智慧の扉

2015年6月号

影響力の不思議

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 ひとから「影響を受ける」というのは、ある特定の人の生き方を真似ることなのです。私たちはお釈迦さまの教えを学び・実践して、お釈迦さまを真似しようと頑張って、善い人間になっています。そこは問題なく、皆、真面目に頑張っています。ケチをつけるところはありません。しかし、ひとつだけ問題があります。善人だけど、その人には「影響力が無い」ということです。

 よく私が訊かれるのは、「私は両親・兄弟・友人に、ブッダの教えを紹介したいのだけど、全然話を聞いてくれない。どう話したらいいですか?」とか、また「親も年を取って、性格が悪く、我がままで、怒り・嫉妬・憎しみを持ったままで逝ってしまうと困ります」といった悩みです。
 
 そのようにこぼす方々は、善人ではあるのですが、影響力がないのです。友達どころか、自分の母親や父親にさえ、お釈迦さまの教えを教えてあげることが難しくなっているのです。
 
 これは仏教徒に限らない問題です。現代の教育システムがガタガタになっているのも、教える組織に影響力が欠けているからです。それでどうやって沢山の子供たちの人生を導くことができるのか。みんな正しいことは言っています。どんな先生もそうです。ですが、誰も話を聞いてくれません。それは影響力の問題なのです。

では、どうすればいいでしょうか?
 
 これは、どうしようもありません。影響力を身に付ける方法が何かないのか? と訊かれても、そんな方法は誰も知りませんね。それではマズいので、ひとつ教えます。なぜ、一部の人々には影響力があって、他の人々には影響力がないのでしょう。

 両者を分けるのは、「生き方に自信を持っているか否か」ということです。「私はこういう理由で、このような生き方をしています」と、自分自身で自分の生き方に対して確信を持つこと。それが影響力の源になるのです。生き方が優柔不断・曖昧ということでは、影響力はまったく生まれません。これはよく憶えておいてください。

 自分に影響力があれば、相手に言わなくても分かります。ですから、相手の人権を侵害して、わざわざお説教する人は影響力がないのです。自分の生き方に自信がない人ほど、他人に偉そうに説教するのです。相手に指令を下さなくても、お説教をしなくても、自分の生き方に確信を持って、相手の人権侵害をしなければ、影響力を発揮できるのです。