25.自ら試し、確かめる 3
悟りを開いた人たち①
対機説法というのは不完全なものでしょうか? 対機説法は特定の個人だけに説いた教えだから完全なものではないと考えている宗派もありますが、答えは明快で、対機説法は不完全な教えではありません。その理由を、例をあげて説明いたしましょう。
生まれた者は死ぬ
お釈迦さまの在世中、キサーゴータミー(Kisâ Gotam])という名の母親がいました。
自分の子供が死んだとき「どうして私の子が死んだのか」と、自分の不幸を嘆きました。「なぜ私だけこんなに苦しい目に遭わなければならないのか。これはおかしい。薬を見つけて子供を治さなければならない」と考えて、子供の遺体を抱いたまま、あちこち薬を探し回りました。そのときお釈迦さまに出会ったのです。キサーゴータミーがお釈迦さまに、「どうかこの子を治してください」とお願いしたところ、お釈迦さまはこう言いました。「わかりました、治してあげましょう」と。普通なら「死んだ人が生き返るはずがない」とか「いい加減にしないか」「頭がおかしいんじゃないか」「精神科に行きなさい」などと言うでしょう。お釈迦さまはまったく違う態度をとられ、「娘さん、治してあげます」と言われたのです。キサーゴータミーは「これで私の苦しみが治る」と大変喜びました。お釈迦さまは「では、マスタードをほんの少し持ってきてください」と言いました。マスタードはインドにはどこにでもあるもので、料理にも薬にも使いますから手に入れるのは簡単です。キサーゴータミーは、これで子供が生き返ると思い「すぐに持ってきます」と探しに出かけようとしたところ、お釈迦さまは「ちょっと待ってください。マスタードを、人が死んでいない家庭からもらってきてください」とおっしゃるのです。そこでキサーゴータミーは人が死んでいない家庭を探しました。しかしどこの家に行っても死人を出したことのない家庭などありません。いくら探しても見つからず、ようやくキサーゴータミーは「これは私だけの苦しみではない。生まれた者はみんな死ぬ」という真理に気づいたのです。この真理に目覚めたとき、それまでの途轍もない悲しみも苦しみもすべて消滅し、心が静かになって落ち着いたのです。これをきっかけに、彼女は修行し、冥想に励み、悟りを開いたのでした。
お釈迦さまがキサーゴータミーという一人の女性に教えたことは、彼女個人だけの問題でなく、人類すべて、いや生命全体に当てはまる普遍的な真理なのです。対機説法こそ、本物の説法であり、その一つひとつは完全なる教えなのです。
お釈迦さまに出会った人たち
お釈迦さまは悟りを開かれた日から涅槃に入られる日まで、無数の人々に出会い、法を説かれ、人々の苦しみを解決し、悟りに導かれました。その代表的な方々を何人かご紹介しましょう。
卓抜した天才
まずは「智慧第一」と称されたサーリプッタ尊者です。
サーリプッタ尊者(Sâriputta Thero)は桁違いに天才で、抜群の知識能力があり、非常に明晰で、理論的、論理的な一方、大変謙虚で、穏やかで、落ち着いた性格の持ち主でした。このサーリプッタ尊者と、「神通第一」と称されたモッガッラーナ尊者(Mahāmoggallāna Thero)の二人は、お釈迦さまに会い、教えをたった一行聞いただけで悟った二人です。これは普通の人間には決してできることではありません。たった一行聞いただけで「これが真理だ」と理解できるのですから、この二人は並大抵の人ではありません。卓抜した天才なのです。
俗世間から離れて修行に励む行者
当時のインドには修行者たちがたくさんいました。俗世間とはまったく関係を持たず、人と顔も合わせずに、欲を捨て、森の中で何年も何年も冥想に励み、徹底的に修行をしていたのです。いわゆる仙人といわれる高い精神的境地に達している人たちもいました。ですから並大抵の人々ではなかったのです。でも、そういう修行者たちにも、心にちょっとした不安がありました。冥想してすごい喜悦感を感じるのですが、微かに不安が引っ掛かっているのです。そこで、そういう雲の上のような存在の善人たちも、お釈迦さまに会う機会があったら法を聞き、対話して、心に引っ掛かっている不安を取り除き、完全なる悟りを開いたのです。
学問のないチューラ・パンタカ
二行の句も覚えられないチューラ・パンタカ(Cûlapanthaka)という若者がいました。
優秀な兄のマハー・パンタカに連れられて出家したものの、なかなか学問が進みません。出家して三ヶ月間たったのに、二行の句も覚えられず、すぐに忘れてしまうのです。兄は弟をかわいそうに思い、ある日「君には仏教は向いていませんから還俗して家に帰りなさい」と、チューラ・パンタカを破門しようとしました。このことを知ったお釈迦さまはチューラ・パンタカのところに行き、布を一枚手渡して「この清浄な布に心を集中して、汚れを揉みふき取るという言葉を繰り返しながら、磨きなさい」と言いました。チューラ・パンタカはお釈迦さまに教えられたとおりに実践していると、やがて「清浄な布が汚れていく」ということに気がつきました。そして「すべてのものは変化する」という無常の真理に目覚めたのです。
お釈迦さまは、チューラ・パンタカには難しい学問は向いていないということを知っていました。でも学問ができないからといって悟れないわけではないのです。そこで、彼にとって最も適した修行法方法を教えました。チューラ・パンタカはそれを忠実に実践し、見事に悟りを開いたのです。
大商人・アナータピンディカ
大商人の中で有名な人は、在家信者の第一人者のアナータピンディカ(Anâthapindika)です。
アナータピンディカは非常に心のやさしい人で、惜しみなく貧しい人たちを助けていました。ある日のこと、商用で知人の長者の家を訪ねたところ、とても忙しそうにご馳走を準備しているので、アナータピンディカは「何かあるのですか」と尋ねると、長者は「明日、お釈迦さまとお弟子さんたちにお布施するのです」と言いました。それを聞いたアナータピンディカは「お釈迦さまがいらっしゃる」と、大変喜びました。その夜、アナータピンディカは明日まで待つことができず、真っ暗闇の中、お釈迦さまを迎えに出かけたのです。外はあまりにも真っ暗なものですから、途中、何度も怖くなり、不安になって引き返そうと思いましたが、それでもお釈迦さまを迎えに行こうと前に進みました。やがて、お釈迦さまが暗闇の中で座っていらっしゃる姿が見えました。アナータピンディカが近づいていくと、「スダッタ、よくここへ来ました」と、お釈迦さまが言われたのです。アナータピンディカは、お釈迦さまがスダッタという自分の本当の名前を呼んでくれたことに感激し、お釈迦さまの足元に礼拝しました。お釈迦さまはアナータピンディカに、布施、戒律、欲の危険性、解脱の功徳などを説き、さらに四聖諦を説かれました。(この説法の方法は、順を追って次第に法を説くという意味から、次第説法とも言われています。)アナータピンディカはこれらすべてを理解し、悟りを開いて聖者の最初の位である預流果に達したのです。
アナータピンディカは、お釈迦さまやお弟子さんたちが修行しやすい静かな場所をお布施したいと考えて精舎を建立しました。これが有名な「祇園精舎」です。
便所掃除の不可触賤民
お釈迦さまは、不可触賤民(当時のインドで不浄とみなされ、社会的・経済的に大きな差別を受けた階層)にも法を説かれました。スニータ(Sunîta)やワッサカーラ(Vassakâra)は不可触賤民で、便所掃除を生業とし、人々から卑しまれてきましたが、お釈迦さまはこういう人たちの出家も許可されたのです。二人は懸命に修行し、完全なる悟りを開き、「八十人の弟子」の中に入りました。お釈迦さまは誰であろうと差別することなく、聞く耳を持っている人には真理を説き、悟りの道を教え、苦しみをなくしてあげたのです。
(次号に続きます)