ジャータカ物語

No.124(2010年5月号)

郭公(かっこう/コーキラ鳥)物語

Kokila jātaka(No.331) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。

ある雨安居(うあんご/雨期の間の修行)の時、お釈迦さまの二大弟子であるサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、祇園精舎の外で静かに雨安居を過ごすために、お釈迦さまの許しを得て、精舎を出ました。お二人は、コーカーリカという国にある、コーカーリカと呼ばれる出家者の寺に行きました。

長老方は、コーカーリカ比丘に、「自分たちは安息したいので、滞在は内密にするように」と頼みました。その時コーカーリカ比丘が、「あなた方に安らぎを与える事で、私に何の得があるのか?」と訊きました。「コーカーリカ、では、私達はあなたに真理を解説しましょう」と約束しました。

両尊者は無事三ヶ月の安居を終了しました。長老方は祇園精舎に戻ることにしました。最後の日、長老方はコーカーリカ比丘と一緒に村に托鉢に出ました。托鉢が終わって長老方が帰るとき、コーカーリカが村に戻り、村の人々に、「あなた方は、仏陀の二大高弟であるサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者が三ヶ月間もわが寺に滞在しておられたのに、何も知らなかったとは、まるで動物のように愚かだね」と言いました。人々は、「なぜ教えてくれなかったのですか?」と驚いて、たくさんの薬や衣や油などを持って長老方を追いかけ、「なにとぞ私たちを憐れんで、お布施の品を受け取って下さい」とお願いしました。コーカーリカ比丘もそちらに来て、「長老方は小欲だから、きっと品物を私にくださるだろう」と期待して待っていました。

しかし、お二人は品物を受け取られず(頼まれて持ってきた品物なので、布施として受け取ることは戒律違反です)、コーカーリカ比丘に与えなさい、とも言わなかったのです。村の人々は、「それでは、私たちを憐れんで、ぜひもう一度こちらにいらっしゃってください」と長老方にお願いし、お二人は承諾されました。コーカーリカ比丘は、お布施の品を何も得られなかったことにがっかりし、「長老方は何も品物を受け取らず、私に何もくれなかった」と腹を立てました。

祇園精舎に戻られたサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、しばらく祇園精舎で過ごした後、それぞれ五百人ずつ、千人の弟子たちを連れて、再びコーカーリカ国を訪れました。人々は喜んで、毎日盛大な供養をしました。多くの衣や薬などの品々もお布施されました。コーカーリカ比丘は当然自分もたくさん品物をもらえると期待していました。しかし、お布施を扱う比丘たちは必要な順番で配ったので、客として訪れた比丘たちに行き渡ったところで品物は無くなりました(お布施の作法として、客として訪れた比丘には優先的に品物を渡すのです。そのお寺に住んでいる比丘にはいつでもお布施できますから)。

コーカーリカ比丘は、「前は両尊者も自分も何も受け取らなかったが、今回は両尊者はたくさんお布施を受けている。それなのにあの二人は、私を顧みず、何も私にくれなかった。両尊者は少欲知足に優れていると言われているが、結局は多欲ではないのか」と異常な怒りの炎を燃やしました(戒律に抵触して品物を頼んだのも自分ですし、村人が客の比丘にあげる品物は客比丘の間で分けるようにするのが定住比丘の勤めであることを顧みなかったのも自分でした。沢山お布施を期待することで多欲になったのも、コーカーリカ比丘でした)。

サーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者は、「この男は我々といると罪を犯してしまう」と知り、比丘たちを連れて立ち去ることにしました。村人たちが、もっと滞在してくれるように懇願しましたが、長老方の気持ちは変わりませんでした。人々は、長老方が立ち去るのはコーカーリカ比丘のせいだと気づき、「長老方が滞在できないようにするのなら、あなたはここを出て行ってください。あの方々にお詫びしてもう一度こちらに来ていただくか、あるいはあなたが出て行くか、どちらかにしてください」と彼に詰め寄りました。

コーカーリカ比丘は、長老方の一行を追いかけて、戻ってくれるようにと頼みました。しかしお二人は、「友よ、あなたは戻りなさい。私たちは引き返しません」と言って、祇園精舎に帰られました。村人たちは納得せず、「こういう愚か者がいたら優れた大長老はこちらに来てくれない」と考えて、「ここにいても、あなたには何もありませんよ」と言ってコーカーリカ比丘を追い出しました。

自分の寺を追い出されたコーカーリカ比丘は、祇園精舎に来て、仏陀のところに行き、「世尊、サーリプッタもモッガッラーナも心の正しくない人々です。悪い望みに支配されています」と釈尊に告げました。お釈迦さまは、「コーカーリカよ、そのようなことを言ってはならない。サーリプッタとモッガッラーナに対する異常な怒りの心を鎮めなさい。二人を善良な修行僧だと知りなさい」とおっしゃいました。コーカーリカ比丘は、「世尊、世尊はあの二人を最も優れた弟子だと信じておられますが、私は自分の目で見たのです。あの二人は正しくない行いを隠れてする人々です。戒のある道徳的な人々ではありません」と言い張って、お釈迦さまが三度たしなめられたにもかかわらず、三度もサーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者を誹謗中傷した後で、やっと座から立ち上がりました。

コーカーリカ比丘が釈尊のところから立ち去ろうとすると、全身に芥子の種ほどの小さな吹き出物が現れました。さらに歩いているうちに、それらの吹き出物はみるみる大きくなって、大きな果実ほどの膿をもったおできになりました。もう少し経つと、おできが破れ、血と膿が吹き出してきました。コーカーリカ比丘は、あまりの苦痛に耐えられず、うめきながら祇園精舎の門のところに倒れ込みました。

コーカーリカ比丘が、最も優れた二人の仏弟子を誹謗したことによる震動は、梵天界にまで届きました。かつてコーカーリカ比丘の師匠であったトゥドゥ梵天は、昔の弟子の悪行を心配し、祇園精舎にやって来ました。トゥドゥ梵天は倒れているコーカーリカ比丘のところに行って、空中に立ったまま話しかけました。「コーカーリカよ、おまえは大変なことをした。すぐに、最も優れた二人の仏弟子への異常な怒りを鎮めなさい」「友よ、あなたはどなたですか?」「私はかつてのおまえの師匠だよ。今はトゥドゥ梵天となって梵天界にいるのだ」「友よ、世尊は、私の師は不還果を得たと言われた。不還果はこの世には戻らないはずでしょう。あなたはどこかの塵の山にでも住む夜叉(やしゃ)ではないのですか?」。そのように、コーカーリカ比丘は、自分の師である大梵天をも誹謗しました。トゥドゥ梵天は「おまえは自分自身の言葉で苦しみを受けることになるだろう」とあきらめて、清浄な世界(梵天界)に戻っていきました。

コーカーリカ比丘は、そこで倒れたまま死亡し、蓮華地獄に堕ちました。それを知ったサハンパティ梵天が、それを仏陀に告げ、仏陀はそれを比丘たちに話されました。

比丘たちが法話堂で、「友よ、コーカーリカ比丘は、サーリプッタ尊者とモッガッラーナ尊者を誹謗し、自分の口から出た禍のために蓮華地獄に堕ちてしまった」と話をしていました。お釈迦さまがそこに来られ、「比丘らよ、コーカーリカが言葉で身を滅ぼし、ひどい苦しみを受けることになったのは今だけではない。過去にも、彼は、口から出た禍で苦しみをなめたのだ」とおっしゃって、皆に請われるままに過去の話をされました。

 

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は王に重んじられる大臣でした。国王は、駄弁を弄する人でした。菩薩は、いずれ機会を捉えて、王の駄弁を諫めてあげようと思い、好機をうかがっていました。

ある日、国王は御苑を散歩して、玉座として使われている板石の上に座りました。板石の上にはマンゴーの木が茂っており、木にはカラスの巣がありました。

何ヶ月か前、そのカラスの巣に、一羽の黒い郭公(コーキラ鳥)が、自分の卵を産み付けました。その卵を温めて雛をかえしたカラスは、郭公の雛を自分の子供だと思って、えさをあげて育てていました。ところがちょうどその時、郭公の雛が、まだ羽もろくに生えそろっていないのに、突然、郭公の声で鳴いたのです。カラスは驚いて、「この鳴き声はカラスとは全然違う。こいつが大きくなったら何をするかわからない」と思って雛を嘴で突き殺し、死骸を巣から落としました。

王は、突然、殺された鳥の雛が上から落ちてきたので、とても驚きました。そして菩薩に、「これはいったいどうしたことか?」とたずねました。

これはいい機会だと思った菩薩は、「大王様、口数が多く、時を選ばずに声を出すと、こういうことになるのです。この郭公の雛は、カラスの巣に産み付けられて、カラスに養われていました。ところが、まだ翼が十分成長しないうちに、突然、郭公の声で鳴いてしまったのです。鳴き声がカラスと違うことに気づいたカラスは、雛を突き殺し、巣から蹴り落としたのです。

人間にしても、動物にしても、時を選ばずにしゃべると、恐ろしい目に遭うのです」と、次の詩句を唱えました。

時が来ぬのに
長談義に耽るもの
ことごとく落ちてゆく
死に至る郭公のごとし

速やかに人を殺す
よく研いだ刃物も
ハラーハラという猛毒も
邪に吐かれた言葉には敵わぬ

されば語るべき時も、また語るべからざる時も
賢者は口を護るもの
等しい仲間同士であっても
時を超えず語るもの

思慮し、また洞察し
適度を知り語るもの
あらゆる敵に勝ちを得るなり
金翅鳥(こんじちょう)が蛇に勝つがごとし

このことがあってから、王は適度に口を開くようになり、菩薩をますます重んじるようになりました。

お釈迦さまは、「この時の郭公の雛はコーカーリカであり、賢い大臣は私であった」と言われ、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

今月の教訓

言葉の戒めに対して、仏教は厳しいのです。人間の社会は言葉で成り立っているので、人は誰でも、厳密に言葉を戒めなくてはならないのです。人と話すときは、話すべき時期、というものがあるのです。その時期をみはからって語るべきです。それから言葉の量もあります。度を超えて喋ることで、相手が苦しくなるのです。話の中身は聞き入れないのです。話した人に対して、嫌な気持ちを抱くのです。時期を見計らって、適度を知ってしゃべっても、それでいいとは言えないのです。何をしゃべるのか、という内容が大事なのです。言葉は聞く相手に有意義なものでなければ無駄話なのです。無駄話も罪です。

言葉に気をつけないことで、コーカーリカ比丘が地獄に堕ちたことについて、お釈迦様がこのように語られているのです。「人の口の中に舌という両刃の斧があります。愚か者はそれを振って自己破壊するのです。」この意味は、言葉の戒めがない人は、罪を犯すだけではなく、いままで自分が積んでいた功徳まで破壊してしまう、ということです。