施本文庫

「死」は幸福のキーワード

~「死隨念」のススメ~  

アルボムッレ・スマナサーラ長老

好きは苦しみの種 

ときどき、お釈迦様はちょっと謎めいた言葉を言ったりもする。それさえもありがたがって帰ります。 

あるとき、自分の姪か子供か、大切な身内が死んでしまって、悲しみのあまりご飯も喉に通らず苦しんでいる女性がいました。「本気で考えてくださるのはきっとお釈迦様だけですから、お会いしてみよう」と考えて会いに行ったのです。 

会ったとき、お釈迦様は厳しい言葉をかけたのです。「そんなものです。あなたはその子のことが大好きだったのですから。好きなものというのは苦しみの種なのだと、よく覚えておきなさいよ」と。そう言われただけで、本人はすごく喜んでしまったのです。悲しみに暮れていたのに、晴れやかな気分になって、ニコニコと笑って帰ったのです。 

帰りにサーリプッタ尊者が待っていて「あなたはずいぶんと落ち込んでお釈迦様に会いに来ましたが、帰るときはものすごく明るい顔ですね。何があったのですか?」と聞きました。「明るくならないでどうしますか。お釈迦様が私にすごく大事なことを教えてくれたのですから」とその人は答えました。
そこでサーリプッタ尊者が「何を教えてもらったのですか?」と質問すると、「好きなものは問題の種だ、苦しみの種だということです」と答えました。そこでまたサーリプッタ尊者が、「ああそう、それはどういう意味ですか?」と聞くと「意味? それはわかりませんよ」と、そのときはじめて意味がわかっていないことに気づいたのです。 

仏教徒はとても負けず嫌いですから、その女性はサーリプッタ尊者に逆襲します。「サーリプッタ先生、私達にお釈迦様がおっしゃることが全部わかるわけがないでしょう?先生は何のためにいるのですか。わからないところを明確に我々にわかりやすく説明するのは、先生の仕事ではないですか」と。そこでサーリプッタ尊者が「ああそうか、では座ってください」と言って、お釈迦様の説法の意味を教えてあげたのです。それ自体も面白い笑い話でしょう? しかし中身は深いのです。 

お釈迦様が本当に言いたかったのは、「子供が死んでしまったからといって、一週間もご飯を食べなかったなんて、あなたみたいなバカはいませんよ」ということです。そんなことを父親に言われたら、「失礼もいいところ」と反発するでしょう。お釈迦様は、それをちょっと微妙に謎っぽくして教えたのです。さらに、サーリプッタ尊者の解説で意味がしっかりとわかったのです。 

わかってびっくり、です。お釈迦様はさりげない言葉で、どれほどの真理を教えられたのか、ということです。 

仏教の教え方、ブッダの語り口というのは、素晴らしいのです。 

笑いましょう 

我々も、ユーモアを持って、よく笑ったほうがいいのです。「死ぬのは恐い」ではなくて、よく笑ってユーモアたっぷりに過ごせば、けっこう楽に生きていられます。どうせ死ぬのですから、そんなに人生を真剣に受け止める必要はないでしょう。一日、泣いたら損でしょう。「短い時間しかないのだから一日も損しないぞ」と考えて、笑って生きることです。
喧嘩もしない。喧嘩して嫌な気持ちになっている時間のぶんだけ損ですから。そうやって、喧嘩もしないで、人に怒ることもしないで、人に対して恨みも持たないで、明るく笑って生きるのです。 

考えてみてください。恨みというのは怒りよりひどいでしょう? ちょっと恨みを持ってしまうと、なかなか消えません。死ぬまで同じ恨みを抱えたままになります。そういう人生は面白いでしょうか? 人のことを恨んで、隣の人と喧嘩ばかりして、隣の国々とも喧嘩ばかりして過ごす生き方は安全でしょうか? 面白いでしょうか? 何か利益があるでしょうか? 何もないでしょう。 

「死」という現象があるからこそ、死ぬからこそ、毎日、明るく生きていられるのです。有益な人生が送れるのです。無益なことは絶対せずに済むのです。 

人が喧嘩を売ってきたら、「あなたは喧嘩を売りたいのですか? 私は買いませんから、別のところに売ってください。私にはそんな暇がないのです。私は1分でも笑いたいのです。私に喧嘩を売ろうとして、あなたが無駄骨になっては本当にかわいそうですから、どこか買う人のところへ売ってください。そうすれば商売繁盛しますよ」と言えばいいのです。そんなふうに生きれば、人生は明るくなるでしょう。そういう人は何にも負けません。 

幸福の暗証番号 

何にも負けない人生のために、死を観察しなくてはいけないのです。「死ぬ」と認めなくてはいけないのです。「歳をとった」と悩まないために、「シワができた」と悩まないために、死を観察しなくてはいけないのです。 

髪の毛やら髭やら、嫌なところばかり勢いよく成長します。髭は伸びたら剃らなくてはいけないでしょう。爪も伸びたら、切らなくてはいけません。 

私の爪はとくに厚くて、100円ショップで売っているような普通の爪切りではまず切れないのです。どうせ切って捨てるものなのに、なぜ生えるのかと思います。1日おきに頭髪も髭も一緒に剃っています。剃られるものは、なくてもいいものですから成長しなくてもいいのに。お釈迦様は「1ヵ月間に1回程度、剃ればいい」とおっしゃっていて、昔、若いときはそうしていたこともありますが、そのペースでは、伸びすぎてしまいます。
最近、私は「髭は毎日、剃ったほうがいいけれど、頭は1週間に1回でも十分」ということに気づきました。頭の上は、最近、あまり生えないからです。しかし、ずっと剃っていたので気づかなかったのです。国に帰ったとき、小さな子供たちと遊んでいたとき、彼らに「禿げている」という事実を発見されてしまったのです。 

しかし、私はそのことを自分の都合のいいように解釈したのです。「剃るのは、本当は皮膚に悪いのだから、これでよかった。これからは1週間に1回でももちます」と。「ああ、楽だ。これで石鹸も残るし、剃刀ももちますし、儲かった」と思ったのです。そんなものでしょう? 大したことではないのです。 

つまり「老いるのは当たり前だと思えば楽しい」ということです。なぜ男性の方々は禿げてきたら、それを自慢しないのでしょうか。禿げたからといって、育毛剤を使ったり、ブラシで頭をトントン叩いたりするのは、不自然でしょう。なぜそんなことをするのでしょうか。私にはよくわからないのです。 

女性の方々も、あれこれ身体が変化しますね。しかし、なかなか老化を認めない人もいるようです。しかし、老いによっていろいろ変化するのは、死を知る人には、面白いだけなのです。 

おわかりいただけたでしょうか? 確実に、明るい、幸福の扉を開けたければ、暗証番号は「死の観察」ということになります。頑張ってみてください。観察するたびに心は清らかになります。欲が減っていきます。怒らなくなります。それだけで最高な徳なのです。 
この挑戦には、お金は一切かかりません。ただ単に自分で「やっぱり何でも、結局は壊れていくなあ。I’m not safe from it. 私もそこから自由になったわけではない」と知るのです。ただそれだけです。お数珠も何もいりません。しかし、それが幸福の暗証番号なのです。 

死の観察では、次に無常を発見します。死とはすなわち無常であるという、この上ない智慧が現れるのです。 

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「死」は幸福のキーワード
~「死隨念」のススメ~  
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2010年11月21日