智慧の扉

2012年8月号

宗教は渇愛のブースター

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 宗教は信仰するものです。信仰する自分の立場が低いのです。仏教はブッダの教えを自分で勉強して、納得して自分がやってみる。それで自分が幸せになるのです。世界の七割は神を信じているが、神様はおにぎり一個でもくれたことがあるのでしょうか? 

 みな本当のことは聴きたくないのです。渇愛があって、生きていきたいと思う。しかし幸福に生きる方法には、みな反対する。幸せという目的をつくって、それと反対の道を歩む。お釈迦さまは、そんな人間の生き方を直そうとされるのです。

 ブッダはご自身を「神々と人間の教師である」と仰ります。神の言葉をかたる人々に対して、「私はその神様の教師ですけど、なにか?」と大胆な宣言をするのです。ブッダはそうやって、他の宗教をとことんバカにします。世界の宗教が何をしているかというと、渇愛をさらに強化しているだけなのです。人間に根拠のない罪悪感を植え付けて、その上で神には愛があるんだと、屁理屈ばかり。それでも人間は鵜呑みにする。それは渇愛に燃料を与えているからです(永遠の魂、天国)。怒りに燃料を与えているからです(異端者だ!異端者は殺せ!と)。

 ブッダの教えは、自由への道、やすらぎの道です。仏教の世界は、すべての束縛から解放されて、すべての能力を発揮して堂々と生きられる世界です。信仰は必要ない。実践すればいいのです。学んだだけでも、心はしっかりします。

 ブッダの言葉は厳しいのです。脳にパンチを浴びせるのです。目覚めるためには、ガツンと言わないと脳が回転してくれないのです。目覚めるためには、われわれの脳の働きを転換しないといけない。そのために冥想があるのです。