「1」ってなに?
生きるためのたったひとつ
アルボムッレ・スマナサーラ長老
他人に話す時の作法
これから短い時間、ブッダの教えについてお話をします。ほんとうはあるテーマを決めるよりも、皆様方から人生について疑問に思っていること、知りたいと思っていること、「おかしい、納得できない」と感じていることなどを素直に質問してもらったほうが、より解りやすく説法できるのです。聴く人々にとっても、そのほうが解りやすいと思います。
話をする側にとっては、自分で課題・テーマを決めて、調べて、用意して話すことは楽かもしれません。私が生まれた国スリランカでは、まず僧侶が説法するテーマを決めていくのです。仏教徒たちは、僧侶が何を説法しても黙って聴いています。そして、よく分らなかったら、次は別の僧侶に説法をお願いします。質問することも、「もっと解りやすく話してください」と頼むこともありません。そういうことは僧侶に対して失礼だと思っているようです。そのような環境は、新米の僧侶にとっては、それほど悪い条件ではありません。ただ、学識と経験がある長老たちが話す場合には、難しくて、わからなくて、仏教徒たちが苦しくなることもあり得るのです。
人々と話す場合は二つの方法があると思います。
1.自分が伝えたいことを一方的に発表することです。
2.相手と対話しながら、進んでいくことです。
相手と対話する場合には、また二種類の方法があると思います。
2ノ1.自分が言いたいことを先ず提案して、それについて話しあうことです。
2ノ2.相手が知りたいことについて対話をすることです。
講義スタイル
一方的に話す場合(1)は、聴く人々には責任がないので、気楽に聴いておけば充分です。役に立つか、理解できるかどうかはわかりません。ただし、相手が話術のプロで、もの見事に話す場合は、みんなが余計なこと・危険なことに引き込まれる恐れもあります。マインドコントロールされてしまう恐れもあります。でも、慈しみに溢れた智慧のある人の話であれば、一方的な話を聴くことも決して悪くないのです。
対話の場合(2)は、一方的に押しつけられる恐れはありません。しかし、話の中身は話す人と聴く人の理解能力によって、決められてしまいます。
対話の二番目(2ノ2)、相手が知りたいことを対話する場合は、別の問題が起きます。もしどうでもいいこと、世間話、幽霊の話、神話などを聴きたいと頼まれたら、その話をしなくてはならなくなります。また、自分たちが対話したいことについて、話す人が知識不足なら、まともな会話になりません。
お釈迦さまの場合は、どのようになさったでしょうか。お釈迦さまは両方の手段ともご使用になったのです。出家比丘たちに話す場合は、ご自分でテーマを決めて丁寧に話すこともありました。その際は、比丘たちに必要なことを教えていたのです。その場合、お釈迦さまが教師の立場になります。しかし、対話形式で話した説法の方が多いのです。対話をすることは、仏教の特色にもなっているのです。
対話形式
対話の手段で説法することになったのには、理由があります。聴く人の立場になって、その人の理解能力に合わせて話すから、同等な立場でいられる。聴く人は質問・疑問を持っているから、それについて考えていたことは確かでしょう。説法を聴いて理解できるような、準備・受け入れ態勢は出来ているのです。聴かずにいられないのです。そのうえ、「話の内容はとてもすばらしかった。しかし、私に個人的には何の関係もない」ということにはなりません。
それから、無意味なこと、役に立たないこと、観念的なことについて質問されると、お釈迦さまは「如来は無駄な話はしない、如来はこの問いは『無記』として答えないことにしている」と明確に断るのです。ですから、釈尊の対話はいつでも有意義で、必ず人の役に立つのです。
このようなわけですから、対話で学ぶことは、品格の高い、理性のある人々のやり方だと憶えておきましょう。
対話なら難しい論理も理解できる
世間の知識と比較すると、仏教は決して簡単・単純だといえるものではありません。お釈迦さまご本人もおっしゃったように、人間の理解能力範囲を超えているのです。しかし、人々はお釈迦さまの話を理解したのです。幸福になったのです。疑問が解けたのです。覚りに達したのです。
「本物の奇跡とは、他人に教えて理解させること、納得させることだ」と、お釈迦さまがおっしゃったこともあります。これができたのは、対話で説法することのなせる技なのです。
みんなに同じ話は通じません。ひとりひとりが違う千差万別な人々に向かって、一方的に説法するのは、現実的には無理なのです。皆様方、聴く人々が、自分の知りたいこと、自分が疑問に思っていること、自分の人生にある問題など、そういうことを言ってくれると、それにぴったり合わせて、その人にちゃんと適した答えを出して説法することができるし、その場合は、聴いた内容が楽に理解できます。納得もします。
ですから、現代に生きる我々も、テレビコマーシャルを一方的に視聴して相手の思うつぼになるような癖を一旦停止して、自分にとって不可欠なこと、自分のためになることを、仏教に遠慮なしに訊いて、質問を投げかけた方が良いのではないかと思います。
ITも電気もなかった昔、仏教が広まってしまったのは、対話形式の説法のおかげです。いま・ここに、目の前にいる人の質問に答えるのだから、仏教は生きた宗教になっているのです。「私の疑問に答えてくれる」というのが、仏教なのです。
有意義な話
仏教は人の疑問、異論、批判、論争などは気にもしないのです。それには理由があります。自分に考える自由がある、批判する自由がある、ということを知ると、人の心は柔軟になり、学びたいという気持ちになるものです。だから、「どんどん自由に自分の考えをぶつけてください」というオープンな姿勢でいるのです。
それからもうひとつ、仏教にはどんなことにでも答えられる能力があるのです。なぜでしょうか?
「生命とはなにか」という真理を発見しているからです。
ですから仏教では、生命のことになると「知らない」ということは成り立たないのです。一方、「地球は丸いか四角いか?」「宇宙はいつ現れたのか?」などの質問は、無意味で役に立たない、といって捨てます。それらを知っても知らなくても、生命には、生きることには、影響もないし役にも立たないからです。
1.地球の質量は5.9736 × 1024 kgである。
2.山に入るなら、ハブに注意しなさい。
1は確かにたいした知識ですが、2は役に立つ知識です。
仏教は、生きる(命)とはなにか、その仕組みはなんなのか、どのように生きればよいのか、何のために生きるのか、といったことについて知り尽くしているのです。ですから、ちょっと仏教を勉強しただけでも、けっこう理性のある人間になるのです。
とは言っても、ただ「人間は日々どう生きればよいか」と、その時の社会の要求に応じて語ったならば、当時のインド人の間だけで、仏教は終わってしまったはずです。だって、あれから二千五百年もたっているのですから、インド人の生き方は、想像もできないほど変わっているでしょう。インド人でなければ、生活習慣もまるっきり違いますし。
しかしブッダの教えは、今も、これからも、インドだけでなく世界中の人々の役に立つのです。その理由は、「生命とはなにか」ということについて、仏教が最終的な真理を発見したからなのです。
仏教は「生命とはなにか」と知っている
人間が「今は昔に比べて変わっている」といっても、それは表面的な変化に過ぎません。昔も今も、人間も他の生き物も、「生きている」のです。「命」「生きている」というテーマで見れば、生命に関わる普遍的な法則を発見できます。お釈迦さまはそれを発見したのです。それから、生命に関わる苦の問題と、その解決法も発見したのです。
たとえば、「必要なものがある。しかし、それは手に入らなくて、大いに困っている」。この問題は石器時代の人にも、現代人にもあります。石器時代の人は獲物を必要としたかもしれません。現代の人は安定した職業を必要としているかもしれません。どっちにしても、必要なものが手に入らないと本当に困るのです。悩むのです。というわけで、仏教は時代・民族などによって変わることなく、生命にかかわる普遍的な真理を発見して説くのです。
お釈迦さまが発見した「四聖諦」という四つの真理は、このような言葉でも表現できます。
1.生命に関わる問題(苦)
2.問題が起こる原因(集)
3.解決(滅)
4.その方法(道)
いつでもどこでも、いるのは生命だけです。生命が、日々どう生きるのかと頑張っているのです。だから、「生命とはなにか」と知っている仏教には、どんな質問に対しても答えられる能力があるのです。
お釈迦さまが質問する
お釈迦さまの対話形式の説法のサンプルを一つ紹介して、お話をします。これは、話す人がテーマを提案して、みんなと意見を交わす方法です。これは、前に話した対話の第一の方法になります。
お釈迦さまのもとで出家した子供がいました。子供が出家すると「沙弥」と呼ばれます。見習いのお坊さんという意味で、日本ふうに言えば、小僧さんですね。
仏典で子供のエピソードを語る場合、註釈書はどれも「七歳の子」にする傾向がありますが、事実はよく分りません。この沙弥の場合も七歳だと記されています。名前はSopāka(ソーパーカ)です。七歳で阿羅漢(最終解脱に達した聖者)になっていたのだと記録してあります。
なぜ七歳の子供が出家することになったのでしょうか。世間はこのようなことは異常だと思うものです。
世間の常識をご存じでしょうか。「子供は勉強する。大人になって、仕事を見つけて、金を儲ける。それから結婚して家族を養う。馬車馬のように働き、奴隷のように子育てをする。その子供は社会人になったらまた子供を産むので、孫のお世話をする。それから歳をとって、病弱になって、自分のことも自分で出来なくなって、家族にお荷物扱いされて、空しく死ぬ。」これが常識的なプログラムです。これと違った道を歩む人は、常識外れなのです。ですから、ソーパーカ大聖者も、「何があったのだろう?」と訝しがられたことでしょう。
子供の大長老
そういう疑問が起こるだろうと想定して、注釈書にはソーパーカ尊者の身の上話も記してあります。エピソードは二つあります。
一つ目のエピソード。尊者の母は舎衛城(サーヴァッティ)の貧しい家の人でした。難産のために意識を失って、仮死状態に陥ったのです。母が死んだと勘違いした親戚は、その日のうちに遺体を火葬場に運んで火をつけようとしました。しかし、その辺に住んでいた神霊が「徳の高い赤ちゃんがまだ、おなかの中にいるのだ」と知って、火が燃え上がらないようにしたのです。それでも親戚が、遺体を燃やすために頑張るものだから、とうとう大雨を降らしたのです。みんなが火葬を諦めて家に戻ったところで、神霊は子供を母親のおなかから取り出して、火葬場の見張り番をやっている人の家に置きました。番人が赤ちゃんを我が子のように育てる気持ちになるまで見守って、それから神霊は出て行きました。火葬場で生まれ育った子なので「Sopāka犬(遺体)を焼く者」という名前で知られるようになりました。
ソーパーカが七歳の頃、お釈迦さまはその火葬場にいって、皆に説法なさいました。説法を聴いて真理を理解した彼は、出家したくなってお釈迦さまと一緒に祇園精舎に入ったのです。真面目に修行したソーパーカは、間もないうちに覚りに達しました。
二つ目のエピソードは、こうです。ソーパーカは商人の家に生まれましたが、四ヶ月になった頃に父親が亡くなりました。そこで、父親の弟が母親を二番目の妻として娶り、ソーパーカも一緒に面倒を見ることにしました。七歳になった頃、ソーパーカは第一妻の子と喧嘩して相手に怪我をさせてしまいました。腹を立てた叔父さん(義父)はソーパーカを墓場に連れて行って、捨てられた遺体に縛りつけて置き去りにしたのです。夜になれば狐かオオカミがきて、この子を食べるだろうと思っていました。
母親がいくら探してもソーパーカは見つかりません。夫に尋ねても何も言ってくれない。お釈迦さまなら何でも知っているだろうと、翌朝、お釈迦さまに子供の行方を訊くことにしました。お釈迦さまがその夜のうちに、阿羅漢になれる徳を持った子供が墓場に捨てられていると知って、ご自身は祇園精舎におられたまま、神通力で子供を縛っている紐を解き、子供が自分のところに来るようにしました。やってきたその子に優しく話してあげたところで、その子は預流果(解脱の第一ステージ)に覚ったのです。
翌朝、母親が訪ねてきました。お釈迦さまは子供を見せることをしないで、執着によって起こる悩み苦しみについて説法なさいました。母親も預流果に覚りました。その説法を聴いていた子供は、阿羅漢になります。その子が母親の前に出てきて「出家したい」と言ったので、母親も大いに喜んで許可して、ひとりで帰っていったということです。
これが、二番目のエピソードです。どちらが正しいかは、私はわかりません。墓場と関係があったこと、お釈迦さまが墓場でこの子と出会ったことだけは一致していますね。というわけで、俗世間の常識に合うように、「何らかの問題があって出家する」という先入観に応じています。
さて、ソーパーカ大聖者は七歳の子供でしたが、冥想して覚りに達していたのです。たとえ子供であっても、阿羅漢果に達したら聖者なのです。修行を終了しているのです。他の人々を導く立場になっているのです。みんなの供養と礼拝を受けられる境地に達しているのです。
しかし、覚ったか否かを知っているのは、お釈迦さまだけです。他の人々にとっては、子供であり、沙弥なのです。幼いからといって聖者を子供扱いするのは、重罪になる行為です。聖者を非難したり見下したりすると、冥想実践しても覚りに達するどころか禅定を築くこともできなくなるのです。心の成長に障害が入るのです。
覚っていない人々は、いくら自分が年上であろうと、覚った人から指導を受けなくてはいけないのです。覚った人がたとえ子供であっても、です。
一人前の比丘(僧侶)になるのは二十歳になってからというのが戒律の決まりでしたから、まだその子を「比丘」にすることもできない。だから、これはなんとかしなくてはいけないと、お釈迦さまはお考えになったのです。お釈迦さまとしては、二十歳になっていないのだけれども、その子を一人前の比丘として認定したいのです。そんなことはお釈迦さまならご自分の判断でなさればいいのですけれど、やっぱりお釈迦さまは、「自分の勝手でやったのでは、みんなの批判の対象となるでしょう」と考えて、こういうことをなさいました。
その子にみんなの前で質問することにしたのです。試験みたいなものです。その質問に、この子供のお坊さんが見事に答えたのです。お釈迦さまはそこで、「この子のように、この質問に答えることがあながたにできますか?」と大人の比丘たちに訊きました。
「いやあ、我々にとっては想像もできないことです」と比丘たちが返事をしましたので、「これによって、この子を今日から一人前の比丘として認定する。この子は為すべき仕事はもうすべて為し終わっているのだよ」とおっしゃって、みんなの前で、この子が阿羅漢(最高の覚り)に達していること、これから長老として、みんなで指導を仰ぐべきである、ということを明らかにされたのです。
この施本のデータ
- 「1」ってなに?
- 生きるためのたったひとつ
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2009年5月8日