ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実
アルボムッレ・スマナサーラ長老
業のポイント1 命の材料
命とは業のことです。このまま理解してください。
では、命とは何か、皆さんはご存じでしょうか。皆さん一人一人は一個一個の命です。ですから、業が命ということは「私は業です」と言ってもかまわないのです。「生きているとは業のことです」とも言えます。
業を理解するためには、命そのものが何なのか、理解しなくてはいけません。パーリ語の用語はkammassakatā(カンマッサカター)、「業を自己とすること」という意味です。日本語では「業自性」と訳されています。
kammassakatāについて、私の説明をしてみます。「生命とは業です」ということです。私たちの命は、業でつくられているのです。「命の材料は業である」という意味でもあります。
身体も心も業でできている
考えてみれば簡単ですね。「私の身体は何でできているのか?」と言えば、答えは「業でできている」となります。ですから身体そのものが業なのです。ということは、物質的な身体の精神である「心」も業という材料でできているということです。
肉体だけではなくて、我々の心も感情も気持ちも、全身、すべて業でつくられています。ですから、「業がわからない」と思ったら自分の脛でも見てください。業でできています。髪の毛一本、取ってみたら、それも業でできています。ですから、業とは何か、調べたらわかるはずです。しかし、実際、自分そのものがすっかりぜんぶ業なので理解しきれないだけなのです。
業には、まったくもって秘密・神秘はありません。業は隠れているわけではありません。自分そのままが業です。業という材料でできていますから、「業ってよくわからないなあ」と言う必要はありません。
業は摩訶不思議で神秘なものではなく、はっきりあるのですが理解しにくいものなのです。いわば宇宙と同じです。先ほど説明しましたね。宇宙は、はっきりとあるのですが、4%しか知り得ていないといわれています。その4%すらいい加減で、ほんのわずかなことを知っているだけです。しかし、では宇宙は隠れているかというと、ぜんぜん隠れていません。そういうわけで、業も別に隠れているわけではないのですが、私たちにはなかなかわからないのです。
世間では「業」というと、なにかと摩訶不思議で神秘的なものとして、謎めいて語られたりしますね? それは、みんな神秘が好きなだけなのです。世の中の人々の神秘好きは、チベット仏教の人気を見ても明らかです。真理を語るお釈迦様の仏教より、迷信や呪文ばかり言っているチベット仏教のほうが魅力的に感じるのです。
業のポイント2 相続するもの
「業は命」に続いてのポイントは、「業は相続するもの(kammadāyāda カンマダーヤーダ)」ということです。
命、生き物が業を相続するのです。生まれる瞬間に、業という生かされるエネルギーを相続してこの世で生命が現れます。この世といっても、人間のことだけではありません。人間の世界はもちろん、犬の世界でも猫の世界でも、虫でも、どんな世界でも生命が生まれる瞬間、けっこう財産を相続して生命が生まれます。この財産を「業」というのです。
財産というのは、相続をわかりやすく言うために使った言葉で、正確にいえば、いわゆる「生かされているエネルギー」「生きるエネルギー」です。
生きるエネルギーで自殺する
我々は、何かすごいパワーがあって生きています。もう、諦めずにとにかく生きています。そんな人生の途中で、人によっては大きな失敗をして生きることが嫌になって自殺してしまうこともあります。そのとき、生かされているエネルギーをぜんぶ使って自殺するのです。どういうことか、おわかりでしょうか。生かされているエネルギーをぜんぶ使って自殺する……。そう言われると、「ちょっとおかしいな」と感じるでしょう? 自殺するためには、そうとうエネルギーが必要なのです。ですから、「それぐらいエネルギーを絞ることができるのなら、生きてみればいいでしょう」と言えます。本来は、ちょっとしたエネルギーを使うだけで生きていられるのです。しかし、ちょっと失敗したところでとんでもなく凹(ヘコ)んでしまい、「もう俺は自殺してやるぞ」となって自殺を図る。それにはものすごいエネルギーが必要なのです。
業は他人に管理不可能
とにかく我々には、死ぬまで生かされているエネルギーがあります。それはだいたい誰でも実感できると思います。何かじっとしていられない、何かしなくちゃいけないというエネルギーがいつでもあるのです。これが、我々が相続する各々の業なのです。したがって、他の生命にその生命の命、生き方、性格、能力、幸不幸などをそう簡単に管理することや、変えることなどはできません。
これは、ぜひ理解していただきたいポイントです。各生命が、自分が相続しているエネルギー、財産を持っていて、それを使って生きています。ですから、他人にそれを維持管理することはほとんど不可能なことです。
簡単な例でいうと、お母さんが「勉強しなさいよ」と言ったからといって、子供が勉強するとは限らない、ということです。私が「怒らないで生きたほうがいいですよ」と言ったところで、私の本を読んだ人が自分の性格を変えるのかというと、そうやすやすとは変えないということなのです。
しかし、「他人は管理できない」ということを皆さん、認めたくはないでしょう。管理できると思っています。会社の役職についても「管理職」などという言葉もありますし、我々は人間関係やらいろいろな分野においてどうやって管理すべきか、かなり苦労してさまざまな研究をして調べています。「マネジメント」というものが、ものすごく膨大な学問にもなっています。ビジネスマネジメント・商売の管理。インダストリアルマネジメント・工場などの生産管理。それからパーソナルマネジメント・人間の管理をどうするのか。さまざまな分野に分かれています。大学でマネジメントを研究分野に選んだら、全体的な総論を学んで終わりではなく、それぞれの分野から一分野、専門を決めて研究することになります。
しかし、どんなに管理したところで、人は言う通りにやりません。他人が自分を管理しようとすると、常識的な人間なら腹が立ちます。「どうしても管理してほしい」と思っていたり、「はい、旦那様、言う通りにいたします」という性格だったりしたら、念のため病院に行って調べてもらったほうがいいと思います。生き物は、動物さえも管理されたくないのがふつうです。犬・猫が人間に、「管理してほしい」と頼むなんてあり得ないことです。管理不可能です。
そういうわけで、マネジメント学を専攻してアメリカの優秀な大学を卒業したからといって、いい管理者になるのかといえば、そうでもありません。たまたま、その能力がある人もいます。日産を見事に立て直したカルロス・ゴーン氏のように、倒産しつつある会社をちゃんと管理し、しっかり蘇えらせて堂々と商売できるようにしてあげたようなことは、誰にでもできることではありません。
うまくいかない親子関係
皆さん、ぜひ「簡単に人の管理はできない」ということを憶えていただきたいと思います。子供を産んだからといって、お母さんたちが調子に乗ったらだめなのです。
赤ちゃんを初めて産んだ親が最初に抱く子育ての悩みは、「私は、この子を育てるのにどうすればいいのか」ということです。赤ちゃんを見てみると、いかに人間が管理不可能な存在なのかがよくわかるはずです。そこでみんな間違ったやり方で、赤ちゃんにすべて合わせてあげたり、子供の言うことは何でもやってあげたりして、親が子供の奴隷になってしまったりします。そうやって、すごく迷惑な人間を育ててしまったりするのです。
親が奴隷のようになって育てていくと、赤ちゃんだった人間が18歳ぐらいの若者になったときに、自分でも何をすればいいかわからない人間に育っています。どんな勉強をすればいいか、どんな仕事をすればいいか、まったく見つけることができずに途方に暮れてしまいます。元気がいちばん必要なときにまったく元気がなくなってしまい、学校を辞めたり、いろいろなとんでもないことをしたりする嫌な存在になってしまうのです。
ですから、子育ては難しいのです。たとえば、1歳ぐらいの赤ちゃんなどは、欲求することをやってあげないと激怒して、ものすごく攻撃するでしょう。そこで泣きやませるために、なんとか気が済むようにしてあげます。すると子供は、どんどんその調子で親を管理しようと思うのです。逆でしょう? 親を管理するなんて。しかし、日本では、やっぱり親子関係というのは、子が親を管理する世界になっていて、うまくいっていないと感じます。
業(カルマ)は、お釈迦様が「考えるな」とおっしゃったほど難しいことですが、「人を管理することは、そう簡単ではない」というポイントは、しっかり憶えておきましょう。
業のポイント3 幸不幸は相続次第
世の中では、よくいるでしょう?性格はどう見ても悪いのに、けっこううまくやっていて不幸にならない人たち。とんでもないことばっかりやっているのに、ぜんぜん大丈夫な人々がいますね。反対に、本当に真面目で素直で正直で、悪いことは何もしないで生きているのに、何一つうまくいかない人々もいます。「なんだ、こりゃ?」と思いますね。これは業(カルマ)の相続の問題なのです。
その人が善いものを相続していると、今の生き方はそれほど関係なく、一応幸せで生きていられます。逆に、たいしたものを相続していないと、頑張っても「たいしたことないなあ」という結果になります。この業の相続の兼ね合いがあるため、世の中で悪人がかならず負けくじを引いて、善人がかならず勝ちくじを引くというふうにはならないのです。
真面目に頑張って、真剣に仕事をしていてもあんまりうまくいかない人がいます。一方、仕事はさぼりたい放題さぼって、悪いことをやりたい放題やっているのに、どんどん、どんどん役職が上がっていって、課長、社長にまでなって終わる人がいます。
そういう不公平な世の中を見ると、すごく悔しくて腹が立ちますね。「なぜ、善い人間がうまくいかないのか」「なぜ、悪人ばっかりうまくいっているのか」と考えると、腹が立ちます。しかし、いくら腹を立てても、こればかりはどうしようもないのです。生まれたときに、ものすごいパワー、業という強烈なエネルギーを相続していますから、そのエネルギーには敵わないのです。
世間一般で、「運命」「定め」「カルマ」などの概念がよく語られるのは、生まれ持った業のエネルギーに、それなりに気づいているからです。一般の方々が、「あれは一種の運命ですね」「そんな定めですね」「それはカルマだよ」とかなんとか言っていますね。
そこで「過去世でこんな罪を犯したから、これこれをして償わなければ」などというのは、仏教の業論から見れば荒唐無稽ですが、なぜ、そのような論旨展開が出てくるかといえば、業の相続によって、今の生き方が反映されない人生になることがあるという、そのはたらきを微妙に感じているからなのです。
この施本のデータ
- ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2012年