なんのために冥想するのか?
アルボムッレ・スマナサーラ長老
はじめに――冥想は現代人のアクセサリー?
今回のテーマは、「なんのために冥想するのか?」です。もしかすると皆さんは、そんな質問をする必要はないのではないか、と思われるかもしれません。冥想に興味があるという方々は、日本だけではなくて世界中どこにでも結構いるのです。中東はどうかわかりませんが、アジア・ヨーロッパの国々では冥想というのが日常的なことになっているぐらいです。
ここで私がポイントとして提示したいのは、現代アメリカや西欧の社会で、冥想が盛んに実践されているということです。冥想は、西洋の人々にとって、日常の苦しい生きかたに添えられるちょっとしたアクセサリーになっているのです。
いわゆるカウンセリングを受けるのは、アメリカでも西欧でもごく普通のことです。日本人にとって、カウンセリング通いは日常茶飯事になっていません。少し問題を抱えている人が行くだけです。東洋のほうでは、自分の国スリランカもそうですけど、滅多にカウンセラーのところに行かないのです。
精神科医はいますが、酷い病気の人とやり合っているだけで、普通の人は全然行かない。そういう考えはないのです。
しかし、西洋ではカウンセリング通いが誰でもやるべきものになっていて、大統領をはじめ皆カウンセリングを受けたりする。冥想もまた、そういったカウンセリングの習慣の一部になっているのです。
私が強調したいのは、「冥想ってそんな甘い話ではないですよ」ということです。冥想、とりわけお釈迦さまの説かれた冥想を実践するのは一体なんのためなのかと、これからしっかりと学んでみましょう。
この施本のデータ
- なんのために冥想するのか?
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2016年4月29日