ジャータカ物語

No.37(『ヴィパッサナー通信』2003年1号)

ムーラ・パリヤーヤ・スッタの話

Mūlapariyāya jātaka(No.245) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

この物語は、釈尊がUkkaṭṭha(ウッカッタ)の近くのSubhaga(スバガ)林に滞在しておられたとき、「Mūlapariyāya sutta(ムーラ・パリヤーヤ・スッタ)」(※1)について語られたものです。

そのころ、三ヴェーダに精通した五百人のバラモンたちが、出家して仏道に入り、三蔵を学んで、慢心と驕慢に酔って、「正しく悟りをひらいた人も三蔵を知っているだけである。我々も三蔵を知っている。それならばブッダと我々とに、いったい何の区別があろうか」と言って、お釈迦さまの機嫌をうかがうこともせず、自分たちはブッダと同じだという顔をして、日を送っていました。

そんなある日のこと、彼らがやって来てお釈迦さまの近くに坐ったとき、お釈迦さまは、「ムーラ・パリヤーヤ・スッタ」を「八つの人格」(※2)に基づいて説き明かされました。しかし彼らは何一つ理解できませんでした。そのとき彼らはつぎのように考えました。「我々は、我々に比べうる智慧者はいないと自慢していた。しかし今、我々は何も理解できなかった。ブッダに比べうる智慧者はいない。ああ、ブッダの徳はなんと偉大であることか」と。それ以後の彼らは慢心がなくなり、牙を抜かれた蛇のように、従順になりました。師は好きなだけウッカッタに滞在し、Vesālī(ヴェーサーリー)に赴き、Gotamaka cetiya(ゴータマカ廟)で「ゴータマカ・スッタンタ」という経を説かれると、一千世界が震動しました。それを聞いて、これらの比丘たちは阿羅漢の悟りに到達しました。

「ムーラ・パリヤーヤ・スッタ」を説きおえてから、お釈迦さまがウッカッタに滞在しておられるあいだに、比丘たちが説法場において話を始めました。「友よ、ああブッダの威力のなんと偉大なことか。あのバラモン出身の比丘たちは、あのように慢心と驕慢に酔っていたが、世尊が“ムーラ・パリヤーヤ”をお説きになると、慢心をなくしてしまった」と。そこへお釈迦さまがおいでになってお尋ねになりました。「比丘たちよ、ここに集って何の話をしているのか。」「これこれの話でございます。」そこでお釈迦さまは、「比丘たちよ、今だけではなく、以前にも私はこれらの慢心のため頭を高くして歩いていた連中を、改心させたことがある」と言って過去のことを話されました。

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その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩はあるバラモンの家に生まれました。 成年に達して、三ヴェーダに精通し、世界的に有名な先生となって五百人の青年にヴェーダを教えました。これら五百人の青年たちは、学業を成し遂げ、学問に専心して、「先生が知っておられるだけ、我々も知っている。何の区別もない」と考えて、驕慢になり、学校(先生のもと)に行くこともなく、種々の義務を果しませんでした。

ある日、先生がBadarī(ナツメの木)(※3)の根もとに坐っていたとき、彼らは先生を愚弄しようと思い、木を爪でコツコツと叩いて、「この木には価値がない」と言いました。菩薩は自分が愚弄されていることを知って、「弟子たちよ、おまえたちに一つの質問をしてみよう」と言いました。彼らはたいへんに喜んで、「言ってください、お答えいたしましょう」と言いました。先生は質問を出してから、第一の詩句を唱えました。

あらゆる生類をも
自分自身をも 時は食べつくす
時を食べつくした者は
生類を焼くものを焼き尽した

その質問を聞いて、青年たちの中には一人もこれを理解できる者はありませんでした。そこで菩薩は彼らに言いました。「おまえたちは『この問題は三ヴェーダの中にあるものである』と考えてはなりません。おまえたちは、私が知っていることを全部知っていると考えて、私をナツメの木と同じものと見なしました。私がおまえたちの知らないことを、たくさん知っていることに気付かないからです。行きなさい、七日間の時間をあげましょう。この期間中にこの問題を考えなさい。」彼らは菩薩を礼拝して、各自の住居に帰り、七日間考えましたが、問題の終わりも、極限をも見いだせませんでした。彼らは七日目に先生のもとにやって来て敬礼して坐り、「諸君、問題が分りましたか」と尋ねられて、「分りません」と答えました。再度菩薩は彼らを叱責して、第二の詩句を唱えました。

沢山の髪の毛で飾られている
人間の頭だけは数多くあり
うつむいて首につながっている
耳を持っている者は誰もいないのか

と言って、これらの青年たちを、「おまえたち愚か者には耳の穴(※4)だけがあって、智慧がない」と叱責し、問題を解きました。彼らはそれを聞いて、「ああ、先生は偉大だ!」と言って、謝罪し、慢心をなくして、菩薩に仕えました。

お釈迦さまはこの法話をされて、過去を現在にあてはめられました。「そのときの五百人の青年たちは、現在の比丘たちであり、先生は実にわたくしであった」と。

スマナサーラ長老のコメント

(※1)Mūlapariyāya sutta(ムーラ・パリヤーヤ・スッタ)

中部経典の第一番目の経です。あらゆる思考の起源と、思考はどのように方向転換するのかという、二つのテーマに基づいた説法です。意訳すると、「基礎知識の基礎経」と言えるかもしれません。

(※2)「八つの人格」
凡夫から阿羅漢まで、人格を八つに分けて、それぞれの段階にある人がどのように同じデータを認識するのかという説明です。

(※3)Badarī
どこにでもある、ほとんど価値のない樹木の一つです。神木でもないし、珍木でもない。材木にもなりません。しかし、師が使用しているものが何であろうとも、それを軽視するのは、師に対する強烈な侮辱です。

(※4)耳の穴
昔の学問は、口伝で耳から学びました。ですから、耳の「穴だけ」があると言えば、学問する能力がないという意味になります。ちなみに、学者は bahussuta(多聞者)と言います。

この物語の教訓

師と同格になること、師を乗り越えることは可能なことです。何かを学ぼうとする者が、それについて師と同じ知識を得ようとするのは素晴らしいことです。能力があって、師の知識も乗り越えるならば、その生徒はその学問に多大な貢献をする者になります。しかし、怒りで、憎しみで、嫉妬心で、攻撃的に学ぼうとしても、人の役に立つ知識人にはなれません。このような性格の場合、学問が身に付くとは言い難いのです。

菩薩は、立派な師として自分が知っている全てを弟子達に学ばせたのです。正しい師は、知識を伝授することを惜しまないのです。弟子にとっては、良い師は自分の命と同じくらい価値ある存在です。一生尊敬の念を持ち続けるべきなのです。

このエピソードは、弟子としてあってはならない性格を説明しているのです。「知っているんだぞ」「卒業した」と驕慢になって、怠けてしまうと、知識の発展はその時点でストップするのです。そこから知識は衰えるのみです。菩薩は高慢にならず、生命についてさらなる真理を探し求めていたのです。菩薩は、「君等は私より偉いと思うならば、今私が考察している疑問に答えてみなさい」と一週間の時間を与えたのです。しかし、知識の探求を一日も怠らなかった師に、知識を得たと満足して高慢になった青年達が、太刀打ちできるはずもなかったのです。

時に焼かれて無限に悩んでいる生命が、どうすれば時を焼き尽くすことができるのかと探し求めた菩薩は、悟りをひらいてその答えを見つけたのです。