【今の瞬間を生きるということ】冥想実践を続けるためのポイント/過去を思い出すのは悪いことか/物忘れへの対処法/不安に気づくと苦しい/善悪の基準をどう説明するか
パティパダー2015年5月号(211)
冥想実践を続けるためのポイント
いまこの瞬間の境地に達するために必要な実況中継とかヴィパッサナー冥想を日々実践しています。長老の法話を聴いたりして、しばらくはすごくやる気になって実践してみるのですが、なかなか続きません。疲れてくるとサボったり、「今日はまあいいか」と実践が続かず、自分の中でジレンマがあります。どうしたら冥想実践を続けることができるのか、なにかアドバイスがあればお願いいたします。
心は怠けて苦しみたい
心は、そのように怠けて苦しみたいのです。幸福になる道を教えてあげても、心は勘違いから脱出できず、ふたたび悩み苦しみに依存します。心が依存したがるものは、心の成長を妨げる障害なのです。ですから、たまにヴィパッサナー冥想をした方がいいかなと思っていても、すぐに依存する方に戻ってしまうのですね。アルコールや麻薬中毒と同じようなものです。
麻薬中毒の人に「麻薬は止めた方がいいんじゃないか?」と訊いてみてください。「それは、本当に止めたいです」と言うだけです。しかし、「今日だけ」ということで手を出してしまいます。
ですから、私たちもヴィパッサナー冥想をした方がいいと知っているのですが、実況中継した方がいいと知ってはいるのですが、「今は、まあいいや。やめた。明日やります」ということになってしまうのです。本人は気づかないが、「今日は妄想で生きるぞ」ということになっているのです。依存に戻るのです。
プライドを使うこと
ですから、これは「必ずやります」「決めたことはやるぞ」という精進・誓願が必要で、そのようにプライドを使わないといけません。「私は曖昧・中途半端な性格じゃない」「やると決めたら、しっかりやる」と、「『やりたくない』という気持ちに打ち勝つことは、すごい勇気のあることだ」と、そういうふうに自分を奮い立たせることが必要なのです。
簡単な言葉で言えば、自分のプライドを使うということです。「また負けてしまった」ではなくて、「負けてはいけない」「過去に戻ってはいけない」「将来に期待してはいけない」というプライドを持つのです。心が過去や将来を妄想しているとき、ヴィパッサナー冥想を止めて悩んでいるときは、「今、心が過去の幻覚に嵌められて悩んでいる」「今、心が将来という幻覚に嵌められて悩んでいる」「今感じる悩みは将来を考えるから起きているのだ」と実況中継してみる。簡単です。「今私は冥想を後回しにして感情の奴隷になろうとしている」とかね。
つまり、これが悪い・これが善いという判断はしないで、「今の状況はこのようである」と確認するのです。そのように確認すると問題は解決すると思います。冥想・実況中継では、その状況に目覚めている必要があるのです。状況の判断はしません。
過去を思い出すのは悪いことか
過去と将来について考えてはいけないということなのですが、過去の楽しい思い出とか、そういうことも考えてはいけないのでしょうか?
過去を思い出すのはもったいない
過去を考えると、あなたは現在を忘れてしまいます。それはもったいないことなのです。過去でご飯を食べて美味しかったということが何になるのですか? お腹が空いているならば、いま食べなくてはいけません。楽しい過去であろうが、悲しい過去であろうが関係なく、それを考えることはもったいないのです。
思い出して楽しい気分になったとしても、もったいないのでしょうか?
そうであっても、もったいないのです。今の瞬間を失ってしまうからです。今・現在はもっと楽しいはずです。「今」ということに集中すると、ものすごく楽しいし充実感があるのです。今が悲しい・不満であると勘違いしているから、過去を思い出して妄想の喜びを味わおうとしているのです。いわゆる、今から逃げようとしていることになるのです。
思い出してしまうということは、誰にでもあります。それは避けられません。危険なのは、過去の思い出に足を引っ張られて、現実的な今の生き方を台無しにすることです。過去のことを思い出してしまったとしましょう。少々、楽しくなってしまったとしましょう。「それは過去のことだ。現実ではないのだ。時間を無駄に費やしてはいけないのだ」と思って、過去に対する感情を捨てなくてはいけないのです。
たとえば、過去の楽しいことを思い出して、「よし、もう一度楽しい気分になりたいな」と活力になるにしても違うのですか?
思い出は足かせになる
世間では、そのような考えもあります。過去の成功を思い出して、これから張り切って頑張ろうではないか、という考えです。現実のありのままの姿をまったく知らないから、そのように思うのです。過去の条件と今の条件は同じではないのです。過去の成功を思い出して頑張っても、今、挑戦することは失敗で終わる可能性もあります。今の状況を正しく判断して、どのように挑戦すればよいのかと考えるならば、成功する可能性が高くなります。過去の思い出が足かせになって、今を失敗に終わらせる可能性のほうが遥かに大きいのです。
たとえば、あなたは過去に友達と一緒に旅行して、ものすごく楽しかったとする。それを思い出してしまうと、もう一度その同じこと・気分を再現・繰り返したくなるのです。それはあり得ないことです。
また同じ友達を集めて、同じ場所に行ったとしても、それは過去の経験とは違うものになります。そうすると面白くなくなるのです。過去と同じことを再現しようとしても、同じような楽しみは生まれてきません。もう慣れてしまっているのです。つまらなく感じます。ですから、いつでも「今の瞬間を楽しまなくてはいけない」ということにしてください。
妄想を楽しむのは危険
恋愛の場合は、もっと酷いことになる可能性もあります。恋愛の場合、みんな過去に引っかかってしまって、相手と別れられずに女性が殺されてしまうこともあるでしょう。
仲良くしていて、ある日別れる。別れても男性は仲良く一緒にいたときの楽しみが忘れられないのです。それを取り戻そうとする。しかし、女性はきれいさっぱり忘れて、男性のことを嫌になっているのです。相手の性格が悪い、乱暴でケンカもする、怒る、殴るなど、あれこれ理由があって別れたのです。
男性は、自分が相手に対してやってきたことは忘れ、その女性と一緒にいたことをすごく楽しかったと思い、ただそれを取り戻そうとするのです。それを女性が断ると、相手を殺したりもする。ですから、楽しい過去を思い出すことも危険で、軽く見ない方がいいのです。
男性のことを例に出したのは、現実社会でこの類の犯罪が起きているからです。しかし我々は過去の楽しい思い出を、自分の都合のいいように解釈して、再び同じ現象を再現しようとするのです。それは不可能なことです。余計な悩み苦しみが生じて、その悩みから脱出できない状態に陥るのです。子供が二人三人いるお母さんが、ある日、自分の結婚式のアルバムを見る。綺麗な服装を身にまとっていた自分が、とても美しく写っているのです。それで、楽しくなります。では、その楽しみを引き金にして、あの状況をふたたび再現することはできますか? もしそんな無理なことに挑戦しようとしたならば、頭がおかしくなったと言わざるを得ないのです。その人は、いま現在の幸福を台無しにしているのです。
過去は過去で終わりました。思い出しても、今思い出したことで楽しんでいるのです。過去を楽しんでいるのではなくて、今、頭のなかで回転している妄想で楽しんでいるのだ、と理解しなくてはいけません。
「過去は上手くいってきた」とまとめる
別な見方で言えば、いま元気でいる・生きているということは、過去で上手くいったということでしょう。ですから、総合的に「過去は上手くいってきた」とまとめてしまえばいいでしょう。過去が上手くいっているのだから、いま元気でいるわけでしょう。過去にすごく失敗しているなら、死んでいるかもしれません。
たとえ過去に事故に遭ったり、ケガをしたり、損をしたとこがあったとしても、いま生きているのですから、上手くいっているのです。そういうことを乗り越えてきたのです。ですから、いちいち過去を項目ごとに思い出す必要もなく、「まあ過去は良かった」とまとめてしまうのもいいのです。
ですから、過去にどんなことがあっても「それでも私は生きている」、それでいいのです。過去をいちいち項目ごとに思い出すと、すごく面倒なことになります。
ということで、ふと過去を思い出して楽しい気分になることぐらいは構いませんが、過去に生きるべきではないのです。それを栄養にするべきではないのです。今に生きてみましょう。
物忘れへの対処法
大事なことも、簡単なことも、わりとすぐに忘れてしまうことに悩んでいます。どうすればいいでしょうか?
過去や将来にさまようと大事なことを忘れる
別にそれほど悩まなくてもいいと思います。大事なことを忘れて困っている、という場合は、忘れたのは今行なうべき大事なことなのです。ということは、今、あなたが過去に生きているのです。今、現在に生きていないのです。心が過去の妄想のループに入ってしまえば、誰だって大事なことも、それほど大事ではないことも、うっかり忘れてしまうのです。もの忘れとは、過去の幻覚に閉じ込められている人々の問題であると理解しては如何でしょうか? もの忘れという病気もあります。それは脳の問題です。病気の場合は治療しなくてはいけないのです。もの忘れ症状がある時も、面白いことにその方々は現代のことは忘れるが、過去のことの何かに引っかかっているのです。
たとえ若い人であっても、時間のほとんどを過去か将来に生きることにしてしまったら、いま行なうべき大事なことを忘れてしまうのです。それで損をしたり、社会から非難を受けたり、仕事が無くなったり、友達を失ったり、という散々な結果になります。もし人が、今を見て生きることに挑戦するならば、何も忘れません。忘れるという言葉も成り立ちません。本人は今、やるべきことをやっているのです。何か忘れたと気づいた瞬間、過去か将来の何かに心がさまよったことになります。ご自分で調べてみてください。現実は今の瞬間のみである、という真理を知っている人にとっては、「忘れる」という単語は成り立たなくなります。妄想と忘れるという二つは、ペアです。現実を妄想することはできません。ですから、現実のみを生きる人に、「忘れる」という現象は存在しません。
今を生きていない人は死人と同じ
ひとは、妄想することが癖になっているのです。今を生きていません。「今を生きていない人々は、死人と同じである」と釈尊が説かれたのです。過去・将来の妄想にさまよっている私たちも、死人同然なのです。認めたくはない嫌な言葉だと感じるかもしれません。死人は、今なにが起きているのかと全く分からないのです。過去・将来の妄想にさまよっている人も、今なにが起きているのかと気づいてないのです。分からなくなっているのです。ですから、死人同然なのです。お釈迦様の力強い戒めの言葉です。過去のこと将来のことが、つい頭に浮かんで妄想の中にさまよったら、ただちに「今、私は死人同然だ」と思い出すならば、現在に戻ることができるのです。
今に目覚めているということが、生きているということになります。今に目覚めている人は、すごく元気なのです。常に「今はどうか? 今はどうか?」と自分に訊いてみてください。そうすると大事なことは忘れません。頑張ってみてください。
不安に気づくと苦しい
半年ぐらい前から冥想実践に取り組んでいます。怒りの感情などは、だいぶ対処方法が分かってきたのですが、どうしても「不安」が出てきてしまいます。「不安」の感情にも気づくのですが、なかなか消えません。それで苦しいのですが、何か良い方法はあるでしょうか?
不安とは将来
いたって簡単です。「不安」とは将来です。将来という幻を怖がっているのです。若いときも不安があったでしょう。しかし、その時の不安は今ないでしょう。これからも同じことになるのです。
ですから、現在を生きているのに、「将来」という幻が割り込んだところで不安になるのです。ということで、私が言ったことが本当のことかどうか、冥想中に確認してみてください。以上です。
善悪の基準をどう説明するか
善悪の概念について、「これはいい・これは悪い」という善悪の区別も概念だと思います。その区別が何となくわかっているつもりですが、それを他人に説明するときにどうしたらいいでしょうか?
善悪は定義として考える
「今の瞬間しかない」という立場から言えば、善悪など何も存在はしないのです。しかし、それは私たちがいま経験していないことなのです。ですから、仏教ではそれを「超越した境地」と言うのですね。「超越」という単語さえも、今の状況と比較したものです。単語を使うとなると、比較する世界になってしまいます。それは言語を使う私たちには避けられない問題でもあります。
善悪の場合は、定義として考えた方がいいと思います。「不幸が増す行為」は悪です。「不幸が減って安らぎを得る行為」が善です。それだけです。