No.74(2006年2月号)
天女に会った王子の話
Saṃgāmāvacara jātaka(No.182)
これはシャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎におられた時のお話です。
ある時、お釈迦さまは故郷であるカピラワットゥのお城に立ち寄られました。お釈迦さまにはナンダという名前の弟がおられます。釈尊はナンダ王子に、ご自分の鉢を手渡されました。ナンダ王子は鉢を釈尊にお返ししようとして後に従い、祇園精舎までついて来てしまいました。釈尊はサーリプッタ尊者を呼ばれ、ナンダ王子を出家させました。
ナンダ比丘は修行をはじめたのですが、ある女性のことがどうしても忘れられません。釈尊と共にカピラワットゥのお城を出ようとした時、国一番の美人がきちんと髪を結わずに城の窓から顔を出し、「ナンダ王子、早く帰って来てくださいね」と呼びかけたのです。ナンダ比丘は、美しい彼女が忘れられずに思い患い、そのうちに青白くなるほどやせてきてしまいました。
釈尊はそれをお知りになって、ご自分からナンダ比丘の居室に行かれました。そこに用意された上座に坐られた釈尊は、「ナンダよ、真理の教えを楽しんでいるだろうか」とおたずねになりました。ナンダ比丘は、「世尊、国一番の美人のことが思い出されて、どうも楽しめないのです」とお答えしました。「ナンダよ、ヒマラヤの方に行ったことはあるのか」「いいえ、世尊。まだ行ったことはありません」「それでは今から行きなさい」「世尊、私には神通力がなく、行くことはできません」「ナンダよ、私が連れて行ってあげよう」。
釈尊はナンダ比丘の手をとって空中に昇り、一緒に空を飛びました。空を飛びながら、釈尊は、神通力で下界に燃えさかる田畑の光景をつくり出しました。火事で焼けている田畑の切り株には一匹の雌猿が坐っていました。雌猿の鼻と尾はちぎれ、毛は焼け落ちて、露出した皮膚が焼けただれて血がにじんでいました。釈尊はナンダ比丘にその光景をしっかりと見せてから、一緒に天へと向かわれました。天界には、広々とした美しいマノーシラ平原や、金山、銀山、宝石でできた山々、アノータッタ池などの七つの大池、五つの大河など、すばらしい光景が広がっていました。釈尊はその光り輝く景色をナンダ比丘に楽しませてから、「ナンダよ、三十三天を見たことはあるか」と訊かれました。「世尊、見たことはありません」「では、見せてあげよう」。
釈尊はナンダ比丘を連れて三十三天に昇られ、天界の宝石の玉座に坐られました。天界の王である帝釈天が、多くの神々を従えて釈尊に挨拶に来ました。帝釈天の侍女である二千五百人の天女たちや、ほっそりした五百人の天の少女たちも釈尊を礼拝し、挨拶しました。一切の世俗の汚れを離れた天女たちは、この上もなく美しい姿をしていました。釈尊は「この天女たちと、国一番の美人と、どちらが美しいだろうか」とおたずねになりました。ナンダ比丘は清らかな美しさの天女たちにすっかり心を奪われて、「尊師、あの美人も、この天女たちに比べれば、来る時に空から見た醜い雌猿のようです」と答えました。「ナンダよ、では、おまえは今どういう気持ちなのか」と釈尊に問われ、ナンダ比丘は「尊師、私はこの美しい天女たちにすっかり心を奪われました」と言いました。釈尊は「もしも熱心に修行をするならば、おまえの思いが叶うだろう」とおっしゃいました。「それでは私は懸命に修行します」「ナンダよ、それがいいだろう」。たくさんの神々の中で釈尊とそのような話を交わしたナンダ比丘は、「尊師、では直ちに祇園精舎に戻りましょう」と釈尊をうながしました。釈尊はナンダ比丘を連れて祇園精舎に戻られました。
精舎に戻ると、ナンダ比丘は、熱心に修行をはじめました。釈尊は、サーリプッタ尊者に、「サーリプッタ、弟のナンダは、神々の集まる三十三天で、天女への思いが叶うことについて、私を証人に立てたのだよ」と皆がいる前でお話になりました。その噂は祇園精舎中に広まりました。サーリプッタ尊者はナンダ比丘に、「友、ナンダ比丘よ、あなたが三十三天において、神々が集まる中で、天女のことで世尊を証人に立てられたというのは本当ですか」と話しかけ、「そうであれば、あなたが熱心に心を清らかにするために修行をすることと、世俗の人たちが熱心にお金のために仕事をすることとはどんな違いがあるのでしょう」と言ってからかいました。ナンダ比丘は自分の行動をとても恥ずかしく思い、「つまらないことをしてしまった」と慚愧(ざんぎ)の思いを起こしました。慚(ざん)とは自己の不善を恥じること、愧(ぎ)とは識者の目を怖れることです。釈迦族の人々は正直で誇り高い性格で、何よりも恥を怖れます。発奮したナンダ比丘は、怠らず自己を観察して熱心に修行に励み、阿羅漢果(最終的な悟りの境地)を得ました。
阿羅漢となったナンダ尊者は釈尊のところに行かれ、悟りを得たことを報告されました。そして、「世尊、あの約束はなかったことにしてください」と釈尊に言いました。釈尊は、「ナンダよ、おまえが最終的な悟りを開いた時、自然にあの約束は消えているよ」とおっしゃいました。
比丘たちが法話堂で、「ナンダ尊者こそ、師の言葉をよく聞く素直な方だとほめられるべきお方だろう。尊師に一度指導していただくと、すぐに慚愧の心を起こして熱心に仏道修行に励まれ、早くも最終的な悟りを得られたのだ」と話をしていました。釈尊が来られて何の話をしていたかをお聞きになったので比丘たちがお答えすると、「ナンダは過去においても素直な性質であった」と、皆に請われるままに過去の話をされました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、、菩薩は象使いの家に生まれ、優れた象使いとなって、バーラーナシーの敵国の王に仕えていました。菩薩は王の象の世話をし、象を十分に訓練させました。
ある時、菩薩の仕える王がバーラーナシーを攻め落とすことに決めました。王は象を立派に武装させ、自分も王に相応しい鎧兜をつけて、象に乗ってバーラーナシーへと向かいました。バーラーナシーに着いた王は、「国を明け渡すか戦うか、どちらか答えよ」という信書をブラフマダッタ王に送りました。ブラフマダッタ王は、「喜んで応戦しよう」と答え、城壁、城門、天守閣など、至るところに軍隊を集めました。
菩薩が仕える王は鋭い刺棒をもって象にまたがり、象を前へ進めようとしました。しかし初めて実践の場に臨んだ象は、熱くなった泥水を浴びたり、隙間なく飛んでくる矢や石つぶてを身に受けたりして恐れをなし、死ぬのが怖くなって進むことができず、退却しそうになりました。その時、近くに控えていた象使いである菩薩が象に近づいて、次の詩を唱えました。
君は強く、誉れある
戦場を住処となす勇者
今、敵門に達するに、
象よ、なぜに戻るのか
さあ、閂(かんぬき)を取り外し
門柱を打ち倒して進め
象よ、城門を粉砕し、
ここぞと中へ攻めるのだ
象は、このように一度だけ戒められただけで気を取り直し、鼻で柱を引き抜いて閂を投げつけ、城門を粉砕し、城内に入って勇敢に戦い、王に勝利をもたらしました。
お釈迦さまは、「この時の象はナンダであり、王はアーナンダであり、象使いは私であった」とおっしゃって、話を終えられました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
何ごともやり遂げることは大事だと、誰もがわかっている。わかってはいるが、皆そのように実行して成功を収めているかというと、そうではありません。途中で諦める。嫌になる。やる気を失う。もっと面白いことが別にあると思う。邪魔ばかりでできそうにないと文句を言う。誰も協力してくれないと諦める。反対しているのだ、批判されているのだと言って諦める。結局は、やり遂げることはありません。従って、何の功績もなく。失敗のままで人生を歩む、これも不幸な生き方なのです。
やり遂げることは大事です。出家なさったお釈迦さまは、心を清らかにする道をいろいろ先生に尋ねました。Āḷāra Kālāma(アーラ―ラ・カーラーマ)、Uddaka Rāmaputta(ウッダカ・ラーマプッタ)という二人の仙人からサマーディ瞑想を習ったことを、釈尊が後に、比丘たちに告げておられます。釈尊は、Āḷāra仙人に弟子入りして間もなく、その仙人が説く境地に達しました。不思議なことに、他の弟子たちには誰一人、先生と同じ境地に達した人はいなかったのです。仙人は、釈尊の天才ぶりに驚きました。釈尊は、弟子の位から、仙人と同格の位に昇格されました。しかし、その禅定は完全たる解脱ではないと発見した釈尊は、Uddaka仙人にも弟子入りしました。その仙人のところでは、禅定のランクの最高位に達することができました。釈尊はこの仙人にも同格の位に昇格されましたが、やはりそこも離れたのです。
二人の仙人には沢山弟子たちがいたが、先生が説く教えを最後まで実行してみようではないかと思った人は、釈尊一人だけでした。釈尊だけがその教えの真髄をつかむことができ、弟子たちを指導しなさいと頼まれました。しかし、たとえ素晴らしい教えであっても、最終的に心清らかになる道ではなかったので、そこそこ素晴らしい教えに一生をかけることになる。釈尊はそれを断りました。この出来事は釈尊によって語られたもので、後の人々が釈尊の伝記に加えた物語ではないのです。
このエピソードは、釈尊が何ごともやり遂げる方であったことを物語っています。人間は、何かを聞いただけ、なめただけで、結論を出してしまいますが、それは正しくないのです。徹底的に学んでからでこそ、その教えが役に立つか立たないかわるのです。先生に「あなたと私は同格ですよ」と言われてから、釈尊が、この教えは解脱に導くものかそうでないものかを判断したのです。釈尊は、99%の証拠があっても結論を出さない性格です。なぜならば、残り1%の証拠は結論に反対しているからです。何ごとも、やり遂げる人でないと、このように全く間違いを犯せない、しっかりしたものにならないのです。
仙人のところを離れてから、釈尊は苦行をされました。当時、苦行すれば心は完全たる解脱に達するという一般論が、修行者の間で認められていました。しかし、勇気をもって本気で挑戦しようと思う人々はいなかったのです。釈尊は、この一般論が正しいか正しくないか調べることにして、ほぼ六年間も苦行に挑戦しました。六年の間には、三回も死にかけて倒れました。六年経ったところで、「私は、長い間、人間には誰にも実践できないほど厳しく苦行をしてみた。その間、心が汚れたことはなかったが、成長することもなかった。もはやこれ以上の苦行は存在しない。従って、苦行によって解脱が得られるというのは正しい考えではない」という結論に達したのです。これは、やり遂げる人でなければできることではありません。釈尊の結論というものは、我々の判断や結論と次元が違うものです。中途半端な我々は、何か判断してもたちまち誰かに異論を立てられるのです。しかし、釈尊が何かについて判断・結論なさったならば、それは中途半端なものではありません。それが事実です。正しい答えです。いかなる生命にも異論を立てることは不可能なのです。
釈尊ご自身で発見された解脱の道を、Majjhimā paṭipadā(マッジマー・パティパダー/中道)と言います。中道は、八正道とも言います。八正道に基づいて瞑想なさった釈尊が、一晩で完全たる解脱を体験なさったのです。そして「一切の苦しみを乗り越える道は中道(八正道)である」と明言なさったのです。これもまた釈尊の結論です。そのまま事実です。そのまま真理なのです。いかなる生命にも異論を立てることは不可能です。八正道をやり遂げる人が悟りを開けないということは、あり得ないのです。
理解して納得してから実践に挑戦するのが普通の段取りです。しかし釈尊の教えは、証拠が100%でなければ結論に達しない教えなのです。釈尊の結論に微妙にでも疑が生じるはずがないのです。文句を言わず黙って実践すれば、人が、間もないうちに、幸福な境地に達する教えなのです。
この確実性は、釈尊が何ごともやり遂げる方であったからこそ成り立っているものです。今月のジャータカ物語は、我々に、何ごとでもやり遂げる性格がいかに大事かと教えてくれます。女好きでだらしなかったナンダ王子も、性格だけは釈尊に似ていたのです。だから、大阿羅漢になったのです。菩薩に調教された象も、「今あなたがかかっている仕事をやり遂げなさい」という戒めを聞いたのです。