施本文庫

なんのために冥想するのか?

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

第四章 脳開発としての冥想――大脳を奴隷状態から解放する

ここからは、原始脳と大脳の葛藤、そして脳の開発という視点から、冥想実践の意味を考えてみたいと思います。

原始脳と大脳

・原始脳はほとんどの生命にあります。

脳細胞がなくても、しっかりと生きている生命はいます。しかし身体の細胞の数が増えていくと、細胞が組織化されるのです。それを管理する細胞組織も必要になります。ですから、身体が大量の細胞でできている生命の場合は、脳が現れてくるのです。それは原始脳と言われるものです。原始脳の仕事は、様々な細胞組織を管理して命をつなぐことです。思考能力がなくても、この作業はできます。

・開発した大脳は、人間の特権のようです。

哺乳類には大脳組織もあります。たくさんの仕事をしなくては、生き続けられなくなったということでしょう。身体の大きさに比例して、大脳が大きくなります。しかし、大型動物の大脳と人間の大脳を比べると、人間のほうが比較的に大きいようです。大きな大脳を持つ他の生命と人間を比較しても、人間のほうが大脳を中心的に使って生きているようです。ゾウさんたちと違って、われわれは激しく思考しないと生き続けることができないのです。

・しかし、大脳は原始脳が出す指令で働くのです。

そこに問題があるのです。人間は大脳中心に生きていると言っても、その大脳は原始脳の指令で働いています。大脳が発達していると言ったところで、人間も他の生命と同じく、「いかに生き延びられるのか?」ということしか考えていません。大脳の能力をすべて、生き延びる目的で使っているのです。それは大した能力ではありません。どんな生命にも、自分の寿命を延ばして生きることはできないのです。脳がない生命も、脳がある生命も、結局は自分の寿命として許される範囲で生きて死ぬだけです。
大脳を活発に使っているからと言って、人間に他の生命より優れていると自慢することはできません。人間の大脳は、原始脳の指令に縛られているので、開発不可能な状態に陥っているのです。

・見る、聞く、……考える、判断する、意思で行動する、善し悪し、価値観などの働きは、大脳がやっています。
・それらの働きは、完全無知な、感情だけで働く原始脳の指令で行なわれているのです。

見る、聞く、判断する、考える、善し悪しを決める、価値観を持つ、などの働きは、大脳の仕事です。例えば、一個の石ころを取って、大脳で判断を行ないます。「これはルビーです。五百万円の価値があります」とする。また他の石を取って、「これはただの石ころです。なんの価値もありません」と決める。実は、両方とも石ころです。
しかし大脳が、石ころAは高価なものであり、石ころBにはなんの価値もない、と区別するのです。この判断は、決して科学的、客観的で正しい判断とはいえません。生き続けたい、という欲の感情によって下された判断なのです。

大脳は頑張っています。正しい判断をしようと努力もしている。しかし、その大脳は、裏で原始脳に支配されているのです。
そのため、すべての判断は、「生き延びられるのか? 死を避けられるのか?」という二つのバイアスに制約されます。存在欲・怯え・無知という三つの感情に支配されているがゆえに、大脳には、ありのままの事実を発見する客観的な判断ができないのです。大脳には、「真理を発見できない」というハンディがあるのです。

大脳は奴隷

存在欲と怯えと無知のみの原始脳が、大脳に信号を送ります。
・大脳はその信号に反応する奴隷になっているのです。
・その結果、存在欲と怯えと無知の感情が増大します。

例えば、「怒ってはいけない」と大脳は知っています。しかし大脳に、怒らずにいることは不可能です。原始脳から怯えの信号が入ると、大脳は怒るのです。怒ってしまって悪い結果になったり、生きることが苦しくなったりすることも大脳は経験しますが、「怒ることはいけない」と原始脳に教えてあげることはできません。怯えの感情が入ると、人間も他の生きものも戦いに行きます。生き延びる目的で戦うのです。客観的に見れば、生き延びるための戦いで自分の命を失うという矛盾です。
しかし、その話は、原始脳に理解不可能なのです。戦いで負けそうになると、さらに怯えが増して、大脳に強烈に信号を送るのです。大脳は後先の結果に構わず、原始脳の指令に従います。怯えの指令で動いた大脳が、原始脳の怯えをさらに増大させる、という結果を出すのです。

欲の感情で活動すると、欲が増大する。怒りの感情で活動すると、怒りが増大する。無知で活動すると、さらに無知が増大する。客観的に考えると、悪循環のまずい状態です。
しかし、大脳は奴隷なので、原始脳という主人の指令に従順でいるしかありません。そもそも、逆らう力を持っていないのです。

・生きていきたい、死にたくはない、敵をつぶしたい、などの信号が原始脳に現れます。
・客観的なデータを知ることができる大脳は、「それはその通りに行かない」と知っているのです。

生きていきたい、死にたくない、という気持ちは、皆さんもお持ちでしょう。しかし、少々考えてみてください。死にたくない、という希望は、決して叶わないものです。生まれた生命は皆、必ず死ななくてはいけないのです。あえて言わなくても、誰でもわかっていることです。でも、わかっているからと言って、生きていきたい、死にたくない、という希望は消えるものでしょうか?

人は誰だって死ぬ、自分も死ななくてはいけない、という事実は大脳で知っているのです。しかし、私たちはその事実を認めたくはないのです。事実はどうであろうと関係なく、私たちは、生きていきたい、死にたくはない、命を脅かす出来事に対して恐怖感と怒りを抱きます。それは原始脳の管轄です。
大脳は原始脳の奴隷なので、事実を知っても主人に逆らうことができないのです。事実を知ることは、大脳の管轄です。事実を知っていても、仕方なく無知な行動をするのは、原始脳の指令のためです。

今日は車で来る時に、お年寄りの書いた川柳の本をいただいて少し開けて読んでみたところ、「延命は 不要と書いて 医者通い」という一句がありました。年を取っているのだから延命治療はいらないよ、と言いつつも、今日も診療所に通っている。まさに、これなのです。

ですから、「延命治療はいらない」と言っているのは大脳なのです。この川柳を読んで、「これは大脳と原始脳の戦いぶりをちゃんと表現しているのだ」と私は理解しますけど、歌を書いた人もそうはわからないでしょう。自分の矛盾に笑っているだけです。大脳の思う通りにいかないとわかっているのです。

・奴隷は葛藤を感じながら、病みながら、失望感に(さいな)まれながら、行動します。

悩み・苦しみ・葛藤は、大脳が感じるものです。明るく自由に行動することは、大脳にはできません。大脳の仕組みから考えると、葛藤がないほうが仕事をしやすいのです。悩みではなく喜びを感じるならば、充実感を憶えるならば、仕事をしやすいのです。
しかし大脳に、この機会は一向に訪れません。大脳は原始脳の奴隷です。奴隷に自由はありません。素直に笑うことはできません。幸福は感じません。惨めに原始脳の指令に従わなくてはいけません。これが大脳中心に生きていると思っている人間の、本当の生きかたなのです。

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この施本のデータ

なんのために冥想するのか?
 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2016年4月29日