施本文庫

仏教の「無価値」論

 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

思考はたんなるゴミの山 

そこで、物質的でない、もっと緊密にこころに張りついているものが、いっぱいあります。そういう具体的でない抽象的なものに執着すると、どこまででも悩み苦しみがついてくるのです。 

この抽象的なものとは、なんでしょうか? 自分の思考、妄想概念、主義、知識、学問、地位、名誉、好み、能力のようなものです。具体的なものよりも、これらの抽象的なものに強くとらわれているのです。 

われわれが「自分だ、自分だ」と思っているものの実際は、思考、妄想などです。妄想を「自我、自分、個性だ」と思っているのです。「思考、妄想などを捨てることは自分を捨てることだ」と思っているのです。「自殺することと同じだ」と思いたがるのです。 

こころを清らかにする目的で実践をはじめても、思考、主義、知識などが激しく邪魔をするのです。これらが、こころの中に竜巻を起こすのです。冥想実践は妄想実践になってしまうのです。なくすべき「自我観」、プライドなどを、逆に強化するのです。
「すぐにも結果が出ますよ」とお釈迦さまが説かれているにもかかわらず、修行がなんの成果もなく終わる理由がここにあります。 

なぜ、思考を捨てられないのですか?宝物だからです。価値があるからです。「自分そのものだ」と思っているからです。金がなくなっても、家がなくなっても我慢できる場合もありますが、自分の思考、概念、主義、プライド、主観などが揺らいだならば、まったく我慢できないのです。それほどわれわれは、この抽象的なものに価値をおいているのです。 

これらは自分でも自我でもなく、たんなるゴミの山だと思うべきです。「ただの思考ではないか」「ただ自分がそう思っただけではないか」「たんなる好き嫌いではないか」「科学的に合理的に実証されている客観的な事実ではないではないか」と思うべきです。知識、思考などについて、たとえ「わたしと一体だ」と思ってしがみついていたとしても、知識も能力も減っていくのです。思考も主義も、かんたんに変わるのです。 

われわれは気がつかないだけです。「思い出だけは消えない」「それが自分だ」と勘違いしているだけです。これらが、なにか安らぎをつくってくれるわけでもないのです。これらのせいで、われわれは頑固者になって、他から嫌われるのがおちです。思考、主義などが真理を見えないように、こころを厚い膜で覆うのです。無知を強化するのです。正真正銘のゴミなのです。 

宝物だと思っていたものが、実際はゴミです。強引に価値をつけたのですが、実際はなんの価値もないのです。幸福をもたらすと思っていたものが、実際は不幸の、悩みの原因なのです。なにかの理由をつけて主観などを正当化しようとして、それが執着になって、解脱を体験できる仏道実践の邪魔をするのです。 

この事実をそのまま認めたくない気持ちが人間にあるから、お釈迦さまは、さきに述べた言葉を教えられたのです。 

「わたしは知っているから……煩悩をなくしなさいと説くのです」 

「知っている」という簡単な日本語ですが、パーリ語では「jānato(ジャーナトー)passato(パッサトー)」という二つの言葉で表現しているのです。
これは、ふつうの「知っている」ということとは違います。お釈迦さまが超越した智慧で体験したことを意味します。「覚りの智慧にもとづいて語っているのだ」と教えているのです。
「jānato(ジャーナトー) passato(パッサトー)」という表現は、経典では覚りの智慧を表わすためによく使われています。 

さまざまな問題で悩んでいる、苦しんでいるわたしたちにとっては、財産、知識などは宝物です。「そのようなものがあるから楽しく生きているのだ」と実感もしています。なくてはならないものです。
しかし、それらがあっても、こころの安らぎはないのです。次から次へと問題ばかり出てくるのです。 

そのとき、「わたしは正直なところまだ納得はしていないが、財産、名誉などはほんとうにゴミでしょう」と、かりにでも理解していただくために、さきの言葉を教えられたのです。 

中部経典でお釈迦さまが比丘たちに、「このからだはゴミです。ゴミをだれに持っていかれようと焼かれようと、なんの感情も悩みもないように、自分のからだにたいする執着を捨てなさい」と説かれたことがあります。 

ですから、このお釈迦さまの言葉が、実践する方々に少々役立つと思います。この修行中に、いろんな妄想が出たり、いろんなことを考えたり、あるいは、うまく修行ができなかったり、「早く終わらないかなあ」とか思ったり、また、「早く家に帰りたい」とか、「早く仕事に戻りたい」とか、いろんなことを思ったりした瞬間に、冥想がストップするのですね。 

そんなときは、このお釈迦さまの言葉を思い浮かべて、「やっぱりそんなゴミ(妄想)にひっかかっている必要はないんだ」と思ってほしいのです。「お釈迦さまが『それをやめなさい』と言ったのは、お釈迦さまは知っておられたから教えられたのだよ」と。
だから、「そのへんをわたしはまだわかっていないんだけど、お釈迦さまの言葉を信じて、ちょっとがんばってみましょう」ということで、こころを変えたほうがいいのではないかなあと思います。これは、実践を成功させるための大事なコツです。

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この施本のデータ

仏教の「無価値」論
 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2001年5月13日