施本文庫

わたしたち不満族

満たされないのはなぜ? 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

第3章 不満が消えない仕組み

1 物質のダイナミズム

 ◇一切の物質は不安定

なぜ物質は動くのでしょうか?不安定だからです。
なぜ地球は自転・公転し、太陽は燃えているのでしょうか?不安定だからです。なぜ物は古くなったり、汚れたり、壊れたりするのでしょうか?不安定だからです。
なぜわたしたちの身体は老いるのでしょうか? なぜ死ぬのでしょうか? 不安定だからです。

一切の物質は不安定で、絶えず動いています。動くといっても空間を移動するという意味ではありません。
movement(ムーブメント、移動)ではなく、dynamism(ダイナミズム、不断の変動)です。物質はダイナミズムなのです。

たとえばスーパーで買ってきたアイスクリームを冷蔵庫に入れないで、そのままテーブルの上に置いておいてください。どうなるでしょうか。どんどん変わっていくでしょう。アイスクリームは空間的には動きません。同じ位置にありますが、ずっと変化し続けているのです。これが「ダイナミズム」ということです。すべての物質はダイナミズムなのです。

物質は絶えず変化しています。なぜかというと、今の状態が不安定だからです。変化しても不安定だから、また別の状態に変化します。それも不安定だから、また別の状態に変化します。やっぱり不安定だから、また別の状態に変化します。
このように物質は絶え間なく変化し続けるのです。

 ◇物質に関わると不満になる

わたしたちは、そういう不安定という性質を持つ物質の中で生きていますから、すごく不満になるのです。

たとえば、何年もかけてお金を貯め、ローンでやっと家を建てたとしましょう。それで万々歳でしょうか。
家を建てた瞬間から、その家は変わっていくのです。ほこりは溜まるし、汚れるし、傷はつくし、壊れるし、そのたびに掃除をしたり修理しなければなりません。やってもやっても変わりますから、これにはきりがないのです。それでもやがて壊れてしまいます。

ご飯を食べること、服を着ること、仕事をすること、音楽を聞くこと、なんでもそうですが、物質は常に変化していますから、それに関わっているわたしたちのこころには、どうしようもなく不満が生じるのです。
ご飯を食べると満足するのではなく、不満になりますし、音楽を聞くと満足するのではなく「音が小さすぎる、大きすぎる」などの不満が生じます。音楽がすばらしいものだったら「もっと聞きたい」という別の不満が生じるでしょう。

なぜ不満になるかというと、ものが一瞬たりとも止まっていないからです。

 ◇楽しいことは瞬時に消える

楽しいことがあっても、それは瞬時に消えますから、こころに不満が生じます。

ときには楽しくて気分がよくなることもあるでしょう。でも物質は常に変わっていますから、その気分のよさはすぐに消滅するのです。
おいしい料理を食べても、そのとき味わった満足感はあっという間に消えてしまいます。

満足感を持ち続けることはできないのです。これは花火のようなもので、花火が夜空に咲いた瞬間「美しい」と見えるでしょう。
でも次の瞬間から、花火は儚く(はかなく)散ってゆくのです。

 ◇「ものが在る」というのは無知な人の考え

わたしたちは「ものが在る」という前提で生きています。コップが在る、中に飲み物が在る、わたしがいる、わたしが飲み物を飲む、というように。

でも「ものは在る」と言えるでしょうか。「在る」ではなく「ダイナミズム」なのです。瞬間瞬間、別のものに変わっています。

しかし、わたしたちは「ものが在る」と錯覚しています。コップを見た瞬間「コップが在る」と思うでしょう。わたしたちは八十年ぐらい経たないと「コップが変わった」ということに気づかないかもしれません。でも実際には、コップは瞬間瞬間変わっているのです。

それから、数字の「点」や「一直線」「数字」というものは在るのでしょうか。これらは現実には存在しないものなのです。なのに、わたしたちは頭の中で「点がある」「線がある」「数字がある」と思い込んでいます。

「ものが在る」というのはわたしたちの誤認(誤った認識)であり、錯覚なのです。

現代社会は科学技術が発展し、さまざまな発見や発明がなされています。しかし、どこかで「こんなはずではなかった」と思っているのではないでしょうか。
医学は急速に発展していますが、うまくいかないこともたくさんあります。この「うまくいかない」ということが、真理の立場から見れば、当たり前で普通の状態なのです。

みなさんはうまくいかないとすぐに落ち込んで悩むでしょう。うまくいかないとなった途端、何もやらなくなるのです。
仏教徒は、それとは反対に、とことんチャレンジします。しかし、同時に「すべてはダイナミズムだから、うまくいかない」ということも理解しているのです。

 ◇「在る」と誤認して一喜一憂する

なぜ「ものが在る」と錯覚してしまうのでしょうか。

錯覚は、見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触れること、考えることから生じます。

たとえば、耳に音が入って、それを「○○さんの声だ」と考えると、その人は「言葉が在る」と認識しているのです。言葉というものは、明らかに、ないものでしょう。聞いたそばから消えてゆくものです。

でもわたしたちは頭の中で「あの人がこう言った」と言葉を固定的に捉え、一喜一憂するのです。ひどいときには、他人に言われたことを死ぬまで忘れずに覚えている人もいます。

この「ものが在る」という錯覚が、限りない不満を生み出しているのです。

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わたしたち不満族
満たされないのはなぜ? 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2006年9月23日