パティパダー巻頭法話

No.25(1997年3月)

人格と性格は変えられる

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

人間にとって、どんな環境で育てられ、どんな環境で生きているかということは非常に重要な問題です。それは人間の人生そのものをかたちづくり形成するものだからです。生まれてから死ぬまで、人は生きている環境からいろんなことを学んでいきます。人格というものは、結局、自分の育てられた環境から学んだもので出来上がっていきます。環境から学んだものと、環境の影響とを調整して自分の人格を作ります。老いぼれてどうにもならなくなるときまで、人は環境の影響を受けて人格も性格も変え続けていきます。

他人に対してはすぐに、人格がいいとか悪いとか、性格がいいとか悪いとか決めつけたくなりますが、それは考え直したほうがいいと思います。性格も人格も徐々に変っていくものですから、今はいい人も後になって悪くなるかもしれませんし、今悪い人が後になっていい人になる可能性もあります。人とつきあうときも、社会のなかで生活するときも、人の性格・人格というものは、それほど固定していないことを理解したほうが、精神的にも楽になると思います。

とはいっても、人格・性格というものは固定しているように感じられてしまうのです。それにはわけがあります。環境は、そこから学ぶものと、影響を受けるものとの2つに分けて考えなければなりません。生まれたときはこの世の中のことは何も知りません。厳しく守られた環境のなかで育てられます。そして大人になるまで環境からありとあらゆるものを学んでいきます。環境から受ける影響はとても少なく、環境から学ぶものが大変多いのです。この学ぶものによって個人の人格・性格の基本的な構成がしっかりと作られます。その後の環境からの学び方も、影響の受け方も、その基本的な人格構成によって変ります。ですので人格は固定しているように見えます。基本的な構成がすぐに変わることはありません。それはその人の性格の土台ですから、本人にとってとても大事です。一旦精神的に独立してから、環境によって性格も人格も変りますが、それはとてもゆっくり徐々に起こる現象です。ですから人の性格が変らないものだと思うのも無理のないはなしです。

精神的に独立するまで、人が生きている環境は非常に大切です。理想的に考えれば、素晴しい環境で育てられたならば、大人になって環境から受ける影響もすべてプラス方向に受け止めることができます。仏教では、人が育てられる環境というものは非常に大切なものと考えられています。前世物語(ジャータカ)のなかでも、お経のなかでも、人が環境によって良く変ったり悪く変ったりする例がたくさん出てきます。お釈迦様の侍従であったアーナンダ尊者がお釈迦様に次のように言う場面があります。「良い仲間があれば、仏道の半分は成功すると思います」。それに対してお釈迦様は「いいえ、良い仲間があれば仏道は完全に成功するのです」と答えられたといいます。悟りという、究極の境地へ達することまでも仲間の影響があるというのですから、それほど環境の影響は大きいということなのです。

環境から影響を受けて育てられるように、人の心はできていますので、影響を受けずに心を守ることは無理です。たとえ動物であっても、人間とつきあうと、それなりに性格が変ることは事実です。あなは、教えられたことのまったくないとき、つまり生まれてきた瞬間から、できることがありましたか? と聞かれたら答えはどうなるでしょうか。呼吸すること、寝ること、泣くこと、笑うこと、おっぱいを吸うこと、ぐらいでしょう。このような基本的なことについてさえ、後で我々はいろんなことを教えてもらうのではないでしょうか。結局は人間の人生は全て教えてもらうものだと理解したはうが正しいと思います。そういうわけで我々にとって、育てられる、また影響を受ける環境は自分の命と同じくらい大事なものだということがわかります。

子供のときに良い環境を作ってあげるべきだということも、大人になってからも良い環境で生きるべきであることも明白です。ただ問題は、何が良いか、何が悪いかということですが、良い環境というのは、人が幸福になる道で、人が不幸になる道は悪い環境だといえます。

「われらは、不幸になる人のことをゴータマ(仏陀)にお聞きします。不幸への門は何ですか?」
仏陀は答えた。「栄える人を識別することは易く、不幸への門を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる」「悪い人々を愛し、良い人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは不幸への門である」…(Suttanipāta,91.92.94/真理の言葉)

理法を愛する人は理法のある環境を好んで、そのなかに生きていきます。良い人々を愛する人は当然ながら良い仲間をつくります。

「最上の幸福を説いてください」仏陀は答えた。「もろもろの愚かものに親しまないで、もろもろの賢者に親しみ、尊敬すべき人を尊敬すること、これがこよなき幸せである」「深い学識があること、技術を身につけていること、生き方を正すこと、気をつけて意味のある言葉を話すこと、これがこよなき幸せである」…(Suttanipāta,258.259.261/真理の言葉)

このように正しい環境を作り、そのなかで学んで生きることが教えられているお経はたくさんあります。つきあうのに良い人々を選ぶ方法があります。

「自分の過ちを指摘してくれる聡明な人に出会ったならば、その人が財宝のありかを教えてくれる人のように思って従いなさい。そのような人に従うならば、自分が不幸になることはまったくなく徐々に幸福になります」(Dhamapada-76)

自分の過ちを指摘してくれると、気を悪くして背を向けてしまう人もあります。そのような人には良い環境を作ることは無理です。そうなると理法を知る人々が指摘することを控えるようになります。感謝して自分の過ちを直す人が成長していきますが、社会のなかではそのような人は多くありません。ですからお釈迦様は、賢者に対しても以下のようにおっしゃっています。

「他人を指導せよ。教えさとせ。悪いことから他人を遠ざけよ。そうするあなたは、良い人(良い環境を作りたがる人)から愛される。悪い人(良い環境を作りたがらない人)には嫌われる」(Dhammapada-77)

今回のポイント

  • 人の性格は生涯、環境から学ぶことと影響を受けることで成り立っています。
  • 善を嫌う人の人生は、必ず不幸をもたらします。
  • 慈しみの心で自分の過ちを指摘してくれる人に恵まれることほどの幸福はありません。

経典の言葉

  • Na bhaje pāpake mitte - nabhaje purisādhame
    Bhajetha mitte kalyāne - bhajetha purisuttame
  • 悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。
    良い友と交われ。尊い人と交われ。
  • (Dhammapada 78)