多重人格障害について
最近の日本では心の病が増えていますが、多重人格障害について、テーラワーダ仏教ではどのように理解するのでしょうか? また、この病を癒す方法はあるのでしょうか? 以上、よろしくお願い致します。
精神医科の専門知識を必要とする質問ですので、仏教徒が答えるべき質問ではないとも思われます。
しかし、真面目に初期仏教を学んでいる方々の勉強材料になるでしょうと思って以下の文書を書いて見ました。例と経典から引用などをすると巨大な論文になってしまうので、要点だけ纏めてみました。
●多重人格について
世界で何か問題が起こるたびに「それについて仏教は?」と聞かれても必ずもその問題にポイントを当てた経典と言うのは恐らく見付けられないと思います。お釈迦様が普遍的なこころの真理を明確に教えられました。こころの問題を治す方法も教えられました。今まで仏教の修行者達も学者たちも経典の中から何かヒントになるものはないかと探して自分に出来る範囲で解釈や説明をしたりして、特定の問題が起こる時対応してきました。それしか方法がないと思います。
現代人の落ちつきのない態度:
現代人には落ちつきがないのです。社会に何か特定の現象が起きたらこれはどうしようと困るだけですね。
「テロ事件が起きた。ではアフガンを爆撃しよう。」
「ほんとにアフガンは犯人ですか?」
「皆、言っているからそうじゃないの?」。
こんな調子でしょう、どんな問題についても。
余計なことは聞く暇がないのだから、多重人格について何を言っているのか、治す方法は何なのか言ってくれ。
嫌味を言っているのではありません。だいたい現代人は、皆、その調子で聞くのです。(私も同じ性格かもしれません。)
★皆が病気です。
これが初期仏教の立場です。
こころと言うものが、煩悩という菌で汚染されています。
生きていると言うことはこの煩悩にあやつられることです。
いわゆる細菌のために、細菌の命令で、細菌に支配されて、管理されて生きているのです。否、生かされているのです。
生きることの目的は煩悩と言う細菌を増やすことと広げることです。
煩悩を滅尽しこころを完全清浄な状態に上達させない限り、一切衆生は精神的に病気です。
ですから、簡単に言えば心を育てる方法を実践すれば全ての病気が根底から治るのではないですか。
病気の症状:
どのような病気でも多数の症状を見せます。単純な「食中り」の場合でも、身体がだるい、食欲がない、微熱がある、目まいがする、頭痛、嘔吐、幻覚、幻聴、悪夢、心臓、神経の異常云々がいくらでもでます。食中りに治療すれば全て直ります。が、患者は激しい症状だけを気にしてそれを治してくれと頼んでいるのです。「頭痛はがまんできない、治してくれ」、「嘔吐はきつい、直してくれ」といっているのです。
全ての人間の精神病の無数の症状の中で「多重人格」がたった一つだけです。大げさな問題ではありません。
● 皆、多重人格ですか?
その通りです。皆が、結構多重人格遊びをしているのではないですか。症状は激しくないだけです。読む小説の主人公になりきったり、正義の味方になったり、スーパーマンになったりするでしょう。シンデレラにも王子様にもなります。犯罪者にも強盗者にもなります。一日中自分が頭の中でどれぐらいの役を演じているのかと考えたことがありますか。プロの芸術家は仕事をするとき完璧にその役になり切るでしょう。そのときは役所に登録している人物ではありませんね。
●何故、多重人格になるの?
1.楽しい。2.様々な問題から一時的にでも逃げられる。3. 好き勝手なことができる。(一つの人格でできないことを別な人格ではできますから)4. 煩悩(感情)に刺激を与えられる。5.自分という立場、性格などがない。6. かなり便利。(会社で真面目な方が飲み屋で性欲に溺れたジジイになる。)
●人格とは何ですか
このようなものはありません。一つ一つの人格を細い糸に例えましょう。この人格という細い糸を無数に編みこんで太い縄を作ります。普通に人格と言うのはこの太い縄のことです。「人格者」と普通な言語で語るときは悪い、醜い、汚らわしい細糸が少ないまたは無いという意味になります。
普通の多重人格:
自覚しています。一つの人格を演じている時でも自分に違う人格もあることを知っているのです。一つの環境の中で一つ二つしか演じません。(例:会社で与えられた役と友人、仲間という役を演じますがキャバクラで演じる嫌らしいジジイの役はいたしません。)
精神医科が言う多重人格症:
自覚していないのです。同じ場面で、同じ環境で、何を演じるか、幾つ演じるかは定かではないのです。他人にはかなり迷惑です。故に、社会で普通な多重人格者として生活しにくいのです。犯罪などを演じるだけに留まらず、実際に犯す可能性が大きい。それから正常な人々の多重人格が一本の太い縄に編んでいますが、この場合は細い人格の糸が、束にはなっているかもしれませんが一本に編んでないのです。
多重人格症の原因:
当たり前のことですが、仏教の立場から言えばこころの汚れ(貪り、怒り、無知)です。十悪の説明の中で出てくる(abhijjā)―異常な欲 と (vyāpāda)―異常な怒り が (―他に害を与えたり、破壊したり、殺したりしたがる感情です。)主な原因だと思います。
心理学の世界では幼児虐待、性的虐待などを原因にしています。
虐待された側が、酷い憎しみと怒りを感じます。こどもですので自分の感情が怒りと憎しみであることをわからないのです。それで頭の中で、混乱―パニック状態が生まれて脳の機能もおかしくするのです。
弱い人が激しい怒りと憎しみを感じてもどうすることも出来ないのです。
それから自分の弱みを実感するのです。こころのストレスを発散するために、妄想の世界に、幻覚の世界に逃げるしか他の方法がみえなくなります。
又、各幻覚を一本に繋げれば弱くてどうにもならない人格から逃げたことにならないので各人格をバラバラに分けておくのです。無意識なところで生存欲(全ての生命に基本的にあるものです。taṇhā)が巧に引き起こす出来事です。ですから多重人格は自分を守るために起きる自己防衛システムです。
虐待などがなくても人格症が現れることもあります。
子供向きの神話的な物語、無意味な冒険物語、開拓物語、アラビアの千一夜物語、漫画などムチャ読んでその世界に入り込んで妄想の世界で遊ぶと現実離れが起きます。それも人格症です。
ポルノ依存型も危険です。
インターネットで言いたい放題嘘を書き散らすことも人格を分離することになる場合もあります。この場合は自己防衛システムよりも自己確立して、「自分も大事な存在だ」と立場を作るために(自分を認めてもらうために)起こるのです。
これらの原因に出会っただけで皆病気にかかるわけではありません。
人は誰でも以上説明した環境の中で成長するのです。孤独感、弱み、親の愛情を足らなかったなどの原因と組み合わせると病気になってしまうのです。
仏教の立場(私の意見かもしれません)から見れば子供だけではなく大人になってからも以上の原因に出会うと症状があらわれる恐れがあります。
死の間際でも人格症が起きたケースを知っています。
★治す方法
☆各患者の原因に合わせて指導しなくてはならないのです。
明確に書けますが悪用されると危険ですので一般的な方法のみを考えて見ます。
生存欲が引き起こす自己防衛システムですので、自分が安全だ、守られているのだと言う実感が作られれば良いかも知れません。祈祷、除霊、祈り、守り、呪文などが効くのもこのわけです。そのその文化背景で育てた人以外は効き目がないのです。
仏教徒の場合:
仏教の文化と道徳観の背景で育てられた場合はほとんど現れない現象ですが、仏陀の教え通りに生きようと努力すること、三帰依すること、この上のない守りだと思っている。精神的な異常が見えたら、本人にそれを確認させてあげるのです。治らないケースがゼロに等しいです。他宗教の方々が、「仏教徒は悪霊の力を持っている」と批判しているところです。
☆多重人格者が各人格を演じるたびに、その人格に合わせて話し掛ける。その時他の人格のこと教えてあげて「それもあなたがやっていたよ」と教えてあげる。とても親切に、慈しみでやらなくてはならないのです。それを繰り返すとどんな人格に隠れても逃げるところがないことに気づきます。バラバラな人格がゆっくりと一本化します。幼児格を演じると無理ですが、結局は大人ですから言葉が無意識の中に入ると思います。
☆正気な人格を演じるとき真面目な生き方を教えてあげる。そのときは他の人格はなかったことにしておかないと効き目がないのです。
道徳的な生き方の素晴らしいこと、他の役にたつこと、教えたり、ボランティア参加などさせたりします。こころに潜んでいる憎しみと、無力感が消えて行くまで続けなくてはならないのです。
☆仏陀が教える無差別の、無制限の慈悲の思想を教えてあげる。適切な方法で実践させる。慈悲の気持ちがこころに入ったら絶対に治る現象です。しかし、理性を育て上げないとうまく収めないので、最終磨きは理性です。
☆また色々方法がありますが、指導者(カウンセラー)が必要になります。
★予防対策
いかなる場合でも病気にならないように気を付けることこそが智慧です。
上に説明したように、皆だれでも多重人格です。わざと、多重人格症が病気だと差別的に思うことも愚かな行為です。
発病しないためには:
家族、友人、周りの人々のことを大事に思う。皆との付き合いを喜ぶ。愛情を表現する。何かをしてもらったらこころいっぱい感謝をする。
他を憎しむ事は空家での自爆行為だと思う。(恐ろしいテロでも敵がいないところで独り勝手に自爆するのもアホらしい。自分の幸せのために敵を巻き込んで自爆するのもアホらしい。故に、他を憎しむ行為が自爆行為だといったのです。)
日々何か良いこと一つでもする。
自分が悪を犯さない人間だと確認する。
真理と智慧を愛する人間になる。
くだらない漫画、妄想概念で作る映画などの作品に取り付かれることを止める。
欲を自然なレベルを超えないようにする。
怒りが生まれても早く消えるようにする。
決して怒りが憎しみまで増えないようにする。
正義の味方、正義のために戦う、悪を倒すなど仮面をかぶったテロ的な思考を止める。
朝夜、慈悲の実践をする。
人生を慈しみに基づいて設計する。
他に依存したがること、救ってもらおうと言う思想、超能力好み等を捨てる。
他を貶すこと、見下すこと、自分を惨めに思うこと止める。
仏陀が教えられた実践方法の一つぐらい実践して見る。
一日30分ぐらい歩く瞑想をする。
このような生き方で本来弱いこころを育てていくのです。 成長に、発展に日々努力する人に堕落がないのは当たり前です。
後書
1.歴史
多重人格現象
社会生活を重んじた昔はなかったと思います。
「命より、なによりも金」哲学の現代人が集団生活・大家族生活を拒絶するのです。
相手を心配すると金がかかります。この環境で育てられる子供にこの症状が引き起こされる。
分裂病は昔もあったと思います。
2.霊が乗り移る、神懸かり、神の言葉を聞く、預言者になる、啓示を受ける、悪霊が付くなど昔の社会にあった現象が一種の多重人格です。
昔の多重人格者の精神異常者の言葉を「神の言葉だ、聖書だ、予言だ」と言って大事に信じて、現代人が生きているのです、多重人格に対して差別を止めたほうが良いと思います。
イスラム教徒、コーランの教えを見ると、それを信じる人を見ると分かることだと思います。
3.現代人だ、現代的思想を持っているのだと言って、仏陀の言葉をけむたがる現代人にこころを直す方法を教えても実践しないと思います。
4.我々正気仏教の坊主どもが、「霊が乗り移る」等の多重人格症の仏教徒をいとも簡単に治します。
この症状が経済大国の人に現れると仏教思想で治すのは大変難しい仕事です。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
スマナサーラ