充実感こそ最高の財産
今、この瞬間を生き切ればいい
アルボムッレ・スマナサーラ長老
「充実感」を味わってみては
最後に「幸福とは何か」ということについて考えてみましょう。幸せとは、高級料理を食べることでもなく、巨額の財産を持つことでもなく、有名になることでもなく、地位や名誉を獲得することでもありません。
幸せとは心の状態のことをいうのです。心に充実感があるかということ。公園のベンチでおにぎりを食べても、高級レストランで十万円の料理を食べても、どちらでもいいのです。あなたの心が充実感を感じるか感じないか、ということが最も大切なのです。
お釈迦さまとお釈迦さまの弟子たちは、人々が捨てたものを食べ、木の下で寝て、「私こそ幸せだ」と言っていました。なぜなら、貪らず怒らず智慧を持って、一瞬一瞬、充実感を味わいながら生きていたのですから。
身体を喜ばせるためだけの生き方はとてもつまらないものです。皆さまは「音楽を聴くのは楽しい」と言っていますが、本当にそうですか? 確かに一時的な楽しみは感じるかもしれません。でも何時間も、何日も、同じ曲を聴き続けるとどうなるでしょう? つまらなくなると思いますよ。これは映画を見ても、ごちそうを食べても、豪邸に住んでも同じことです。はじめはいいのですが、だんだん飽きてきて、かなりストレスが溜まるんですね。
眼耳鼻舌身の五欲を楽しませても、決して「真の幸せ」は得られないのです。
瞬間瞬間、目覚めて生きる
大切なことは心に充実感があるかないかです。充実感とは「やったぞ!」という気持ちのことです。
たとえば、映画を見るときはきちんと集中してみるのです。そうすると映画の内容も、監督が伝えたいメッセージも、きちんと理解することができます。また映画の中でどんな工夫がなされ、どんな技術が使われているかなど、いろいろな裏のカラクリも見えてきます。歴史の映画なら、事実を語っているか、あるいはどこまでつくり変えているかと、そこまで深く知ることができます。そうすると「映画を見た」という充実感が生まれてくるのです。
でもどうでしょう。私たちはポップコーンを食べるは、コーヒーを飲むは、トイレに走っていくは隣の人としゃべるは…。映画を全然見ていないんですね。これはお金の損、時間の無駄以外の何ものでもありません。
集中して映画を見たなら「見たぞ」という充実感が生まれてきます。一瞬一瞬を無駄にしないで、目覚めて、単純に生きているときだけ、心に充実感が得られるのです。これがお釈迦さまの教える無量の幸福なのです。
Kataṃ(カタン) karaṇīyaṃ(カラニーヤン)
「為すべきことは為し終えた」すべてやったぞ、もうやることはない。これがお釈迦さまの言われた究極の幸福――涅槃です。
この施本のデータ
- 充実感こそ最高の財産
- 今、この瞬間を生き切ればいい
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2002年9月