智慧の扉

2013年12月号

真理の聴き方

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 真理への道は、ブッダの教えを「聴く」ことから始まります。経典では、「喜びの気持ち」で仏教を聴けば、解脱にも達すると言われます。しかし、これは自分好みの本を読んで学ぶことではないのです。好みにハマると新たな発見、大胆な成長は望めません。好みで説法を聴く場合は、欲のバイアスが入っています。自分の欲の感情を満たしたところで気分良くなるのです。自分の性格を肯定する話は喜んで聴くが、直すべき性格のことを教えると、機嫌が悪くなる。仏教に惹かれていたのに、途中から仏教を攻撃するようになる場合もあります。怒りと欲以外の嫉妬、傲慢、落ち込みなどの感情も心のバイアスになるのです。ひとは感情で生きているので、誰でも「正しく学ぶ」ことはできなくなっています。諦めずにこのバイアスを破らなくてはいけないのです。

 では、喜びを持って学ぶとはどういうことでしょうか? それは欲と怒りが無い、子供の心にあるような純粋な興味・好奇心(curiosity)を引き起こすことです。脳も心も成長したいのです。新たな情報を取り入れたいという状態でスタンバイしています。しかし、貪瞋痴が脳の機能を乗っ取って知識の窓口(六根)を占拠しているから、客観的なデータが入らなくなっているのです。貪瞋痴から心を解放するためには、真理を知りたい、新たな事を知りたい、成長したい、性格を改良したい、などの純粋な興味・好奇心を抱くことです。新たなデータが入って理解能力があがると、心は喜びを感じます。これは欲がつくる喜び、怒りがつくる刺激とは違うものです。正しい喜びが起こるならば、心は解脱に達するまで際限なく成長します。「興味・好奇心」というキーワードにピンと来なかったら、小さな子供たちを観察してみてください。私たちはブッダを信仰するのではなく、ブッダの教えに純粋な興味・好奇心を持てばいいのです。心の成長はそこから始まるのです。