惛沈睡眠とは何か?/無気力状態から脱出する方法/周りの人の落ち込みへの対処法/後悔の気持ちとどう向き合えばよいのか
パティパダー2016年9月号(207)
惛沈睡眠とは何か?
長老の本を読んでいたら、「惛沈睡眠(こんちんすいみん)」という言葉が出てきました。普通の睡眠はいいが、惛沈睡眠は良くないということで、早く気づいてやめたほうがいいというお話でした。惛沈睡眠がどういうものかよくわからないので、気づくことができません。どういうものか教えてください。
惛沈睡眠は怠けに似ている
「惛沈睡眠」は怠けることによく似ていると憶えてください。やる気がなくて、ダラダラと怠けちゃっている状態に似ています。
くたくたに疲れて眠る場合は、気分がいいのです。寝たい、寝たいと思って眠る場合は、気分が悪くなります。脳の中で何か暗い気持ちになって、膜が張ったような感じになるのです。惛沈というのは、こころが動かない状態です。勉強するときでも、この状態が出てきますね。惛沈の膜が張ってしまうと、授業でも先生の声は聞こえているけど、あまりやる気が起きない。早く授業が終わってほしいとか、そういう気分になった時は惛沈睡眠の状態なのです。なんとなく、怠けという現象に似ているのです。惛沈睡眠に気づくために、以上のポイントをよく理解してください。
無気力状態から脱出する方法
慢性的に無気力だったり、憂鬱だったり、怠惰な状態になっている人は、こころに何かがたまって動けなくなっているのだと思います。そういった状態から素早く脱出するためのポイント、何か行為のアドバイスがあれば教えてください。
慢性状態の人にアドバイスは難しい
慢性的な人は、アドバイスしても実行しないのですね。悲しいことです。何かで暗さが慢性的になったということは、ちょっと暗くなったところで、その時に暗さを処分しなかったからなのです。私でも時々、暗くなることがありますよ。しかし、3分もかからないうちに暗さを消してしまいます。すぐに誰かに冗談を言って、笑いを取って消してしまうのです。そういうことをしなくても、すぐに他のことをやっていますから、暗さは全然長持ちしないのです。それどころか、そんなことがあったのか、とすぐ忘れてしまいます。
そういう落ち込みがあっても、感情を処分するのが下手な人がいます。それから、その落ち込みをコピー(妄想)してしまう。すると、もっと落ち込みが強くなる。また処分しない。そういうことを繰り返し、繰り返しやってしまいますから、暗い感情がもう手に負えないところにまでなってしまうのです。
こころをゴミ屋敷にしないこと
ですから、精神状態があまりにも酷いゴミ屋敷の状態になってしまって、ゴミの山がちょっとした地震で崩れて、あぁ自分が死んでしまうかもしれないと自覚するところまでくる。それでは遅いのです。自分でゴミ(暗い感情)をどこかから持ってきて置いておく。週に二回はゴミの日がありますし、ゴミは捨てればいいのですが、持っていけないほどのゴミをためこんでしまったら、どうしますか? もうリミットを超えてしまっているのです。
そんな感じで、自分のゴミ屋敷を見たら、このゴミの山が発火したらどうしよう、ゴミが崩れて生き埋めになったらどうしよう、そんなこと今さら思っても遅いのです。しかし、そういう人間もいますね。
いま余計な話をしましたが、これがアドバイスなのです。このゴミ屋敷の譬えで、少し驚いてほしいのです。ちょっとした感情、ちょっとした暗さ、ちょっとした落ち込みを放っておかないでください。放っておくと、あっという間にゴミ屋敷になります。
解毒剤を自分で発見する
ですから、なんとしてでも暗い気持ちを破ってください。自分で暗い気持ちを破る解毒剤を発見してほしいのです。解毒剤の発見は自分でするしかない。これはお釈迦さまにもできません。お釈迦さまは、lobha・貪に対しての解毒剤としてalobha・不貪、dosa・瞋に対してはadosa・不瞋、moha・痴に対してはamoha・不痴と言ってはいます。言語ではわかりにくいのですが、試してみれば解毒剤は発見できると思います。
まず、なぜ今の精神状態になったのかとみて、どうすればこんな気持ちになるのか考察する。例えば、腹が立っている人がいるとする。いつも不機嫌です。なぜ不機嫌になるのか? そこを調べると、なるほど、こういうときにこうなるからだとわかる。そこで「では、こうすればいい」というふうに解毒剤が発見できるはずなのです。発見するためには、丁寧な自己観察が必要なのです。
ですから、まずは泳げなくてもとにかくプールに飛び込むことです。何とか気分が変わりますよ。
周りの人の落ち込みへの対処法
自分が落ち込んでいる当事者ではなく、周りの人で落ち込んでいる人がいたとすると、どういうことをしてあげるのが、その人のためになるのでしょうか?
お説教はやめましょう
まず、そういう人はお説教を聞かないのです。人間にはお説教する必要はない、アドバイスをする必要もないのです。頼まれてもいないのに、人にアドバイスをすること、教えてあげることはやめましょう。そういうことはやめて、別なことをするのです。
例えば、周りで誰かが落ち込んでいる。その人のところに行って、何か迷惑をかける。「落ち込んでいる場合じゃないよ」という言葉ではなくて、「あの、これやりましょうよ」という感じです。内容は自分がやりたいこと、面白いと感じることでいいのです。相手は「あなたは面白いかもしれないけど、私はそんなことしたくない」と怒るかもしれません。しかし、「いいから、やりましょう」と誘ってみる。それで結局、相手の落ち込み状態が消えるのです。
そのようなやり方だったら、自分がアドバイスをしないで、お説教もしないで、暗い気持ちを治したことになります。落ち込みを治す解毒剤は自分で発見するしかないのです。
例えば自分の親にでも、何か間違えているところがあったら指摘して、アドバイスしてみてください。絶対、話を聞いてくれないと思います。人間に限らず、生命はそういうものなのです。ですから、なんとなく暗い雰囲気を壊すようにするだけです。
後悔の気持ちとどう向き合えばよいのか
仏教では「後悔しないほうがいい」と言われています。確かに、自分で失敗したことなどは後悔しないのが妥当だと思うのですが、他人にしてしまった行為、相手を傷つけてしまったとか、取り返しのつかないような行為に対しては、どうしても後悔してしまいます。他人に対してしてやってしまった行為の後悔は、どのように気持ちを処理したらいいでしょうか?
素直に謝りましょう
人間に対して過ちを犯したら、素直に謝ることです。日本には「お詫び」という文化まであります。しかし、素直に謝る気持ちとなると希薄なようです。企業がとんでもないことをやると、謝罪の仕方を教える会社もありますね。お辞儀の角度や言葉の使い方、偉そうに記者会見のやり方などまで教えてくれる。そんなことをやっているから、我々は本当に謝ることができなくなってしまうのです。
そうではなく、いつでも人に迷惑をかけたら謝ってください。誰にでもですよ。相手が子供でも同じです。それだけ。取り返しのつかない過ちというのは、人を殺すことです。たぶん、それはやっていないでしょう。他はどんなことでも取り返しはつきます。
謝るチャンスを逃したら
もし謝るチャンスを逃してしまった場合は、忘れるしかないでしょうね。謝る勇気もないし、他の方法を考えることもやりたくない、ということだったら、結局は謝りたいという気持ちもないことになりますね。本当に謝ってやるぞと、そのほうが自分の気持ちがしっかりするのだと思っていれば、何とか方法を見つけて謝るのです。もし相手が死んでいるなら謝れませんが、それ以外は出来ることがあります。繰り返しますが、取り返しのつかない過ちというのは、人を殺すことです。皆さん、そんなことはやっていないでしょう。他の場合ならば、謝ることができます。もしどこかに謝りたくないという気持ちがあるとしたら、とんでもないことです。
本人に謝る気持ちがあったら、ただ黙っていても謝っていることがわかるものです。時々、お寺で預かっている子供が失敗してしまって、大人にすごい損をかけてしまう。子供は失敗をしたとわかっているのです。でも、子供だからどう謝ればいいのかわからないし、弁償しようとしても親にもお金がない。子供はその瞬間に体が硬くなって、石みたいになってしまう。私から見れば、それで十分です。それから、ポンとその子の背中を叩いて「さぁ、これを片づけましょう」と言ってあげる。それで、なかったことにしてあげるのです。私はその子は正しく謝ったと思うのです。石のように固まってしまった子供の緊張をほどいてあげて、ちょっと仕事をさせる。自分が壊したものは自分できちんと片づけなさいと言う。そうしてあげると、本人もなんとなく自分がした失敗を忘れてしまって、また明るさを取り戻すのです。
とにかく、謝れるならば謝りましょう。それだけです。謝るべき相手が亡くなっているなら、それはもう関係がなくなっているのだから、仕方ありません。謝る方法があるなら謝ること。方法がないのであれば忘れることです。心理学的に言えば、謝ることで気持ちは楽になるのです。謝ることが不可能な場合は、後悔しないで明るく過ごすしかありません。「謝りたいけど不可能です」という気持ちで開き直ることで、後悔の念も消えてゆくのです。それしかないと思います。



