智慧の扉

2015年1月号

慈しみの生き方

アルボムッレ・スマナサーラ長老

 世の中に「生きとし生けるものが幸せでありますように」という、これほど立派で完璧な素晴らしい言葉があるでしょうか? 皆さん考えてみてください。

 この“生きとし生けるものが幸せでありますように”という言葉を自分自身のモットーにして生きてみる。他の余計な考えや期待や希望など、そんなものは全部二の次、三、四の次で生きてみるのです。そうすると、生きる上で起こる問題、人間関係や動植物との関係などはすべて解決します。

 世界は酷く苦しんで困っています。なぜかというと、「私が正しい」という態度で殺し合いをしているからなのです。人間なら他人を助けなさい、と言いたいのです。自分が何者かと自我を張る前に、あなたは人間であることを認めましょう。人間とは、地球に生きている一つの生命であって、みんな仲間なのです。どうして「わたし」と偉そうに威張れるのでしょうか? あり得ないことをやっているから、生きること自体が大変なことになっているのです。
 
 ですから、「わたし」という立場で自然法則に逆らって、わがまま好き勝手に生きることは、いつだって出来ないのです。世の中には何事にも、やりかた・方法があるのです。すべての生命にとっての生きかたがあるのです。それは誰かが決めたわけではなくて、生命の法則で成り立っているのです。
 
 人間はその法則を破って自我を張るのです。「わたしは偉い、あなたは劣っている」と見ることで、世界がすべて壊れていくのです。世の中には、競争や競技があります。それも法則の中で起こるものです。競争で勝ちたいと思うのは悪くありません。競争では、負けたいから参加したということはあり得ないことです。わたしが勝ちたいと思っても、勝敗は法則によって成り立つものです。わたしが勝ちたいといっても、それだけで勝てるわけではありません。
 
 自我が出てくると法則違反で、心が弱くなってしまいます。それで負けてしまいます。心を鬼にして競争や勝負に勝ったとしても、何の喜びや充実感もないのです。

 どんな競争・競技の時でも「生きとし生けるものが幸せでありますように」という自我のない精神で挑戦する。勝利は因果法則による結果ですが、自分自身の努力が欠かせないものであると理解しましょう。自我を捨てて、一人ひとりが精いっぱい努力して生きるならば、世界は幸せになる。そういうわけで、「慈悲の冥想」を一生懸命にやってみてください。