智慧の扉

2023年2月号(199)

仏教徒になる儀式はない

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 仏教では仏教徒になる儀式はありません。普通、宗教では信者になる儀式やシステムがあります。仏教も長い歴史を持つので、さまざまなしきたりや習慣が存在します。それぞれの国で、仏教を信仰として扱うことで次世代に伝承してきた側面もあります。しかし、未だに仏教徒になるための制度は制定されていないのです。仏教徒になるシステムがないにもかかわらず、人々はどうやって仏教徒になるのでしょうか?

 一般的に宗教組織にとって、信者の数を増やすことはとても大事な仕事です。イスラム教になると、一度入信したら信者をやめることはできないほどです。仏教も宗教であるならば信者になるシステムが必要なはずですが、それが存在しないのは仏教が宗教ではないからです。例えば考古学者になるための儀式はあるでしょうか? そんなものはありません。かといって、考古学者になりたいと思っただけでなれるものでもないのです。大学で考古学を専攻して、研究して論文を書いて、その上で研究活動をするならば考古学者と名乗れます。

 仏教とは智慧の完成者ブッダの教えです。人に聖水をかけたりお祈りしたりするだけで智慧が現れるわけではないので、あえて学ばなければブッダが説いた真理を理解することは不可能です。真理を学んで、実践データを集めて、人々と議論して研究を進めていくならば、何が正しくて何が間違っているかと判断する能力を体得するのです。仏教を学ぶならば、一人ひとりがその課題をやらなくてはいけません。

 お釈迦様は「そのように仏教を学んでみれば直ちに結果が出ますよ」とおっしゃっています。「法の六徳 Dhamma Vandanā(ダンマ ワンダナー)」のなかで唱えられakāliko(アカーリコー)には「時間がかからない」と「普遍的に正しい」という二つの意味があります。お釈迦様に「怒りを抑えてみなさい。良い結果が目の前に現れますよ」と教えられて、実際にやってみたらどうなりましたか? 「邪な行為をやめてみなさい」「嘘をつくのをやめてみなさい」と言われてやってみたら、社会的に信頼される人間になるでしょう。また、「普遍的」つまり時代遅れにならない人間の根本的な問題をお釈迦様が解決しました。時代や文化や政治を超えて、人間の普遍的な「苦」に決着をつけたのです。

 自ら検証して、お釈迦様の教えがやはり真理だと気づいたところで、さらに学ぶためにブッダを師とするのです。「Namo tassa(ナモー タッサ)」で始まる礼拝のことばは、ブッダのもとで学んでいく、という表明です。ブッダを師匠と決めたところからが仏教徒です。勉強していく過程で、自然な流れで仏教徒になっていきます。我々は、振り返ってみれば仏教徒になっているのです。