施本文庫

「死」は幸福のキーワード

~「死隨念」のススメ~  

アルボムッレ・スマナサーラ長老

なぜ生まれてきたのか? 

この問いへの仏教の答えは、身も蓋もありません。「バカだから生まれてきた」のです。我々が説法では使わないだけで、そういう答えが経典にはっきり書いてあります。なぜ私達がこの世の中に生まれたのかというと、「おまえはバカだから」なのです。無智で無明で、貪瞋痴で、ロクでもない心があったのだから生まれたのだということです。何か計画があって生まれたわけではないのです。 

経典には、お釈迦様の言葉で「無明と渇愛に覆われている生命は限りなく輪廻転生するのだ」と記されています。これを聞けば乱暴な言葉には聞こえないでしょう? では、これをわかりやすい単語に置き換えたらどうなるか。はっきり言えば、「バカだから生まれている」ということなのです。 

我々はバカだから生まれたのです。生まれたときはバカでしたが、死を観察する人は、その死をきちんと繰り返し見ることで、智慧を開発するのです。バカを克服するのです。ですから、80歳まで生きていなくても、20歳で死んでしまっても、死を観察した人が人生の成功者です。この点についても、お釈迦様のきつい言葉が法句経(ダンマパダ)にあります。
「愚か者は百年生きていても意味がないのだ」「智慧がある人の一日には敵わないのだ」と。 

ヨー チャ ワッササタン ジーヴェー  アパッサン ダンマムッタマン  

Yo ca vassasataṃ jīve, apassaṃ dhammamuttamaṃ, 

エーカーハン ジーウィタン セッヨー  パッサトー ダンマムッタマン  

Ekāhaṃ jīvitaṃ seyyo, passato dhammamuttamaṃ. 

優れた真理を知らずして百年生きるより、 

優れた真理を知った人の命は、 

たった一日に限ったものであっても、 

その命は優れている。 

ダンマパダ 一一五偈意訳

 ですから死を観察する人は、どうしても幸福に達することになるのです。 

バカだから生まれてきた我々ですが、智慧を完成してこの世を去ることはできるのです。生まれたのはバカですが、死んだのは智慧の完成者たち、ということは可能です。
「バカに生まれてバカで死ぬ」としたら悲しいのです。死にそうなときに、「ああ死にたくない、この財産はお嫁さんにあげたくない」とか、「私が死んだら、うちの会社は、息子はどうなるのか。こいつは会社を倒産させるかもしれない。困った、困った」などというのは、バカで生まれて、死ぬときにさらにバカになっているということです。 

そうではなく、きちんと死を観察して生きれば、無智で生まれても智慧を完成させて死ぬことができるのです。 

ですから我々は「いつでも死ねる」という状況を作ることです。死ぬときに、「このまま死んだら困ります」という状態ならかわいそうなのです。私は「あなた、今、死ねる?」と問いかけます。「ああ大丈夫、別にどうということはない。準備OKだ」と言えるなら、とても素晴らしいことです。
きちんと「死」を知っている、最高の幸福に達することのできる人間だという証拠なのです。 

皆さんも、幸福な人生のために、日々の生活の中で、理性に基づいて、しっかりと「死の観察」をしてみてください。 

死は感情的に観察するものではありません。感情で死を見るのは、俗世間のやり方です。そうすると、恐くなったり、精神的に問題を起こしたり、暗くなったりします。
客観的な事実として、日々、理性によって「死」を観察して生きるならば、究極の幸福に達することも不可能ではないのです。

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「死」は幸福のキーワード
~「死隨念」のススメ~  
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2010年11月21日