施本文庫

わたしたち不満族

満たされないのはなぜ? 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

2 不満

どのようなとき「不満」になるのでしょうか?

 ◇標準レベルに達していないとき

生きることには「レベル」というものがあります。その標準レベルに達していない人は、不満になります。

たとえば大学を卒業したのに、仕事にも就かず、部屋に閉じこもっている青年がいるとしましょう。ご飯を食べるために食卓にも来ませんから、母親が部屋に運んであげなくてはなりません。
母親は自分の息子のことを「一流大学を出た優秀な子」と思って大事にしているかもしれません。でも社会的に見れば、この青年はまだ標準レベルに達していないのです。

この青年がなぜ外に出ないで家に閉じこもっているのかというと、外に出れば社会というものに出会うからです。
たとえば飲み屋さんに行ったとしましょう。まわりの人はなんのことなく「今何やっているの」とか「大学卒業したのに、なんで仕事しないの」と聞くでしょう。しかし、この人は、そういうことを聞かれたくないのです。もしかすると「自分は世界一偉い」と思っているかもしれません。

でも、家の外に出ればそのレッテルは否応なしに剥がされてしまい、周りからずけずけ言われるのです。ばかにされることもあるでしょう。それがイヤなのです。ですから外に出ませんし、買い物にも行きません。家の中に閉じこもっているのです。

このような人びとはちょっと外に出ると、むちゃくちゃ不満を感じるのです。不満を感じるのは、まだ標準レベルに達していないからです。普通の人なら「わたしはこういう仕事をしているんだけど、毎日忙しくてたいへんだ」などと、人と対等に会話することができるでしょう。

会社に入ったばかりの新入社員は失敗が多いかもしれません。でも「今日もまた上司に怒鳴られた」などと社会で会話ができる人は、精一杯がんばっているのです。ですから、一応、満足しているのです。

そういうわけで、標準レベルに達していないと不満を感じるのです。

 ◇欲が深く、希望や夢がいっぱいあるとき

どんなに欲しいものがたくさんあっても、希望や夢がいっぱいあっても、身体は思うように動きません。
人間には身体と時間という二つの制限があります。何をおこなうにしても、その制限の中で生きていなくてはならないのです。

しかし、欲や希望、夢というものは、身体や時間を気にしません。時間や空間に関係なく「ああなりたい、こうなりたい」「あれが欲しい、これが欲しい」と妄想するのです。
その結果、不満になるのです。

 ◇能力や才能がないとき

社会というものは個人に対していろんなことを要求してきます。そこでそれに見合う能力が自分にないと、不満になるのです。

たとえば子供たちは不満だらけでしょう。
というのも親たちが自分勝手な妄想と欲望で「大きくなったら偉くなりなさい」とか「医者になりなさい」などと、子供にいろいろ要求するからです。もしかすると子供には病院の床掃除をするぐらいしか能力がないかもしれません。なのに、親は一方的に子供を医者にしたがるのです。そうすると子供はすごく不安になります。
親の期待に応えようと一生懸命がんばる子もいるかもしれませんが、もしその子に能力がなければ、挫折感を味わい、自信をなくし、余計に落ち込んでしまうのです。

これは大人でも同じことです。
社会はわたしたちにいろんなことを要求してきますが、自分に能力や才能がない場合、不満になるのです。

 ◇社会に言われることが気になるとき

「社会」とは、自分以外のすべてのもののことです。社会というものは、好き勝手に無責任に、なんでもかんでも言ってくるものです。他人がどんなことを言うか、全く予想がつきません。

たとえば会社の人たちと宴会をしているとき、突然「あんた、歌えないの?」と聞かれたら、歌が下手な人なら一時的にショックを受けるでしょう。落ち込んで、不満が生まれるのです。
人に言われることを気にし始めると、きりがなく不満を感じます。

子供たちが失敗するのは、親の言うことが気になるからです。聞き流せばいいのですが、聞き流すことができない性格の子供は、不満やストレスが溜まり、それが我慢できないところまでいくと、犯罪に走ったり、最悪の場合、親を殺す可能性もあります。
ですから気をつけたほうがいいのです。日本は平和な国だと安心しないほうがいいと思います。

ポイントは
「あなたは他人の言うことが気になる性格でしょうか」
「人にちょっと言われただけで傷つく人でしょうか」
ということです。
他人の言葉を気にする人は、かなり不満が出てきます。

 ◇自分自身でどうすればよいのかわからないとき

どうすればよいのか、どんな人間になればよいのか、何をすればよいのか、そういうことが全然わからない人は、不満しかありません。
わたしたちは子供の頃から「どんな人間になればよいのか、どのように生きるべきか」ということをはっきり知っておいたほうがよいのです。

でも残念ながら、日本の学校では、あまりそういうことを教えていないようです。
子供たちは、義務教育だから小学校と中学校に行き、友だちが進学するから高校に行き、仕事をしたくないから大学に行く、というような感じで、しっかりした意志を持たないまま、ずるずると歳を重ねていくのです。

こういう生き方は、人間として良い生き方ではありません。
「こういう勉強がしたい」「こういう仕事がしたい」という、はっきりした気持ちを持つことが大事です。
たとえ親やまわりが反対しても、「自分はこういう理由で、こういうことがやりたい」と決めた時点で、自分がしっかりしています。そのエネルギーはたいがい良い方向に向かうものです。

反対に、自分ではどうすればいいのか判断できず「みんながやっているから自分もやる」と甘えて育った人は、不満の人生を送ることになります。
そういう人たちは、仕事をやらなければならないけどやりたくないとか、上司に叱られたからやる気がなくなったとか、何か言い訳をしたり、まわりに責任を転嫁して生きています。
それで、不満が増えるのです。

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わたしたち不満族
満たされないのはなぜ? 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2006年9月23日