智慧の扉

2011年12月号

苦をどうすべきか?

アルボムッレ・スマナサーラ長老

生きる努力とは、まず自分に寄って来ないものを追うことです。次に、得たものはひとりでに自分から離れてしまうので、またそれを逃がさないよう頑張ることです。生きている限り、この二つの努力から離れることはできません。

私たちの人生には、追う苦しみと、来るものを避ける苦しみがあるのです。珍しい蝶々はいくら追っても見つからないのに、嫌な蚊はいくら追い出しても勝手に寄ってくる。そのように、思い描いた幸福はいくら頑張っても逃げていくし、病・不幸・災難・災害・経済不振・人生の不安・ライバルの攻撃など嫌なことはすべて勝手に寄ってくるのです。その両方とも、苦なのです。

何もしないでいても、無数の嫌なもの、命を脅かすものは絶えず寄ってきます。何もしないでいることで、苦のどん底に陥るのです。生きていきたい人は絶えず嫌なものを追い出さなくてはならない。勉強したり、仕事したり、能力をあげたり、身を守ったりして戦うことも大変な苦しみです。これ「生きる努力」というものの正体です。

皆やっていることですが、苦に立ち向かうのは愚かな行為です。さらに苦が増して苦が勝つだけです。私たちは東西南北どこを向いて歩いても、死神に向かって歩いています。いくら嫌がっても、人が病弱になり、老い、死に向かうことは避けられないのです。

苦とは徹底研究して理解するものです。 それが人生を学ぶことでもあります。正しく人生を学ぶとは、苦を学ぶことなのです。「生きるとは苦である」と理解すると、心が落ち着くのです。苦しみは無くすものではありません。理解するものです。無くすべきは「生きることへの執着」なのです。