No.82(2006年10月号)
善王物語
Seyya jātaka(No.282)
これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。
コーサラ国には一人のすばらしく有能な大臣がいました。彼は国王の優れた補佐役であり、あらゆることがらを処理することができました。国王は有能な大臣について喜び、「彼こそは、余を大いに助けてくれる者である」と褒め、彼を優遇しました。王が有能な大臣を気に入って重用するのを見た他の大臣たちは、おもしろくありません。そのうちに、なんとか彼を陥れようとして、事実無根の陰口を王の耳に入れるようになりました。
大臣たちから陰口を何度も吹き込まれた王は、その虚言に乗ってしまい、徳があり邪心のない有能な大臣を捕らえました。そして、自ら詳細に調べることもなく、彼を牢屋に投獄してしまいました。しかし、戒を守り徳がある大臣は、投獄されたという逆境を利用して冥想し、心の統一を得て、禅定を体験することができたのです。
しばらく経つと、かの大臣が無実であったことが判明しました。コーサラ王はすぐに彼を釈放し、以前にも増してその大臣を大事に優遇するようになりました。
大臣は、そういう自分の経験をお釈迦さまにお話ししたくなり、たくさんの香料や花を携えて祇園精舎に出向きました。大臣は釈尊に近づいて礼拝し、傍らに坐りました。釈尊は大臣を親しく迎えられ、「貴公(きこう)に禍(わざわい)が降りかかったと我々は聞いたのだが」と、話しかけられました。大臣は、「世尊、確かに禍がございました。しかし、私は、その禍によって幸福を得ました。牢獄に入れられている間に禅定を得ることができたのでございます」と話しました。お釈迦さまは、「在家信者(ウパーサカ)よ、禍を福に変えた者は、貴公一人だけではない。昔の賢者たちも、禍を福に変えたことがあったのだよ」と言われ、彼の求めに応じて過去のことを話されました。
昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王の第一夫人のお胎(おなか)に生を受けました。成長した菩薩はタッカシラ―で学業を修得し、父王が亡くなった後に即位して、バーラーナシーを治める王となりました。菩薩は、王の守るべき十の法に違うことなく、布施を施し、戒を守り、国中に善政を敷きました。
ある時、菩薩に仕える一人の大臣が、後宮(こうきゅう)で不義をはたらきました。下僕たちがそれを知り、菩薩に報告しました。菩薩は事の真相を自ら十分に調べ、話に間違いがないことを知ってその大臣を呼びつけ、「汝(なんじ)はもう余に仕える必要はない」と言って彼を追放しました。
菩薩のところをクビになった大臣は隣国に逃れ、隣国の王に仕えるようになりました。彼は隣国の王に、「王様、バーラーナシーは、まだ蠅(はえ)のたからないミツバチの巣のような国です。あちらの国王は極めて柔弱なのです。その気になれば、わずかの兵で簡単に攻め取ることができるでしょう」と進言しました。隣国の王はその言葉を聞いて、「バーラーナシーは大国である。しかしこの男は、わずかな兵力で攻め落とせると言う。たぶんこいつはスパイに違いない」と思い、「汝は金で雇われて、そのようなことを言うのであろう」と言いました。すると彼は、「いいえ、王様、とんでもございません。私の言葉に嘘はありません。もしお疑いであれば、試しに誰かをバーラーナシーに送り、国境辺りの村で殺戮(さつりく)をさせてみてください。バーラーナシーの王は、彼らに財を与えて釈放することでしょう」と言いました。
隣国の王は、「この男は大胆なことを言う。一つ試してみよう」と考えて、人をやって、国境あたりの村で殺戮を犯させました。村人たちは賊を捕らえ、バーラーナシーの国王のもとに連れて行きました。国王である菩薩は、彼らを審議しました。「汝らは、なぜ村人を殺したのか」「王様、私どもには金がなく、生活ができません。しかたなく人を殺しました」「なぜその前に私のところに来なかったのか。以後、決してこのようなことをしてはならない」。国王は彼らに財を与えて釈放しました。彼らは自分の国に戻り、国王にこれを報告しました。それを聞いた王はにわかには信じがたく、再度同じように人を遣わせ、今度はバーラーナシーの国の中ほどで殺戮を行わせました。しかし彼らは、以前と同じように、国王から財を与えてもらって戻って来たのです。それでも隣国の王はまだ信じられず、重ねて人を送り、今度はバーラーナシーの市街で殺戮を行わせました。すると彼らは、やはり以前と同じように、国王から財を与えられて無事に戻って来ました。隣国の王は、「バーラーナシーの王はたいそう善良な王である」と驚き、「では我は、あの国をいただくことにしよう」と決めて、軍隊や象を率いて大々的に出征しました。
当時のバーラーナシーには、千人の勇猛果敢な勇士の集団がいました。彼らは、たとえ帝釈天の雷が頭上に落ちても少しもひるまぬ勇者たちであり、突進してくる狂象さえも怖れずに戦う強者(つわもの)ぞろいでした。隣国の王が攻めてくると聞いた彼らは、菩薩に訴え出て、「大王様、隣国の王が攻めて来ようとしています。すぐに我々を出征させてください。我々は、この国に、彼らの足を一歩も踏み入れさせません。彼らを皆、生け捕りにしてやります」と言いました。王は、「余にとって、人を傷つけて保たれるような王国に何の用があろう。汝らは何もするな。戦ってはならない」と、彼らの言葉を斥(しりぞ)けました。
隣国の王はドンドン軍を進め、都の周りを取り囲みました。大臣たちが王に近づき、「大王様、こうしていてはいけません。敵王を捕らえましょう」と言いました。しかし王は、「いや、決して戦うな。城門を開いて入れてやれ」と命じ、自らは城の玉座に静かに座りました。隣国の王は、四つの門に軍隊を殺到させ、都に入ると王宮によじ登り、無抵抗の王を捕らえて鎖で縛り、牢屋に投獄しました。
王は、牢獄で独り坐し、賊を憐れみました。すると王に慈悲の喜悦が生じ、慈悲の禅定を得ることができました。その慈悲の威力によって、隣国の王は高熱を出しました。彼は全身が焼かれるように熱くなって苦しみながら、なぜこんなことになったのだろうと考えました。そして、善良で徳の高い王を牢屋に投獄したせいだと気づいたのです。彼は菩薩のところに行って許しを乞い、「貴方(あなた)の国は、貴方自身のものであれ」と言って、国を菩薩に返上しました。
隣国の王は、「これからあなたの裏切り者達の責任を私が負うことにいたします」と告げて、裏切り行為をした大臣に王令(判決)を出し、彼を追放し、自分の国に戻りました。
菩薩は、飾られた大きな壇上に、白い天蓋を翻(ひるがえ)して玉座に座り、周囲に大臣たちを坐らせて、彼らと談笑しつつ、次の詩を唱えました。
善き人に近づくは
真の幸いなり
われ、一人と和合して
百の死を救えり
聞け、カーシーの人々よ
されば、たった一人にて
死後、天界に往(い)ぬでなく
一切世界と和合せよ
このように、菩薩は、大衆のために慈悲を修得する功徳を賛嘆してから、十二ヨージャナの大きさの真っ白な天蓋を捨てて出家しました。菩薩はヒマラヤに入って修業し、仙人になりました。
過去の話を終えたお釈迦さまは、正覚者として、次の詩を唱えられました。
バーラーナシーのカンサ王
彼は、この語を説きてより
矢も、鎧も、うち捨てて
こころの制止に到達す
そしてお釈迦さまは、「その時の隣国の王はアーナンダであり、バーラーナシーの王は私であった」と言われ、話を終えられました。
スマナサーラ長老のコメント
この物語の教訓
この世界で、一方的に「ついている」ことなどはあり得ません。幸福・不幸、損・得、名誉・不名誉、賞賛・非難などは回転するのです。無知な人は、運が良いと舞い上がって人生を台無しにする。不幸になったら、途方に暮れて人生を台無しにする。無知な人は、どちらでも台無しには決まっている。
コーサラ王様に牢屋に入れられた仏弟子の大臣は、不幸を巧みに使いました。俗世間の政治に時間を費やしていた時は、心は汚れたままで、精神的なことは何一つも出来なかったのです。牢屋に入れられたのは、彼には不幸ではなく、心を育てる稀なチャンスでした。仏教徒とはどんな状況にあっても貧乏クジを引かないものだと、現世物語で説かれています。
このジャータカは、仏教の政治論です。政治家は、何としてでも自分の権力を持ち続けたい。自国で英雄として認められ、選挙で圧勝できるなら、関係のない弱い国に戦争を仕掛けることもする。情報をねつ造し、大勝利を宣言もする。潰された国の殺された人々の数は勝利の得点になる。殺された自国の人々を国の英雄として認めて、自分をアピールする。これが権力を維持するための行為なのです。
レバノンのテロ組織とされるヒズボラにユダヤ人の兵隊が二人誘拐されたという言い訳で、レバノンという国を全面的に破壊する戦争を開始する。政治とはこんなものです。誰一人も幸福になりません。何を言っても平和はありません。政治家の辞書に「国民」という単語はありません。昔から今まで政治はワンパターンです。国民の背中に乗って、権力の座に座る。それから、その国民を不幸のどん底に陥れる。そのように統治している間に、自分の等身大より何倍も大きい銅像を至るところに建てておいたりもする。しかしそれも他の政治家に殺されるまで、座を奪われるまでです。次の政治家も、忠実に同じ道を歩むのです。
貪瞋痴、怒り、憎しみ、傲慢、強欲などに引かれて行われる世の中の政治システムは、仏教から見れば、うんざりといえるのです。
このジャータカ物語の主役を演じる菩薩の王が、犯罪者にも罰を与えずに、福祉をする。「国民が困って犯罪にまで追い込まれている。私の統治制度の問題です。正しい統治制度なら、国民は皆、幸福にいるはずだ。国民こそが絶対的に大事です。王ではない。政治家ではない」と。
ここで、ギリギリまで国民至上主義を語っている。これが仏教で推薦する「民主主義」なのです。政治制度は、王政、独裁、現代的な民主主義、資本主義、社会主義など、どれであろうと構いません。政治制度は一時的です。賞味期限があるのです。政治システムは現れては消える。しかし、なぜ国民がそれに振り回されて不幸にならなくてはならないのか。「お国のために命を差し上げる」というのは、仏教から見ると間違っている。あべこべです。政治家が、王が、必要なら国民のために死ぬべきです。王のために国民が命を投げ捨てるのは、正しくないのです。
この物語では、敵国に対して攻撃しないのです。相手が勝手に攻めて来たのだから明らかに悪いでしょう、現代思考で見ると。しかし反撃したら、誰が死ぬのですか?まず自分の国民。次に、攻撃する国の国民です。どちらでも国民です。国民を殺すことは、仏教では正しい政治だと思わないのです。その統治制度は一見弱そうに見えるが、とても安定している。ですから結局は菩薩の王様が勝ったのです。戦わずして。しかし敵軍も負けていない。敵軍が味方になったのです。誰にも損はありません。
確かに王様は侮辱され、王の立場から降ろされ、牢屋に入れられた。しかし王になったからには、それぐらいは国民のためにやる。それが王の仕事です。自分一人の命を守るために、国民の幸福に回すべき財産を使うものではありません。現代でも、軍事開発に使う国民の財産の一部だけでも、世界の不公平をなくすため、貧困をなくすために使うなら、この世はたちまち素晴らしい世界に変わるでしょう。