着きなさい」とやさしく声をかけると、パターチャーラーは正気に戻りました。そしてお釈迦さまはこのように話されました。「遠い昔から今まで、あなたが愛する者を亡くして涙を流したのはこれが初めてではないのだよ。あなたは輪廻の中で測り知れないほどの涙を流してきました。その涙の量は四つの海の量よりも多いのです」。
この言葉を聞いたパターチャーラーは「死の普遍性」に目覚めました。また「無常なる世の中では子供も夫も父母も兄弟も頼りにすることはできない。自分の心さえ頼りにならない。頼りになるものは、心を清らかにして悟り開くことである」ということに気づき、出家して修行に励み、やがて悟りを開くに至ったのでした。
七歳で悟りを開いたソーパーカ
大人ばかりでなく、子供も捨てたものではありません。ソーパーカ(Sopâka)という七歳の子供がいました。赤ん坊のときに父親が亡くなり、母親が別の男性と再婚しました。新しい父親はソーパーカのことが大嫌いで、いつもいじめていました。ある日、父親はソーパーカを墓場に連れていき、そこにあった死体にソーパーカを縛り付け、置き去りにして帰ってしまったのです。
その夜、お釈迦さまは墓場で泣いている子供を見つけると、固く結んであったひもを解き「さあ、帰りましょう」と、手をつないで一緒にお寺に帰りました。お釈迦さまと手をつないだソーパーカは、喜んでお寺に入り、出家して、お釈迦さまの話をよく聞き、まだ十歳にもなっていないのに悟りを開いたのです。
出家世界には比丘戒というものがありまして、これは二十歳にならないと授けることができません。ですから七歳のソーパーカは、まだ正式に比丘になることができません。しかしソーパーカは完全に悟りを開いていましたから、お釈迦さまは特別扱いなされたのです。ある日ソーパーカをよんで、大人の比丘たちがいる中でこのように質問しました。「一は何ですか、二は何ですか、三は何ですか……十は何ですか」と。比丘たちは「お釈迦さまは子供と遊んでいるでしょう」と思っていました。でも「一は何ですか」と聞くと、ソーパーカは「食べ物です」と普通の子とはちょっと違うことを言うのです。お釈迦さまが「二は何ですか」と聞くと、「ナーマ(名)とルーパ(色)です」と答えました。では「三は何ですか」と聞くと、「苦と楽と不苦不楽の三つの感受です」と答えました。このようにして十まで答えたのです。お釈迦さまは「君は見事です。今日から比丘です」と、ソーパーカを正式な比丘として認められました。これはかなり大胆なことで、というのも三十歳や四十歳の年配になってから出家する人たちは、七歳の子供に頭を下げて礼をしなくてはいけませんから。でも、お釈迦さまは肉体の年齢よりも心の清らかさを重視なされたのです。ソーパーカは完全に心を清らかにしていましたので、お釈迦さまは正式に比丘として認められたのでした。
(次号に続きます)