あなたとの対話(Q&A)

若者の悩みに答える

パティパダー2016年8月号(206)

最近の私の悩みなのですが、いろんなことにすごく執着してしまいます。いろんなことに対して怒ったり、残念に思ったり、後悔したり。いろんなことにこだわった結果、マイナス思考、ネガティブな感情が出てきてしまう。それが苦しいのです。プラス思考に変えたいと思うのですが、実践する方法が分かりません。どのようにしたらいいのでしょうか?

「失敗して良かった」と思えばいい

 あなたのような若者は特にそうですが、ひとはいろんなことに執着して、いろんなことをやってみるものです。でも当然、失敗したりします。失敗したら、「これで良かったんだ」「あぁ、ダメだった」と思っちゃえばそれでいいのです。もし期待していたことが上手くいったら、もっと酷い目に遭っていたかもしれませんからね。

 ヘンな例を出します。若い人が大学に入ろうと頑張ったのですが、いくつか受験し、みんな落ちてしまって、しかたがなく専門学校に入ったとします。それでも「大学に行きたかったのになぁ」「失敗したなぁ」と悩むのではなく、「これで良かった」と思うこと。専門学校できちんと学べば技術も身に付くし、仕事の求人もある。就職活動する必要もないかもしれません。

 一方、大学で何かの学部を出たからといっても、それだけでは仕事がないのです。ですから、就職活動をしなくてはいけない。それから会社に入ったとしても、また就いた仕事の勉強をしなくてはいけません。その上、自分に能力があるかも分からない。結構、ややこしいのです。

 専門学校だったら、最初から道は決まっているし、就職して会社に入ったとして、いままで勉強してことだから「仕事をしてください」と言われるだけです。だから、「失敗して良かった」と思った方が楽なのですね。

将来は誰にも分からない

 私たちは先がわかりませんから、いろんなものに挑戦するのです。あれもこれもやりたがる。それは、先が分からないからのですね。試してみなくちゃ分からないのです。自分の将来がわかっているんだったら、そんなに困る必要はありません。

 将来というのは、絶対、誰にも分からないものなのです。将来を理解する方法もありません。そこを良く憶えておいてください。預言者は存在しなかったし、しないのです。聖書の類のものには「預言」「預言者」の話がいっぱい出てくるでしょう。よく読んでみてください。完璧に、真っ赤なウソです。ひとつとして当たった預言はありません。

 将来を読みとるのは不可能ですから、私たち一般人は将来がわかったらありがたいなぁと思っているのです。仮に将来がわかって楽かというと、例えば宝くじというシステムがあります。時々、看板を見ますが、一等はかなりの金額ですね。それであなたが将来を知っているとします。今回の宝くじの当選番号を知ったとしましょう。楽でしょうか? いいえ、楽ではありません。一等の当たり番号を知っていたとして、どうしますか? 全国を歩いて、その番号の宝くじを探しますか? それはあり得ないでしょう。たとえ宝くじの一等の当選番号を知ったとしても意味がないのです。

 そういうことで、私たちは過去にノストラダムスの予言とかを真に受けて、あたまがおかしくなっていました。彼は詩人だったようで、詩人としての能力は認めます。詩を書く人ですから、何でも曖昧で書くのが当たり前なのです。そこで私たちはバカで、自分勝手に解釈・解説して、「預言が当たりました」と思う。実際には、ひとつも当たっていません。

分からないからこそ、やってみる

 私たちは、いまの瞬間から次の瞬間、どうなるか分からないのです。仏教でなくても、いろんな本を読んでみると、特に若者向けに書いている本を見てみると、哲学のようなものを面白く書いているのです。いつでも将来のことになると、それだけは絶対に分からない、と書いているのです。書いている人も良く知っているのですね。将来は混沌としていて、まだ固定していない。ですから、いろんな道がある。いわゆる、可能性がたくさんあるという意味ですね。こうなるかもしれない、ああなるかもしれないという可能性が、いくつかあるのです。

 その将来を分からない私が、あれもやってみたい、これもやってみたい、ということになるのです。ですから、あなたのような若者がやっていることは自然の流れなのです。あれにも欲を持って、これにも欲を持って、何かやったら、さらに他のことがやりたくなってくる。それで私たちのような年寄りが、若者を怒鳴ったり、バカにしたりするのです。「なにをしているんですか? 途中でやめちゃって、また他のことをやろうとする」「どうせすぐ止めちゃうくせに」とからかうのが大人の仕事です。親にごちゃごちゃ言われることで、いくらかバランスが取れるのです。そう言われても、本人は試してみたい。試してみて二日で諦めてしまう。それは、私は自然だと思います。

 ですから、あなたのような若者が大人にいつでも怒鳴られたり、バカにされたりする状況も、それも自分のお守りになるのです。よく憶えておいてください。

ポジティブ思考でなくても大丈夫

 例えば気に入った女の子がいて、かわいいなと思ったとする。その女の子が、自分に合うか合わないかわかりません。自分と友達になってくれるかもわかりません。それで、ちょっと挑戦してみる。しかし、大失敗。ということは、それはアウトということでしょう。悔しい気持ちもあるかもしれませんが、しかし、別な人に挑戦するということにしなくてはいけません。

 そいうふうに迷いだらけで生きることが、普通なのです。それで年を取って30代や40代になってくると、道が決まってしまって迷うことが少なくなるのです。その人にとっては、人生は面白くないのですね。毎日やることが決まっているから、若者のようにワクワクしたり、不安だらけだったり、それがなくなっているのです。道が決まっていると、元気や活発さが弱くなるのです。

 それから、ものごとはポジティブ思考で見なくてもいいのです。将来のことが分からないくせに、なぜポジティブにみなくてはいけないのですか? やってみたいことが上手くいっていいのかどうか、ということも分からないのに。

長老にも「日本に来る計画」はなかった

 昔の話ですが、私は日本に来たくはなかったのです。外国に行って研究や活動をしたいと思っていたのですが、自分の思考パターンや能力からすると、欧米しか合わないと思ったのです。フランクによく喋れるし、お互いにすごく理解できる。相手が思っていることが間違っていたら、お互いに議論して納得してもらうことも可能です。しかし、日本ではそういう前提がなにひとつも成り立ちません。

 日本の文化では、まず根本的に論理的な話は嫌なのですね。曖昧に、中途半端に喋る。そうするとお互いに何事もなく、ケンカすることもない。「~かも」「もしかすると~」「どうでしょう?」などという会話は、私の気に入らないところです。喋るなら、きちんと役に立つように喋りなさいと思うのです。

 しかも問題は、生命の脳はそんな曖昧で中途半端ではないということです。脳というのは、ものすごく論理的に組み立てられている臓器なのです。脳はイエスとノーをはっきりしないと動きません。手を上げるのか下げるのか、水を飲むのか飲まないのか、イエス/ノーがはっきりしないと体は動きません。こんなに曖昧で中途半端に考えている日本の人々が、どうやって厳密に論理的な脳と仲良くしているのか、そこはよくわかりません。

 私が言いたかったポイントに戻りますが、当初は日本に来る計画はありませんでした。しかし、何とか条件が揃って日本へ飛ばされてきたのです。私にもいくつか選択肢があったのですが、時間の関係があって日本に来ることになりました。

 それでどうなったのかというと、日本に来たのですから、その時点で「どこの国に留学するのか?」という話は終わったのです。それからは、日本に来て良かったと思うのです。本当に良かったどうかということは、未だによくわかりません。

 これが現実です。この道を歩むことになったのだから、この道で頑張るのです。自分で、私は日本に飛ばされて失敗しました、人生台無しだ、なんて私は不幸なんだ、ということはないのです。現れた結果として、それはしっかり受け入れるのです。

流されたところで、しっかり根を張る

 あなたにとっても同じことです。いろいろと希望があったかもしれませんが、上手くいかなかったことが現状であるならば、だったらそれをしっかりとやることです。自分のやりたかった計画でなかったかもしれません。ただ自然の流れで飛ばされただけかも。であっても、そこでしっかりやってみるのです。

 例えば、いろんな植物の種が風で飛ばされるでしょう。その種は自分がいい場所で成長したいと思っていますか? そんなことありません。どうでもいいのです。流されたところで、根を張るのです。それだけです。いったん根を張ったら、しっかりと成長して花を咲かせないといけませんね。それが人生なのです。

 ですから、別にポジティブ思考で生きなくてもいいのです。逆でもいい。この世の中は何ひとつも上手くいくわけがない、将来は分からない、といっても行動しなくてはいけません。わかりやすいよう前の例に戻りますが、気に入った女の子がいても、たぶん相手にされずダメだろうな、無視されるかな、もしかすると「あっち行け!」と邪険にされるかもしない。そのように最悪の状況、極端にネガティブなことを考えて行動してみればいいのです。

 そうして、「名前はなんていうの? どこから来たの?」と何とかして喋りかけてみる。女の子にいくらか喋りかけただけで、あなたは成功したということになります。日常会話ができただけでも、最悪の状況からすれば成功していることになるのです。その女の子と友達になりたい、付き合いたいとポジティブ思考をしていたら、最悪の結果に陥ってしまうのです。

「ありのままに観る」が正解

 だいたい物事は上手くいかないものです。それでも「良かった」と言える結果にもっていけるかどうかは、私の行動次第だと理解する。そう思うことが正しい思考なのです。ネガティブ・ポジティブのどちらも良くありません。それはわがままなのです。ネガティブ思考は、怒りで現れる妄想です。ポジティブ思考は、欲と自我で現れる妄想です。どちらにせよ、妄想は良い結果を出しません。

 俗世間では「ポジティブ思考で頑張るぞ!」とくだらないことを言っていますが、世間は流れるのでネガティブもポジティブもないのです。熊本の大震災はネガティブですか? 違います。あれは自然の流れなのです。洪水や地滑りなどはネガティブですか? そんなものにネガティブもポジティブもないのです。物事の流れなのです。あなたはどのように対応するのか、というところで、あなたの点数が決まるのです。

 ですから、物事はネガティブやポジティブではなく、「客観的に観る」「ありのままに観る」ということが正解なのです。ということで、頑張ってみてください。

 将来が分からないのですから、あなたにはこれからもいろんな悩みが出てきます。いろんなものに執着してしまったりする。それは別に気にしないでください。客観的に観ることができてくれば、そこまで悩んで苦しくなることはないでしょう。

悩むのはそこに選択肢があるから

 年を取ると選択肢が消えていくものです。私の年になると、できないことがいっぱい出てきます。あなたのような若者にとっては、できることは幅広くある。ですから、悩みも結構多いのです。年寄りには、諦めたくなくても諦めなくてはいけないものがいっぱいあります。選択する幅が狭い。

 例えば、誰かが私に「夏に富士山に登りませんか?」と誘ったとする。私は富士山に登ったことはないけど、「やめときます」と断るのです。なぜかというと、もう体が弱くて、二日間とか筋肉を疲労させることはできない、耐えられないからです。

 しかし、友達があなたに「富士山に登りましょう」と誘ってきたら、話は別です。「登りたい」と思ったとしても、いろいろ登れない条件が出てきて、金がないとか、バイトがあって休めないとか、他に用事があって行けないとか、それがあなたにとっては悩みになるのですね。体力的には登れるからです。

 あなたにとっては登山の練習をしたり、服や靴を買ったりして、いろいろと準備することは面白い。しかし、私にとっては、そういう楽しみなどは最初からカットされているのです。そんなものです。

 それに、選択肢がたくさんあったとしても、結局はひとつしか選ぶことができません。将来は分からないから選べないのです。ですから、「飛ばされたところで根づく」ということになります。過去もそうだったし、今もそうでしょう。将来も同じことなのです。

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