施本文庫

仏教の「無価値」論

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

真理の言葉(Dhammapada)より 

Subhānupassiṃ viharantaṃ, indriyesu asaṃvutaṃ; 

Bhojanamhi cāmattaññuṃ, kusītaṃ hīnavīriyaṃ; 

Taṃ ve pasahati māro, vāto rukkhaṃva dubbalaṃ. 

Dhammapada, 7

ものごとは清らかであるという見方で(ものごとに価値があるという見方で)

五根を制御せず、食事の節度を知らず、怠けて精進しない人は、 

弱い木を風が倒すように、マーラ(魔)に打ちのめされる。 

『法句経』七偈

Asubhānupassiṃ viharantaṃ, indriyesu susaṃvutaṃ; 

Bhojanamhi ca mattaññuṃ, saddhaṃ āraddhavīriyaṃ; 

Taṃ ve nappasahati māro, vāto selaṃva pabbataṃ. 

Dhammapada, 8

ものごとは不浄だという見方で(ものごとに価値がないという見方で)

五根を制御し、食事の節度を知り、確信をもって精進する人は、 

岩山が風に倒れないように、マーラ(魔)に打ちのめされない。 

『法句経』八偈

Asāre sāramatino, sāre cāsāradassino; 

Te sāraṃ nādhigacchanti, micchāsaṅkappagocarā. 

Dhammapada, 11

無価値なもの(世俗的なもの)について価値があると思い、 

価値あるものにたいして無価値観をもつ。 

彼はこの邪見のために真の価値ある境地(解脱)に達することはない。

『法句経』十一偈

第一章 なにがゴミで、なにが宝物ですか? 

こころは竜巻状態 

ある日、お釈迦さまは、こういうことをおっしゃいました。 

jānato(ジャーナトー) ahaṃ(アハン), bhikkhave(ビッカヴェー),
passato(パッサトー) āsavānaṃ(アーサワーナン) khayaṃ(カヤン) vadāmi(ワダーミ)

「わたしは知っているから、経験しているから、あなた方にもこのこころの煩悩(汚れ)をなくしなさいと説くのです」(Saṃyuttanikāya Nidānavagga,相応部経典因縁篇)という言葉です。 

それほどたいした意味があるようには感じられないかもしれませんが、これはとても大事な言葉なのです。お釈迦さまの言葉は、覚りをひらいて、正覚者になって、生命の苦を知り尽くして、苦を超越する方法も発見したうえで、語られるものなのです。われわれのことを憐れんで、厳密に気をつけて、確実に幸福になるようにと語られる言葉なのです。

しかしわたしたちは、お釈迦さまから「煩悩を無くしなさい」と言われると、「そんなことを言ったって……」という気分になってしまいます。
ですからお釈迦さまは、あいまいさを無くすために念を入れるのです。「知っているからこそ言っているのだ」と強調されているのです。 

わたしたちは、このヴィパッサナーという観察冥想で、こころに蔓延(はびこ)る、ありとあらゆる概念、感情といったものを「煩悩」だと理解したほうがいいと思うのです。お釈迦さまは、「そういうものを捨てましょう」と励ましているのです。
それで皆さま方は、これから修行に励もうとは思っています。真剣に、まじめに修行をしてみようと思っていることは確かですが、それが納得いくように進まないと、悩んだりすることもあるのではないかとも思います。 

「概念、感情などは邪魔だから捨ててみなさい」とわたしは簡単に言ってしまいますが、実際、皆さま方にはどうすればよいか、わからないところがたくさんあると思います。言うほど簡単に妄想概念、いろいろな感情、いろんな勉強したもの、そういうものからなかなか脱出しにくいのですね。 

それだけではありません。家のこと、仕事のこと、明日のこと、昨日のことなどが頭の中に入り込んで暴れるのです。そういうものからなかなか脱出しにくくて、ひっかかってしまうのですね。 

このように、さまざまなものにこころがひっかかってしまうと、「なんだか実践がうまくいっていないのではないかな」と落ち込むのです。「冥想なんかわたしには早すぎではないか」「わたしはちょっとダメなのではないか」という気持ちになってしまいます。 

このこころの中の竜巻状態は、まったく自然法則なのだと理解してください。 

だいたいわれわれは、ずっとそういうふうに育てられてきたのです。明日のこととか、昨日のこととか、十年前のこととか、あるいは家のこととかを考えたり心配したりするような人間に育てられたのです。どうしてもそれらを考えずには生きていられないような、きつい癖がついているのです。だから、すぐこころが変わって自由になるという希望は、なかなかもてませんね。 

それで「まあ、がんばればいい」という結論になりますが、もう一つポイントがあるのです。 

この施本のデータ

仏教の「無価値」論
 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2001年5月13日