施本文庫

なんのために冥想するのか?

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

第一章 身体とこころの「進化」論

進化とは適応である

・進化とは、成長ではなく「適応」です
・進化過程で退化する能力は、必ずしも悪い・いらない・邪魔ということではないのです。

進化ということを勘違いしないでください。私たちは成長しているわけではなく、ただ適応しているのです。そこで、進化すると、代わりにいろいろなものが退化するのです。退化するものだからと言って、邪魔だ、悪いものだと決めることはできません。

・人間を観察すると、進化過程では、ある能力が落ち、ある能力が発展し、ある弱みが減り、新たな弱みが現れる、といったことが見えます。

たとえば、人間社会では色々なものごとを計算する必要があります。社会が複雑になるにつれて、計算の量がどんどん増えてきます。それで私たちは計算機を使うようになりました。結果としてどうなったのかというと、頭で暗算する能力が落ちたのです。皆でいろんな工夫をして頭で計算していた頃のことなど、考えられない状態になっています。しかし、一方で現代の私たちは、昔の人々などより遥かに膨大な計算を瞬時にしているでしょう。これって、進化なのか退化なのかよくわからないのです。

日本ではソロバンという道具で計算していましたけど、インド文化系ではそれも使いません。長い割り算やあれこれも、頭の中でソロバンもなく瞬時にし終えるのです。そのためには、結構頭を整理整頓して動かさないといけない。しかし、電卓やいろいろな機械が発明されたことで、その計算能力もガクっと退化してしまったのです。

そういうわけで、進化とは新しい環境に適応するだけのことに過ぎないのです。適応する過程で、ある能力は減る、ある能力が増える、ということが起こります。

そこで、減った能力は要らないのか、邪魔なのかと言えば、ちょっと待って欲しいのです。いまの私たちに抜群の暗算能力があっても、別に何も悪いことはないでしょう。

人間の体力はどうでしょうか? 現代のアスリートは、かつてオリンピックに出た人より遥かにすごい記録を出しています。今は、人間の身体に持てる能力のギリギリのところでオリンピックをやっているのです。では、人間は全体的に体力が向上しているといえますか? そこは問題なのです。

皆、機械任せで、機械に生かされているのです。それでどうなったかというと、体力が衰えると困ります。病気になります。そうなってくるとスポーツセンターやジムに通って、人間にはなんの役にも立たないことをやっているのです。それで、ちゃんとスポーツセンターに行って健康でいるのだと、しっかりした身体を維持しているのだと喜ぶのです。しかし、その身体を維持するのは大変なのです。

では、昔のおじいさん、おばあさんたちの時代はどうでしょうか? 皆、結局は健康でしょう。日本には八十才、九十才の方がたくさんいます。私たちは、その方々の健康状態に敵わないと思います。その体力はスポーツセンターで鍛えたものではないでしょう。ですから昔の生きかたに適応して、ちゃんと体力が備わっていたのです。今、私たちは現代の生きかたに適応したおかげで、スポーツセンターがないと、早死にする破目に陥っているのです。

数字だけ見れば、昔のオリンピック記録を笑ってしまうぐらい、今の記録はすごいのです。では人間の体力が全体的に向上しているのかというと、なんだかちょっとわからない。そのように進化という現象について、多面的に理解してほしいのです。

・進化とは、ただ現状に適応するだけのことであり、良いとも悪いともいえません。
・当然、思考能力・判断能力も、この進化の流れから自由にならないのです。

進化というのは現状に適応することです。適応できた生命だけが生き残るのです。

そこで、これからじわじわと仏教の世界に入らなくてはならないのです。仏教から見れば、進化するのは肉体だけではありません。思考能力・判断能力というものも進化するのです。

・思考、判断能力の進化も「生き残る・生存する」目的で起こるものです。

ですから、私たちは肉体だけではなくて、思考も進化します。脳も進化します。何度もいいますが、進化とは人が進んで向上することではないのです。環境の変化に応じて、適応するだけのことです。その過程で、能力が上がったり下がったりします。進化という言葉をもっと適切な単語に入れ替えるならば、「変わること」です。

進化を意味する英語の単語はevolution(エヴォリューション)です。その単語はもともと、「回転する」という意味を持っていたのです。Evolutionの正しい日本語訳は、「進んで化ける」ではなく、「変化する」であるべきです。なぜならば、生命は進んでいるわけではないからです。「今の私たちは昔より進んでいる」というフレーズは、現実をあらわすものではなくて、ただの感想です。人の能力の上がり下がりは両方とも進化の過程で起こるのです。では、進化するときの目的は何なのでしょうか? なぜ人は進化するのでしょうか? なぜ環境に苦労しながら適応するのでしょうか? 決して「立派な人間になろう」という目的ではありません。何がなんでも生き残るためなのです。

・したがって、人間の知識開発も良いとも悪いともいえず、ただ単に適応できたに過ぎません。

人間は犬よりもずっと頭がいいのだ、と言って自慢しない方が身のためです。これぐらい頭脳が発達しないと、人類は種として生き残れないのです。犬はあの頭でも、大丈夫です。熊さんもあの頭で大丈夫です。生き残れます。すごい知識を持っていないと生き残れないのは、人間だけです。

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この施本のデータ

なんのために冥想するのか?
 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2016年4月29日