智慧の扉

2014年11月号

個性と普遍性

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 生命はみな「個」です。お互いに似ているところがあったとしても、「同一」「同等」ということにはなりません。すべてが個なのです。あの人と同じ、ということはあり得ません。生命以外でも、例えば一本の樹の木葉を調べてみても、一枚一枚違うのです。私たちは「みんな同じだ」と思ってしまいます。本当はそうではないのです。一枚一枚に大きさ・色・形など個性があるのです。「すべて同じ」ではなく「個別」なのです。
 
 頭ではこの差を区別・理解できないので、葉はすべて同じだとまとめてしまいます。我々はそれほど頭が良くないのですから、どんなものを見たとしてもまとめてしまうのです。無知度が高い場合は、「一即一切」と言い、すべてをまとめてしまうのです。
 
 一即一切というのは、仏教用語で誇らしげに言っているフレーズですが、本来ヒンドゥー教から取ってきた言葉なのです。この考え方は、あまりにも無知度が高いのです。「すべてはひとつ(同じ)である」と言ってしまうと、相当なバカになります。それは区別を無視しているのです。区別を無視するとどうなるのかというと、生きていられなくなります。ということで、かなり危険なことなのです。

 それから、区別から共通する普遍性を発見しなければいけません。我々の頭は悪いかもしれませんが、そうは言っても、ある程度で理解能力はあるでしょう。ある程度で十分です。そして物事を区別するのです。自分の家族のみな、それぞれプライバシーを持っていて、個性を持っていて、人権を持っている別々な人間であると理解するのです。家族だから皆同じだと、そんな無知・バカなことを考えないでください。
 
 そのように、みんな個性がある別なものであるという区別を観て、そこを調べると共通する部分が見つけ出せるのです。一個一個が違う現象の中で、お釈迦様が最終的に発見された普遍的な真理は「無常・苦・無我」なのです。科学者と違って、物質の区別だけではなく、さらに進んで調べてみたのです。そして生老病死を発見し、さらに進んで無常・苦・無我という普遍的な真理を発見したのです。一即一切(すべて同じ)というフレーズは正しくありません。「無常・苦・無我ゆえに一即一切」と言えば、正しいフレーズになります。