パティパダー巻頭法話

No.62(2000年4月)

工夫の達人たち

心は放っておけば堕落する 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

Sāriputta(サーリプッタ) 尊者は『智慧第一』という仏弟子達の最高の位を授けられた、お釈迦様の一番弟子でした。『智慧第一』ということは天才的な能力を持っていたということです。しかしとても謙虚な性格で、たいへんやさしい阿羅漢でした。
インド最高の知識人から幼い子供まで、どんな人でも自由に訪れ、話を聞ける尊者でした。お釈迦様も、やっと7歳になった自分の息子ラーフラが出家したとき、息子の教育をすべてサーリプッタ 尊者に任せました。

当時、インドの知識人にとっては、たいへんおそれ多い存在でしたが、子供たちはそうは思わなかったようですね。サーリプッタ尊者のまわりではいつも、出家した子供たちがたくさん修行していました。
Sukha(スカー) という名の子供も沙弥出家をしていました。教えるにも修行させるにも幼なすぎたので、尊者はこの子をそばに置いて親切に面倒を見ていました。

ある日、サーリプッタ 尊者が托鉢に出かけるとき、この幼い沙弥も一緒に連れていきました。沙弥も喜んでお供しました。托鉢に向かう道の途中、水田のそばを通りかかりました。初めて見る風景に、沙弥は驚きました。そして「このおじいちゃんたち、何やってるの?」とサーリプッタ尊者に聞きました。

尊者は「このおじいちゃんたちは水田に水を導いているんですよ。水というのは自分勝手で、下へ下へと流れていきます。ですのでこのおじいちゃんたちはいろいろと工夫して、下へ流れる水を水田の方へ流れるようにしているんです。それで、豊かな稲を育てて、みんながおいしいごはんを食べられるようになるのです」と答えました。沙弥は「へえ…」と言いながらも考え込みました。

さらに歩くと、矢を作っている作業場を通りがかりました。みんなが忙しそうに自分の仕事に取り組む、活気にあふれる光景を見て沙弥は、「このおじちゃんたちは何やってるの?」とまたたずねました。

尊者は「このおじちゃんたちは、矢を作っているんですよ。矢づくりは、たいへんな仕事です。矢は細くて堅くなければいけませんし、歪みなくまっすぐに作らなくてはなりません。また、矢の先と羽の部分の重さも厳密に調整しなくてはなりません。このおじちゃんたちは何年間も修業して、たいへん真剣に矢づくりに励んでいます。そして、さまざまな形にねじ曲がって何の役にも立たない木の枝を切って来て、暖めたり、引っ張ったり、いろいろな工程を重ねて、とても役に立つ矢にしているんですよ」と矢づくりの大変さが理解できるよう、丁寧にわかりやすく話しました。

沙弥はまた「へえ…」と考え込みました。

またさらに進むと、家具職人の集落を通りました。沙弥がまた驚きました。「このおじちゃんたちは何をやってるの? 大変そうだなあ」

尊者が答えました。「このおじちゃんたちは家具職人ですよ。ここに丸太があるでしょう。これをノコギリで切って、板にしたり角材にしたりします。それから適切な大きさに切って、カンナで削って、ノミで形を整えて、いろいろなおもしろい形の椅子や机などを作ります。椅子の足や背もたれを見てごらんなさい。あの丸太がここまで変わるんですよ。これはライオンの足の形でしょう。こちらはライオンの顔でしょう。これは花の形ですしこれは虎の形ですね。おもしろいでしょう? ちょっと工夫すると、丸太もこのように人の役に立つようになります。放っておいたら丸太は丸太で何の役にも立ちません。君がさっき見た水もそうでしょう。放っておけば海に流れ出すだけでしょう? おいしいお米にはなりませんね。君も出家して遊ぶばかりだったら、だめだなあと思いますけど」

考え込みがちの沙弥は、何もしないで遊んでいる自分のことを、心配してしまいました。そして「尊師、私は何をやればいいのですか」と聞きました。

「そうだね。出家した人というのは、心を育てるものなんですよ。
この世の中で何より大切なものは心です。
それを放っておくと、悪い人間になってしまって、犯罪まで起こしてしまう。そのことで厳しい体罰を受けたり、処刑されたり、また死んでからも地獄に堕ちたりします。
ですから、出家した人は真剣に心を育てなくてはなりません」と尊者が答えました。

沙弥は「では私も頑張りますから、心の育て方を教えてください」と言いました。
そこで尊者は沙弥に瞑想実践の仕方を教えました。

実践法を習った沙弥は、「今から寺へ戻って実践してもいいでしょうか」とたずねました。
尊者は沙弥を寺に帰らせ、一人で托鉢を続けました。
沙弥は真剣に瞑想実践を始めました。
子供が驚くほど真剣に修行するのを見た他のお坊さんたちは、みんな一切音も立てないように気を配り、彼を一人にしてあげました。
尊者は托鉢を終えたあと、午前中のうちに沙弥にごはんを食べさせなくてはならないので、急いで戻りました。

その様子を見たお釈迦さまはサーリプッタ 尊者を引きとめいろいろ話を始めました。
正午を過ぎましたら出家者は食事をしない決まりです。
しょっちゅう食べなくてはいけない育ち盛りの子供にとって、一食主義は厳しいものです。
サーリプッタ 尊者は子供のことが心配でしたが、お釈迦さまにはさからえないので、お釈迦さまの話し相手になって何も言いませんでした。

その間に、沙弥は瞑想実践に成功して悟りを開きました。
それを知ったお釈迦さまは、突然思い出したようにサーリプッタ 尊者に、「あなた、ごはんを持って帰ったでしょう。それを早くスカーにあげなさい」と言って去りました。

Sukha沙弥が修行に励んだとき、皆がいろいろと協力したことと、偉大なるお釈迦さまさえお出かけになって、沙弥が悟るまでサーリプッタ尊者を行かせなかったことがあとで話題になりました。

真剣に実践すれば子供でも一日で悟られるものだなあと、他の修行者の教訓にもなりました。これについてお釈迦さまは、賢者は常に心を育てるために励みましょうとお話しされました。

今回のポイント

  • なんでも自然のままでよいということはありません。
  • 心はもともと汚れていますので、人の心だけは自然なまま放っておくと危険です。
  • 智慧のある人は、必死になって心の成長にのめり込みます。

経典の言葉

  • Udakaṃ hi nayanti nettikā – usukārā namayanti tejanaṃ,
    Dārum namayanti tacchakā – attānaṃ damayanti subbatā.
  • 水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、
    大工・家具職人は木材を矯め、慎み深い人々は自己をととのえる。
  • (Dhammapada 145)