智慧の扉

2010年9月号

「私がいる」という問題

アルボムッレ・スマナサーラ長老

人間が抱える精神的な問題の原因は「私がいる」という一言に集約されます。「私」という感覚、実感のない人がいるでしょうか? 自分自身に対して「これは私じゃなくて違うものだよ」と思える人がいるでしょうか? それはあり得ないことです。どんな人にも、いかなる生命にも「私」という実感があるのです。

それで何が悪いのか、と思うかも知れません。誰にでもある実感だとしても、それが精神的な問題を作っているとしたら、やはり「悪い」のです。これは一般論ではなく、厳密な真理の話です。もちろん、「悪い」と言っただけで、「私」という実感が消えるわけではありませんが、問題を解決するためには、まずその原因を特定しなくてはいけないのです。

「私がいる」という実感から問題が起きる、というのはこういうことです。広大無辺な存在全体から「私」を区別すると、自分という存在はあまりにも小さく、微々たるものになります。「私」は極端な孤独感に襲われるのです。その孤独感から、誰かを味方にしようという「欲」と、味方になりそうもないものに対する「怒り」が生じます。限りのない存在の中で、自分の味方になってくれる数は知れたものです。一方、ライバル・敵は無限大です。(ですから人は欲のせいでも苦しみますが、それより怒りのせいで苦しむことの方が圧倒的に多いのです。)

この「私がいる」という実感のカラクリを完全に解きあかせば、問題は解決します。それで人は精神的な病気を克服し、究極の幸せに達するのだと、お釈迦さまはおっしゃるのです。その具体的な方法が「仏道」なのです。