2010年12月号
悲しみと救いは裏表
脳の機能が低下した認知症の老人や、重い脳障害を負った子供とどう接すべきかと相談されたことがあります。私の主観で言えば、脳が機能しなくなることは、人間にとっては一番悲しい状況です。この人生で、知識能力を活かして智慧を開発する可能性が閉ざされるからです。しかし知識を失った人間にも、死ぬ瞬間まで「感情」が残るのです。
介護などの現場にいる人にとっての救いのポイントが、そこにあります。知識が通じなければ、感情でコミュニケーションすればいいのです。たとえ脳の機能がダメになっても、相手には介護する人の感情がちゃんと伝わります。言葉にはまったく反応しなくなった人も、その言葉を語る人の感情には反応するのです。
認知症の患者さんを世話する人がくたくたに疲れてしまうのは、知識のレベルで意志疎通しようとするからです。例えは悪いですが犬や猫の世話は、してもぜんぜん疲れないでしょう? 犬や猫と知識でコミュニケーションを取ろうなんて誰も思っていないからです。知識は措いて、愛情で接するから、何でもしてあげられるし、ストレスも溜まらない。感情とは一般的に煩悩で良くないものですが、人には、やさしさ・慈しみの気持ち、という善の感情も育てられるのです。やさしさ・慈しみの感情でコミュニケーションすれば、介護される人も、介護をする人も救われます。
私たちは、知識を前提とした狭い視野にとらわれて、あれこれ考えて悩んでしまう。そして知識のアプローチが通じなくなると、すぐ途方にくれてしまうのです。仏教は「すべての生命」という広い視野でとらえるから、「感情」という生命普遍の現象から解決策を見出すのです。