折々の法話

スリランカの少女が父に語るブッダの教え

20種の有身見

  • 監修:アルボムッレ・スマナサーラ長老
  • 日本語訳:Thushantha Thilakarathne
  • 協力:井上裕絵

前生で仏教の真理を理解し、預流果に達してから再び人間に戻っても、覚りの智慧はそのままです。今回ご紹介する女の子は、言葉を喋れるようになってすぐ、大人にも理解できないほど難しい仏教の真理を語り始めたのです。この子は勝手に説法をし始めたので、皆びっくりしたことでしょう。お父さんが娘の弟子になって、子供の話を皆にわかりやすくするために、色々と質問します。このお父さんも立派な方だと思います。

*  *  *

今回の説法では、有身見は20種類になることと、眼耳鼻舌身意に色声香味触法が触れることで「私・自我」という見解が現れるのだ、ということを説明しています。

アルボムッレ・スマナサーラ長老

父:○○ちゃん、三宝のご加護がありますように!

娘:〔お父さんにも、〕三宝のご加護がありますように!

父:今日は満月でいろいろ忙しかったから、朝から出かけていたから何か法話とかもできなかったね。もう夕方にもなったし遅い時間だけど、○○ちゃんの法話を聞いている皆が法話を聞きたいと思っていることだし、今から何か法話をお願いできますかね?

娘:はい。大丈夫ですよ、お父さん。

父:それじゃあ、短くてもいいので何か○○ちゃんの知っている法話をしてもらえるかな。

娘:うん、それじゃあ、お父さんの知りたい法(ダルマ)についてのこと、何かあります?

父:そうですね。以前にある法話で20種の有身見(サッカーヤディッティ)について解説していたと思うけど、それについて聞いた皆がもっと解説を望んでいるみたいだから、その話をもっと解説したら重要かなと思ったけど。

娘:わかりました。(合掌して)全ての正覚者へ礼拝を致します! それでお父さん、20種の有身見というのは、五蘊それぞれの色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊という5つについて、それぞれ構成する4項目です。5個分(五蘊の各項目が4項目を構成しているので、5×4=20)全てを合わせて20種ということです。

例えば、まず1番目の色蘊の解説をしてみると、その色蘊はこのように、①色蘊の中に「私」がいて(色蘊は私だ)、②その私の中に「色蘊」があり(私とはこの色蘊だ)、③その色蘊の中に「自我」があり(色蘊があるので私だ)、④その「自我」の中に色蘊がある(自我があるので私だ)。それでお父さん、ここ(色蘊)にこのような4つの項目があります。

父:はい、そうですね。4つですね。

娘:それで、次にまた受蘊も、①受蘊の中に「私」がいて(受蘊は私だ)、②その私の中に「受蘊」があり(私とはこの受蘊だ)、③その受蘊の中に「自我」があり(受蘊があるので私だ)、④その「自我」の中に受蘊がある(自我があるので私だ)。それでお父さん、このようにここ(受蘊)にも4つあって、今は8個ですね。

父:はい、それで……

娘:次に想蘊も同じように、①想蘊の中に「私」がいて(想蘊は私だ)、②その私の中に「想蘊」があり(私とはこの想蘊だ)、③その想蘊の中に「自我」があり(想蘊があるので私だ)、④その「自我」の中に想蘊がある(自我があるので私だ)。それでお父さん、このようにここ(想蘊)で今度は12の項目ですね。

父:はい、今度は12個ですね。

娘:はい。それで、ええっと……

父:色蘊、受蘊、想蘊で次は行蘊ですね?

娘:あっ、はい。次に行蘊で、その行蘊にも、①行蘊の中に「私」がいて(行蘊は私だ)、②その私の中に「行蘊」があり(私とはこの行蘊だ)、③その行蘊の中に「自我」があり(行蘊があるので私だ)、④その「自我」の中に行蘊がある(自我があるので私だ)。それでお父さんこのようにここ(行蘊)で、ええっと……

父:16項目ですね。

娘:そうだ、16ですね。で、次の解説は……色蘊……受、想、行蘊?

父:あっ、それは解説しました。次は識蘊だ!

娘:はい、識蘊です。その識蘊には、①識蘊の中に「私」がいて(識蘊は私だ)、②その私の中に「識蘊」があり(私とはこの識蘊だ)、③その識蘊の中に「自我」があり(識蘊があるので私だ)、④その「自我」の中に識蘊がある(自我があるので私だ)。それでお父さん、このように全部で20の項目ですね。

父:あっ、なるほど。有身見20種はこのように構成されるんだね。以前、五蘊の各5項目からそれぞれ4項目の〔有身見が〕構成されると解説してもらったただけだったけど、今回の法話ではこのように詳しく解説してくれたことはとても重要だね。これで、この法話(ダルマ)を聞くたくさんの人が言われてもわからない、理解しにくいこの〔有身見の〕話の憶え方とかもわかるようになるかもしれない。

それで、○○ちゃんのすべての解説に、大体は……ええっと、「私の中に○○」とか「○○だから私」とあるようだね。だからそれを、例えば「色蘊の中に私がいて」、「その私の中に色蘊があり」……ということを皆にもっとわかりやすくなるように解説してくれますか?

娘:はい、お父さん、私はお父さんにたとえ話で解説しますね。

父:あ、そのほうがいい。お願いします。

娘:例えば、お父さん〔がいる〕としましょう。

父:はいはい。

娘:ほら、お父さんは、お祖母ちゃん(お父さんの母のこと)のおなかの中で〔生まれる前〕、お爺ちゃんお祖母ちゃんが一緒になって、あるとても小さな小さな一つの細胞としてできてきましたよね。それでそうやってそこから成長して、お父さんは大きくなってきているけれど、そのお父さんができてきた小さな細胞がどんなに小さいかといえば……ええっと、例えば、馬の毛を千分の一に分けてその中の一つぐらいの小さなもので、それでもまだ目には見えない……

父:うんうん。とても小さいね。

娘:で、お父さんはそんなに小さいものから……

父:そこから生まれて、それで○○ちゃん?

娘:で、そのおなかの中にいるときにね……あのう、お父さんに質問だけど、おなかの中にいるときに、お父さんは「これは私だ、ここにいるのは私……」というか、ええっと……

父:というのは、その細胞がおなかにあるときに、それは「私だ」と思ったのか、ということが、○○ちゃんが今、質問したいこと?

娘:はい。

父:いえいえ。そのときにはそんなこと何もわからないし、認識もない。それで?

娘:では、お父さんじゃこれ〔について〕も教えて。

父:何?

娘:その〔おなかの中の〕細胞があったでしょう? そのとき何がそこにあったの?

父:う~ん? まぁ、私たち誰でも、〔一般的に〕それに対しては、そこに一つのエネルギーがあったと言いますね。う~ん……○○ちゃん解説してみて。

娘:お父さん、エネルギーと言っても、そこにあった〔エネルギーというの〕は、地・水・火・風です。

父:あっ、なるほどなるほど。○○ちゃんが言うのは、そこにあったとても小さな細胞でも、その本質は地・水・火・風ということですか?

娘:はい、そうです。

父:ああ!(驚きながら)○○ちゃんが言うことは正しいね。エネルギーと言っても、〔エネルギーと言うより〕そこにあるのは地・水・火・風だね。その表現が最適だね。それで?

娘:で、そのお祖母ちゃんは、お父さんがおなかの中にいるときには何を食べたりしたの? その食べたものは?

父:まぁ、お祖母ちゃん(母)は肉を食べないから、お米や野菜とか、まぁエネルギーと言いたいけど、○○ちゃんは先に、結局は地・水・火・風と言っていたので、食べたものも地・水・火・風ということになります。それで?

娘:それで、お父さんは大きくなって、おなかから出てきて生まれますね?

父;はい。

娘:それで、お父さんが生まれたとき、両親はわかりますか?(お父さん、お母さんという認識はありますか?)

父:生まれたとき? そのときに認識がないから、お父さんお母さんについてはわからないね。それで?

娘:じゃあ、お父さんはそのとき、「これは大空、これは大地」とか〔などといった認識は)わかりますか?

父:そのときにそんな認識はないので、わからないね。

娘:それじゃあ、その時に「これは善、〔これは〕悪」ということを知って(認識して)いましたか?

父:いいえ、その瞬間にはわからないですね。

娘:そうですね。では、善行・悪行はわかりますか?

父:いえいえ、まったく!

娘:(繰り返して)大空も、大地も、わかりますか?

父:いえいえ、まったく。なんにも、ぜ~んぜん知りません!

娘:では、お父さん。最低限「これは私だ」ということさえ、そのときわかりますか?

父:(笑いながら)それさえも……何も生まれた瞬間にはわからないね。

娘:じゃあ、もっと聞きます。その細胞はあったよね? その細胞の中に自我はありましたか?

父:いいえ。「自我」「私」というものはないですね。

娘:では、〔おなかから出て〕生まれてきた瞬間、そこに「自我」、変わらない私と言えるもの(アートマン)はありましたか?

父:(答えに困りながら)う~ん……そのとき、まぁ 「私」はいない(認識はない)けど、でも生まれるときに私たちは、〔一般的に〕「私は」と言う。「私が生まれる」「私がそのとき生まれた」と、普通そのとき言いますから。私の考えは間違い? ちょっとわからないなぁ……。それって、○○ちゃん、何ですか? 教えてくれる?

娘:お父さんは、おなかから出てきて生まれたと思っているでしょう?

父:そうだよ、お母さん(お祖母ちゃん)のおなかから……

娘:はい、これからお父さんに教えてあげます。じゃあ、お父さん、さっきから言っている話だと、おなかから出てくるときにも「私」というものがいなければおかしいでしょう?

父:でも、さっきも言ったように、そのときは、大空も、大地も、私も、わからないから、知らないからと言ったでしょう?

娘:そのときに、そういうものはなかったでしょう?

父:はい、そうです。

娘:では、生まれたときになかった「私」は、今どのように構成されましたか?(どこから「私」が来たのですか?)

父:私は、それについてどうやって考えればいいかわからないから、教えてくれる?

娘:はい、お父さん。私たちは、眼・耳・鼻〔舌・身・意〕を通して「私」を構成しています。

父:もっと詳しく解説してくれる?

娘:〔子供が〕成長する過程で、両親が「そこにいるのは息子だ」、「この人は、息子だ」ということを言っているので、それに少しずつ慣れて、「私」を構成していきます。

父:なるほど! 両親がそのように対応するので、「あっ、ここにいるのは『私』だ」と認識するんですね? それで、あの眼・耳・鼻〔舌・身・意〕から構成するということをもっと説明お願いします。

娘:はい、もう一回解説すると……例えばお父さん、この瞬間に生まれたとしたら、「これは『私』だ」ということはわからないでしょう?

父:はい、それ〔については〕わかりました。

娘:それで、生まれたときになかった「私」が、大きくなっていくと日常〔生活の中〕で両親が「息子」と呼んだり「これはあなただよ」と言ったりすると、「自分」が眼に見えるし、耳に聞こえたりもする。また、心(意)で感じたりもして、それを元に「私」を構成していきます。

父:ああ、それで両親が教えてくれるから「私」を作っていくんだね。お母さんや木、人々、世の中のすべても、私たちが眼・耳・鼻〔舌・身・意〕を使って作っていくものだね。そうすると、その「私」は眼・耳・鼻〔舌・身・意〕からできたということ。○○ちゃんにわかる言葉で、もっと説明できる??

娘:例えば、ある女性が同時に二人の子供を生んだとします。一人の子供を普通に常識的に育てて、教育も与えて、世界各国も回ったりもして大きくなる。もう一人は生まれてすぐに部屋の中で、機械を通じて食事を与えながら世間との関係を完全に遮断させて育てます。

そうやって、部屋の中で育った子供を大きくなったら外に連れて行って、空を見せて、「あれ何ですか?」と訊いても、答えられないでしょう? 何もわからない。でも、普通に育った子供は常識的なことは何でもわかります。そのようなものです。

父;あーなるほど。常識的に育った子には普通の感覚が構成されていても、部屋で育った子には常識的なこと(概念)が構成されてなくて、「私」の概念も〔あえて構成されなければ〕ないということですね? もっと解説してくれるかな?

娘:うーん……

父;わかりました。今日は満月なので、朝から○○ちゃんは忙しかったんですね。今日、瞑想指導に行って、家に戻ったのは午後7時半も過ぎてからです。○○ちゃんがとても疲れているから、法話はこれで終了しましょう。 (※お父さんが娘を祝福する場面で終了します。)

初出:パティパダー2021年7月号

出典:සිතන්න යමක් ..වඩන්න මගක් …15|Sachi Samidu