あなたとの対話(Q&A)

子供と死の恐怖、子供を産むにあたって教えてほしいこと、音楽とヴィパッサナー、女性は慈しみ深い?、慈悲の冥想と「有身見」

パティパダー2009年11月号(147)

➀子供と死の恐怖
②子供を産むにあたって教えてほしいこと
③音楽とヴィパッサナー
④女性は慈しみ深い?
⑤慈悲の冥想と「有身見」

①子供と死の恐怖
 5歳になったばかりの娘が先日、夜電気を消して布団に入るや、「お母さんとずっと一緒にいたいよー、お母さん死なないでよー、生まれ変わっても同じお母さんから生まれたいよー」と何度も繰り返しながら、突然大泣きしました。
 
 娘には誰でも死ぬこと、あなたの母親も例外ではないこと、良いことをして、悪いことをしなければ死は恐れるものではないということを機会あるごとに話して聞かせていました。この一件で、今まで何も口を出さなかった家族からは「子供を洗脳するな」と言われました。方法が間違っているのでしょうか?
 
 私自身は子供の頃、夜も眠れないほど死に対する恐怖があったことを覚えています。だからこそ適当なことを言って安心(不安に)させるよりは真実を知って自ら安心を得られる道を歩んでいってもらいたいという気持ちです。

人は死なない、お母さんはいつでもいる、死んでも「天国で見守っている」などの話を聞かせるのは「洗脳」です。証拠はない話です。「人は誰でも死にます。ですから、あまりにも他人に頼らないで早く自立するべきです。生きている間はよい人間で、優しい人間でいるべきです」などは事実であって、なぜ洗脳になるのでしょうか。キリスト教徒でもないのに、「サンタさんがプレセントをくれる」などの嘘をつくことにはだれも、洗脳だと言わないのはなぜでしょうか? 無知な非論理的な話に乗ると最終的によい結果になりません。子供には、機会を見つけて「真理・事実」を教えるべきです。
 
 また、子供は「不安に襲われる」ことは度々あります。その時は寝付くまで、そばにいてあげればよいのです。

②子供を産むにあたって教えてほしいこと
 近々、4人目の子供を出産します。3つ教えてほしいことがあります。❶出産にあたって、いろんな人にお世話になります。私がすべきことは何でしょうか?❷4人目で体力回復が心配です。❸痛みとの付き合い方を教えてください。

まず❶ですが、子供は一人のものではないのです。みんな協力するべきです。協力しなかったらけしからん話です。お母さんとして、みなに協力してもらって、喜びを感じられるようにしてあげてください。「協力してよかった」という気分になれるようにしてあげてください。助かったといわれると、私も役に立つんだという、こころに幸福を感じるのです。四人目が生まれるんだから、みんなで協力すべきと思います。私も協力します。祝福します。日本は子供が少ないんだから。子供を生まないことで、社会が壊れます。ですから、子供を産むお母さんを、みなが応援すべきです。大いに喜んだほうがいいと思います。日本全国にたいへん良いことをしているのだから、あなたは幸せになって気持ち良くなるのは悪いことではない。

❷体力云々は心配しなくていい。みなで分担して、分担させることはあなたの仕事。子供が増えるごとに母親の仕事が代わるんです。同じではないのです。おっぱい・おむつに24時間つきっきりになるのは、最初の子供だけです。二人目になるとけっこう仕事が変わるのです。いま4人目だから、別の母親にならないといけない。お風呂入れたり、おむつを変えたりという仕事を他の人に「やってみて」と頼む。そうやって他の人に頼むことが、お母さんの仕事です。そうすれば、周りはちゃんと助けてくれます。周りが助けてくれる気持ちにしてあげることが、あなたのちょっとした仕事なのです。子供3人は甘えたいと思うだろうけど、これからは、お母さんを助けることを甘えることにするのです。子供が助けてくれたら、お母さんもほめてあげる。「あなたのこと大好きだよ」と。そうやって、母親として別な、もっと上の人格を作らないといけないのです。

❸痛みは生まれる時まであると思います。どうにもなりません。われわれは痛みで生きているのです。痛みがないと子供が出てこない。呼吸するのも痛みがあるからです。ご飯食べるのも、座ったり立ったりするのも、痛みがあるからです。命が痛みでできているのです。「この痛みを何とかしてくれ」というのは、「殺してくれ」というのと同じこと。痛みには耐えてください。失神するくらいの痛みなら、ちょっと薬を使ってもいいけど、ちょっとした時間の痛みだから、耐えたほうがいいと思います。あとは楽になります。

 子育ての苦しみも、4人目なら四分の一になるのです。初産より2人目の方が苦労は少ないし、6人目、7人目になるとまったくへっちゃら。子育ての苦しみもまったくなくなるのです。大量にご飯つくってあげるだけ。上の子はみな下の子の面倒を見てくれますし。大家族の場合、育児ストレスはないのです。一人二人だと育児ストレスが起こるのです。痛みに対しては、あまり心配しないでください。痛みは命の証ですから。それと、『慈悲の瞑想』をして過ごしてみてください。とても楽になりますよ。

③音楽とヴィパッサナー
 私は音楽の演奏家をしています。ヴィパッサナーをしながら演奏するにはどこに注目すればいいでしょうか?

なかなか難しいと思いますが……妄想しないように、音だけに集中して演奏して下さい。ヴィパッサナーしながらなんでもできると言っても、できないこともあります。「ヴィパッサナーしながらどうやって人を恨めばいいか?」とか、それは成り立ちません。仕事の場合もできる仕事もできない仕事もある。演奏の場合は音を作る仕事だから、自分のことも、他人のことも措いておいて、いま自分が作り出している音に集中すれば、いくらか心が混乱しないで、汚れないで済むと思います。音だけの世界になるのです。その方が、楽に演奏できると思います。

④女性は慈しみ深い?
 仕事など、人と接する場面で対応している女性を見ていると自分の怒りを抑えながら表面上、愛想良く振舞っているのを見かけます。一般的に女性のほうが男性よりメッター(慈)を多く持ち合わせているのでしょうか?

女性は子供を産んで育てるので、慈悲を理解し易い、実践し易いことは否定出来ません。しかし、感情的で、愛着が強い場合は男よりダメです。

 結局、男の人生も自分の為でなく、家族など他人の為に苦労するものであるならば慈悲を実践しやすいでしょう。怒りに耐えて頑張る女性たちの場合は、嫌われないようにと思ってやっているのです。後で感情が爆発する人ならダメです。怒りを抑えることで、怒れなくなったならば、慈悲の実践は簡単です。あまり、男女の区別は考えないほうが無難です。

⑤慈悲の冥想と「有身見」
 慈悲の冥想では、慈悲喜捨の心を私から生きとし生けるものにまで広げていきますが、慈悲の冥想の主語は「私がいる、そして私以外の生命がいる」という有身見が前提になっているような気がするのですが?

有身見は仏道修行者が預流果という覚りの第一ステージに到達したときに無くなる三つの煩悩のうちの一つです(あと二つは、戒厳取と疑です)。冥想とは、有身見を無くした解脱者(覚った人)に教える指導ではないのです。冥想は心が汚れている凡夫のための指導なのです。邪見者には徹底した、断ち難い有身見がありますが、仏教徒は知識的にそれは成り立たないと知っています。しかし、その煩悩は潜在的にあるのです。修行者が真面目に冥想すれば、智慧が現れて有身見はなくなります。有身見は「慈悲の冥想」の前提になっているわけではありません。

 生命はみな強烈なエゴイストなのです。慈しみの気持ちは本来ないものです。初心者にとっては、生きとし生けるものが幸せでありますように、と随念することは容易いものではありません。しかし、頑張るのです。徐々に、恐ろしいエゴという錯覚が壊れていきます。慈悲の実践によって、一切の生命は平等であることを発見する智慧が現れると、「自分が存在する」という有身見も薄くなっていきます。慈悲の実践が成功に達すると、有身見は完全に消えるのです。同時に預流果の覚りに達するのです。ですから、慈悲の冥想に限らず、仏教が推薦する他の冥想についても、煩悩を認めているわけでもありません。強いて言えば、冥想実践をしなさいと推薦するのは、千五百の煩悩に悩んでいる人をその苦しみから解放してあげるためです。