智慧の扉

2010年10月号

「私」を捨てる道

アルボムッレ・スマナサーラ長老

様々な道徳や宗教で、怒ってはいけない、嫉妬してはいけない、欲張ってはいけない、と言っています。でも怒りたくなる気持ちはどうすればなくなるか、嫉妬しない為にどうすればいいかという解決方法は教えていません。ただ単に、いい人間になれと命令するだけです。
 
お釈迦さまは違います。欲や怒りや嫉妬を無くすために、科学的な研究方法で、自分の心を客観的にありのまま観てみなさいと教えるのです。どんなカラクリで不幸の原因が生まれてくるかということは、自分の心を観て研究すればわかります。「私」という概念、「私がいる」という実感は幻覚・妄想であり、一時的な現象に過ぎないことは、心を観察すればわかるのです。それで一切の問題は解決します。
 
「私」が消えたらすべての苦しみから脱出できる。自我意識をなくせば、心にやすらぎが生まれる。他と比べる競争心がなくなったら憎しみ、怒り、欲が消える。落ち込み、舞い上がり、悔しいという気持ちもなくなる。そういう状態が心のやすらぎというのです。
 
しかし各人が私という実感を持っているのですから、それぞれの人が各自で研究しなくてはいけない。「私」という錯覚を一度に消せればありがたいですが、生命は長い時間、「私」という幻覚を守るためにがんばってきたので、時間をかけなければちょっと難しいのです。
 
また、人々は本当のところは真理や心のやすらぎを探しているわけではなく、ただ日常生活のトラブルの反動で、精神的なことも探求してみたくなるのです。だから仏道を歩んで、いくらか心が落ち着いてくると、また自我を肯定する道を探し始めるのです。人間にはそういう弱みがあることも、自覚しておきましょう。