ジャータカ物語

No.53(「パティパダー」2004年5月号)

チュッラカ長者の話③

Cullakaseṭṭhi jātaka(No.4) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、精舎には比丘たちがまだいるのではないか」と、手で鉢を覆われました。マハーパンタカ長老は、「尊師よ、精舎には比丘たちはおりません」と申しあげました。お釈迦さまは、「ジーヴァカよ、いるかもしれませんよ」と言われました。ジーヴァカは、「それでは、おまえ、出かけて行きなさい。精舎に比丘たちがいるかいないかを調べてきなさい」と男を遣わしました。その瞬間に、チュッラパンタカは、「私の兄は『精舎に比丘たちはいない』と言ったが、精舎に比丘たちのいることを彼に見せつけてやろう」と、マンゴーの林全体に神通で比丘たちをあふれさせました。ある比丘たちは、衣服の仕事を行ない、ある者たちは染色の仕事を、ある者たちは誦経をするというぐあいに、互いに異なった千人の比丘を現出させました。その男は、精舎に多くの比丘たちがいるのを見て引き返し、「だんなさま、マンゴーの林全体が比丘たちで満ちあふれております」とジーヴァカに報告しました、一方、チュッラパンタカ長老はその場で、この詩句を唱えました。

我が身を千体も化作して
心地良きマンゴー林に
パンタカが坐している
食事の時を告げられるまで

(前号から続きます)
そこで、お釈迦さまはその男に、「精舎へ行って『如来がチュッラパンタカを呼んでいる』と言いなさい」と言われました。彼は出かけてそのように言ったところ、「私がチュッラパンタカです」「私がチュッラパンタカです」と千人の比丘が一斉に声を上げました。その男は帰って来て、「尊師、皆がチュッラパンタカというそうです」と申しあげました。「では、そなたは行って、『私がチュッラパンタカです』と最初に名乗った者の手をつかまえなさい。残りの者たちは消えうせてしまうでしょう。」彼はその通りにしました。すると、千人もいた比丘たちはたちまち消えうせました。長老チュッラパンタカは、出向いた男と一緒に行きました。

お釈迦さまは食事が終わると、「ジーヴァカよ、チュッラパンタカの鉢をとりなさい(※↓)。彼は、そなたに説法するでしょう」と言われました。ジーヴァカはそのようにしました。長老は咆哮する若いライオンのように、三蔵経典に基づいて説法しました。お釈迦さまは座から立ちあがって、比丘サンガにとりまかれて精舎に行かれました。そして比丘たちの務めがすむと、座から立ちあがり、居室の前に立って、比丘たちに助言を授けました。さらに瞑想を指導されてから居室に入り、右脇を下にして(獅子臥形という)床に就かれました。

さて、夕刻になると、講堂に比丘たちがあちこちから参集して、あたかも褐色の毛布を張り巡らしたように居並び、ブッダの威徳について話を始めました。

「友よ、マハーパンタカは、チュッラパンタカの気質を知らないで、四ヵ月かかっても一つの詩句を習得することができない、この者は愚鈍だ……と言って、精舎から追い出した。ところが、正覚者は、この上ない法の王であられ、ほんの半日のあいだに、彼に『無碍解』(特別な能力までも具わった大阿羅漢の境地)を授け、彼は、『無碍解』によって三蔵経典に精通するようになった。ああ、諸仏の御力はまことに偉大なものだ」と。

そのとき、世尊は講堂でこの話が始まったのを知られ、「今こそ私は行くべきだ」と、臥床から起きあがられました。濃い赤褐色の二重の衣を下に着け、稲妻のように輝く腰帯を結び、赤褐色の上衣をまとい、芳香室(お釈迦さまの居室は「芳香室」と呼びます)から出られました。ライオンの如く、雄々しく堂々とした歩調で、講堂に行かれました。そして、飾りたてた堂の中央の、立派に備えられた見事な座にあがられました。六色の光明を放ち、あたかも海の底までも照らしつつユガンダラの山頂に昇った朝日のように、座の中央に坐られました。正覚者が来られただけで、比丘サンガは、話を中断して沈黙しました。

お釈迦さまは、優しく慈しみの心で比丘たちをご覧になり、「この会衆はまことに立派だ。一人として無作法に手を動かしたり、足を動かしたり、咳ばらいや、くしゃみをする者がいない。この者たちはすべてブッダを尊重して敬意を抱き、ブッダの威光に畏敬の念を持ち、たとえ私が生涯話さずに坐っていても、先んじて話を切り出して語ることはないであろう。話を始める機会は私が承知すべきことだ。私がまず話をすることにしよう」と、妙なる神々しい声で比丘たちに告げました。「比丘たちよ、今どのような話をしていたのか。君たちが中断した話はどのようなものであったのか」と問われました。「尊師、私たちは、禁止されている卑しい話をしていたのではありません。世尊のすぐれた威徳を賞讃しながら坐っていたのです。『友よ、マハーパンタカは、チュッラパンタカの気質を知らないで、四ヵ月かかっても一つの詩句を習得することができない、この者は愚鈍だ……と言って、精舎から追い出した。ところが、正覚者は、この上ない法の王であられ、ほんの半日のあいだに、彼に『無碍解』を授け、彼は、『無碍解』によって三蔵経典に精通するようになった。ああ、諸仏の御力はまことに偉大なものだ』と話をしていました。」お釈迦さまは比丘たちの話を聞かれ、「比丘らよ、チュッラパンタカは今、私によって、もろもろの教えのなかでも大いなる教えを得たが、前生でも、私によって、もろもろの財産のなかでも大いなる財産を獲得したのだ」と言われました。比丘たちは、そのわけを明らかにされるよう世尊に懇請しました。世尊は、過去の生涯の隠れた経緯を説き明かされました。(次号に続きます)

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

在家信者さんたちは、釈尊とその弟子たちに御布施の法要を競って行いました。しかしその機会は、なかなか得られるものではありません。釈尊は、翌日の接待の申し出しかお受けにならないのです。明後日、来週、来月などの約束は絶対なさらない。「明日、御布施を致したいので、家にいらしていただけませんか」と頼まなくてはいけないのです。そうなると、一人の接待しか受けられません。たとえ貧乏な人でも、誰より先に釈尊にお願いすることができれば、その人の接待を受ける。その次に国王が来て頼んでも、断るのです。アナータピンディカ長者、ヴィサーカー夫人、ジーヴァカ医師などは預流果の悟りに達していて、仏教におけるしきたり、習慣に詳しかったので、他の人よりも釈尊に食事の法要をするチャンスを得られました。しかし釈尊は、より大勢の人々に御布施の功徳を与えるために個人の接待を最小限にして、多く托鉢に出られたのです。

食事の法要が終わったら、必ず信者さんたちに説法をなさいます。それは、いただいた食事の施しに対する、仏陀からの法施なのです。説法の内容はその人の機根に応じて変わりますが、一般的には、御布施によってどれほど徳を積んだか、その結果としてどのように幸福になるかを説明されます。また、回向することによって先祖供養もさせます。信者が喜ぶという意味と、回向という意味も合わせて、食後の説法はパーリ語でanumodanāと言います。

この説法は、釈尊かサーリプッタ尊者などの大弟子たちが行うのです。信者さんが特定の比丘の説法を希望する場合、その比丘の鉢を預かります。他の比丘たちは帰られますが、この比丘は説法をしてから鉢を返してもらうのです。(↑※)