ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実
アルボムッレ・スマナサーラ長老
第二章 因果法則という真理
五つの自然法則
次に、業をより正確に理解するために、五つの自然法則を学びましょう。テーラワーダ仏教のアビダンマ文献には、「業(カルマ)は五つの自然法則のうちの一つである」と論じられています。
Utubījaniyāmo ca, kammadhammaniyāmatā;
Cittassa ca niyāmoti, ñeyyā pañca niyāmatā.
「①自然 ②種子 ③業 ④法 ⑤心という五つの法則(決定性)がある」という説明ですね。
これはアビダンマ文献Abhidhammāvatāra(アビダンマーワターラ)のnāmarūpa pariccheda(ナーマルーパ パリッチェーダ)章から引用しました。
法則(niyāmatā,決定性)とは、どうにもならない、ある決まったパターンで動く、という意味です。結局は因果法則なのですが、因果法則はそう簡単には変わりません。たとえば私が講演をするとき、マイクロフォンにしゃべります。それで、しゃべった声と同じ音がスピーカーから拡大されて聞こえます。スピーカーからザーッと水が流れたり、小石がザラザラーッと流れたり、煙が出たりとか、そんなことはありませんね。もし、ときどきそんなことがあるのなら、講演を聴きに来る人の準備も大変です。マイクロフォンとスピーカーは因縁によって作られた機械です。電気が入っていれば、マイクロフォンにしゃべるとスピーカーから音が出る、ということになっています。これは法則です。スピーカーから音が出るのであって、画像は出ません。モニターからは画像が出るのであって、音は出ません。その因果法則によって、どんなはたらきをするのかという組み立てはしっかり決まっています。今のたとえと同様、「世の中は五つの法則で動いています」ということです。
①自然(utu)
法則の第一は自然(utu ウトゥ)です。「自然」という一言が表す中身は膨大です。たとえば、地球の自転や公転は自然の法則です。季節も自然の法則です。春に花が咲いたり、冬に雪が降ったりというのは自然法則なのです。宇宙の膨張も自然法則です。いろいろな変化があります。太陽が爆発して死んで、新しい太陽が現れる……それも自然法則です。
そして、我々の身体も自然法則によってどうしようもなく管理されています。季節の変わり目で風邪をひいたり、春になってくると花粉症になったりするのは、どうしようもありません。あるいは、秋になると食欲が出たり、冬はそんなに食欲がわかなかったりということもあるでしょう。それは業ではありません。自然の法則です。
②種子(bīja)
種子(bīja ビージャ)というのは、まさに「タネ」です。カボチャの種を植えたら、もうカボチャしか出てきませんね。トウモロコシも食べたいなと思っても出てはきません。カボチャの種が、どんなふうに成長するか、芽が出てつるになって、どんな形の花が咲くのか、どんなカボチャになるのかなどは、タネの法則によって決まります。
この種子というのは、人間の遺伝子も含まれます。たとえば「私は自分の業を持って生まれたんだぞ!」と言い張ったところで、やっぱり種・遺伝子は、両親からもらったものです。遺伝子は遺伝子のプログラムで憶えています。自分の業とはまた別に、遺伝子の法則がはたらくのです。
③業(kamma)、④法(dhamma)
三番目は、今回ずっと解説している業(kamma カンマ)です。
四番目は法(dhamma ダンマ)の法則です。「法」とは、真理に達したブッダが説く法則のことです。すべて因縁で変化することや、一切は無常である、無我である、空であるといったこと。まだほかにもプラスアルファで、人間にはわからない、特色ある法則がたくさんあります。
⑤心(citta)
五番目は心(citta チッタ)です。心にも心の法則があります。
たとえば、わーっと号泣している人に、瞬時に笑うことはできないのです。号泣が収まって、それから落ち着いて、そのあと、何もわからない状態を通って、それからゆっくりと笑うというプロセスになります。いきなり泣くところから笑うところへ切り替えることはできません。そのように、心にも心の法則があります。
業も自然法則に制約される
存在はすべて、この五つの法則によって変化しています。業もまた、法則です。ブッダが説いた五つの法則の三番目が、業(カルマ)です。誰か全生命・全宇宙の管理者がいるわけではありません。あるのは法則のみです。
地球は自転しますが、自転させる誰かはいません。地球は公転しますが、公転させる誰かはいません。ぜんぶを管理する誰か(神など)がいるのだと西洋の方々は我々に力説しますが、いないのです。
テレビやラジオは、スイッチを入れないと観たり聴いたりできませんね。神の存在を主張する人たちは、宇宙の法則もそれと同じように考えているのです。しかし、考えてみてください。石を空に向かって投げたら落ちるでしょう? 重力がありますから当然のことですね。法則です。それなのに、神を説く人々は「その石を誰が落とすのか」と問題にするのです。
この五つの法則というのは、これまた難しいポイントです。法則というのは、どのようにものごとは変化して流れるのか、ということです。ものごとが変化して流れるパターンのことです。
たとえば私のDNAの中で、癌になるDNAが入っているならば、その時期になってくると癌が発生します。そのとき、法則がわかっていたらなんとか手を加えることはできますね。たとえばDNAを、遺伝子を改良したらどうでしょう。癌をつくる遺伝子を変えて、別な遺伝子にして発症を防ぐことは可能です。
私が言いたいのは、遺伝子治療のことではなくて、業だけが「勝手にはたらいてやるぞ」と思っても無理だということです。業だけが勝手に独立して行動することはできません。業も、自然法則にしたがわなくてはいけない、種・種子の法則にしたがわなくてはいけない、法の法則にしたがわなくてはいけない、心の法則にしたがわなくてはいけないのです。
五つの法則は、それぞれの憲法をちゃんと守って動いています。
この施本のデータ
- ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2012年