仏教の「無価値」論
アルボムッレ・スマナサーラ長老
第三章 ヴィパッサナー冥想をすすめるうえで
ヴィパッサナーのレポート
〔大阪の〕半日の冥想会など、一回かぎりではそれほど厳密に指導はできないから、いろいろとやり方について問題やら、疑問やら出てくると思います。ですから、遠慮しないでわたしに、いつでもレポートしてください。
ときどき、レポートしてくださいと言ったら、「わたしは修行がうまくいっていないのに、なにか恥ずかしい」と思ってしまうこともあるようですが、それは勘違いなのです。
「うまくいっていない」と思ったことが、価値をつけて鑑定しようとしたことになります。「価値がある」と言えるものはないのです。ですから、どのようになさっていたのか、その過程のレポートだけしてみてください。なにをなさっているのかと。「いまは、このように観察しているのです」とレポートしてください。
もし脱線していたならば、直したりすることはできます。それぞれ個人に合うように、方法を変えてあげることもできます。
ヴィパッサナーの基本
一応、ヴィパッサナーの基本だけは、よく憶えておいてください。
ヴィパッサナー冥想とは、三つの基本だけで成り立っています。
①スローモーション
一番目。とにかくスローモーションでする。
みんなでいっしょに行動をするときは、動きのスピードをみんなに合わせますが、あせらないで落ち着いて行動する。いっしょにご飯を食べたり皿を洗ったりするとき、片づけたりするときは、あせらないで落ち着いて行動する。
それ以外はすべて集中実践の時間だから、できるだけそのときの気持ちに合わせてスローモーションをしてみる。ときどき、超スローモーションをやってみたほうがよいと思います。こころを落ち着かせるために、スローモーションをなさってみること。
②実況中継
それから二番目。冥想を始めてから[合宿を]解散するときまで、ずっと実況中継だけは忘れないことも大切です。風呂に入っても、歯を磨いていても、お蒲団を敷いたり畳んだりしても、皿洗いをしても、実況中継だけは忘れないこと。
実況中継を中断してしまったということは、また徹底的にゴミに価値をつけて鑑定することが始まったということです。
たとえば、洗おうとして取ってみたお皿を「きれいだなあ」と隣の人に言った瞬間に、価値をつけているでしょう。「これはちょっと傷が入っているのだ」と言っても、価値をつけているのです。
ですから、しゃべったらすぐ価値の世界、苦しみの世界に入り込んでいるのです。ただ「取ります」「洗います」「置きます」と言ったら、なにも価値をつけないのです。
言葉は人になにかを言うためのものであって、語るべきか語るべきでないかは、その場その場でわかるのです。言葉でいわなくてもすむものは、よけいに話す必要はないのです。
「完全にサイレンスでやってください」と言ったら、仏教的でなくなってしまうんですね。沈黙に価値をつけてしまいますからね。まじめにがんばってください。
結果として、だれもしゃべらないことになるかもしれません。いらない言葉を話さないようにしてください。
もっと厳しく言えば、「いらないことはなにも考えないでください」と頼みたいのです。一切の思考を止めてほしいのです。それも、実況中継を一所懸命にがんばってみると、思考は全部ストップになるのです。実況中継、まじめにがんばってみてください。
③感覚の変化をキャッチする
そして基本の三番目。瞬間瞬間すべてのものごとは変わってしまうのです。一瞬しか、現象は残らないのです。すべての現象にあるのは、ほんの一瞬です。それを感じとってみてください。
でもはじめは、瞬間のことは感じられません。ですから、最初は大きい変化、大ざっぱな変化を感じればけっこうです。まあ、いくらか座っていると、その感覚、立ったときの変わった感覚、いまは部屋の中が暖かいけれども外へ出たら寒いという感覚、こちらにいるときの気持ちと外へ出たときの気持ちの変化などを、最初に観察してみてください。
お手洗いに行きたくなったとします。「お手洗いに行きたい」と思う気持ちと、お手洗いに行くときの気持ちと、お手洗いに行ってその用を足すときの気持ちと、それが終わったときの気持ち、このように感覚の変化を感じてみてください。
ですから、自分というものは瞬間瞬間、変わって、変身するのです。どんな変身が本物の自分だということは成り立たなくなるのです。怒っても、その瞬間だけ。楽しくなったとしても、その瞬間だけです。「これこそわたしですよ」と言える実体がないのです。
ですから、なににも価値をつけることはできないのです。
三番目としては瞬間瞬間、ものごとが変わっていく、その変わっていくものごとを、キャッチできるようにしてみてください。
この三つが、ヴィパッサナー冥想の世界です。
質問より
わたしの話は以上ですが、皆さま方、ご質問や疑問があるならば訊いてみてください。
Q:実況が追いつかないようなときには、その抜け抜けになったままでもやっていきますか?
A:追いつけないというのは? 具体的に、たとえば?
Q:自分の行動の速さについていけないことです。
A:こちらでは修行の世界だから、修行中なのだから、行動はゆっくりやってください。日常生活の中ではそれなりの実況中継をやればいいのですが、こちらでは厳密に修行しようと思って、文字どおり、よけいな身体の動きを止めたほうがよいのです。
いろいろ情報がいっぺんに入ってしまうと、たとえば坐禅中はいろんな痛みが出てきて、音も入ったりして、そのうえ膨らみ・縮みも感じると、言葉が追いつけなくなってしまいます。
その場合は、「こちらにします」と、一つ選ぶのです。微かにかすかに入ってくる音に「音、音」と実況よりは、膨らみ・縮みの方がはっきりわかっていると思ったら、やっぱり「膨らみ・縮み」を実況するというふうに、その場その場で一つを選ぶのです。
それでは、話を終了します。この時間からがんばってみてください。
この施本のデータ
- 仏教の「無価値」論
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2001年5月13日