施本文庫

何が平和を壊すのか?

争いの世界を乗り越えるブッダの智慧 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

3 ブッダの社会人教室

無条件で信頼できる唯一の人

人間どころか、神々を含む全生命のなかで、一人として完全に信頼できる存在はいません。しかし、人間には無条件に信頼できる存在が全くいないのでしょうか? 人格的に完成されて完璧に清らかな心を持ち、全生命を限りなく憐れむ人は誰もいないのでしょうか? 経典の一節を読んでみましょう。

Ekapuggalo, bhikkhave, loke uppajjamāno uppajjati bahujanahitāya bahujanasukhāya lokānukampāya atthāya hitāya sukhāya devamanussānaṃ.
Katamo ekapuggalo?
Tathāgato arahaṃ sammāsambuddho.

Anguttara Nikāya 1-170

比丘たちよ、諸々の生命の幸福のために、安らぎのために、生命を憐れんで、
神々・人類に幸福と安らぎを齎すために、たった一人の人間がこの世に現れる。
その人とは誰か? 
阿羅漢であり正覚者である如来です。

増支部一集一七〇経

お釈迦さまは人類・神々は言うに及ばず、すべての生命のことを心配します。生命を憐れんで幸福になる道を教える人は、たった一人正覚者である如来なのです。正覚者、如来、ブッダとは覚りを開いた聖者のことです。特別に選ばれた人間、絶対的な神の最愛の子、というような者ではありません。心の煩悩を完全に落として覚りを開けば、 誰でも覚者、ブッダと呼ばれます。しかし、史上初めて完全なる覚りを開いたのはお釈迦さまですから、この経典の一節はお釈迦さまに当てはまるのです。

お釈迦さまにしてみれば、別に他人が幸福になっても何の利益もないし、他人が自分を信仰しないからといって何も損はない。見返りを期待する必要もありません。完全なる覚りを開いていたから、なに一つ捉われることがないのです。信仰中心の宗教でよく言われるように、褒め讃えることで喜んで永遠の命を与えたり、無視すると罰を与えて永遠の地獄に落としたりはしない。そんなものは空しい誘惑と脅しです。人格の完成者には、誉められると歓ぶような心の弱みは全くありません。心が欲と怒りで汚れている人の場合は、誉められると楽しくなり、無視されると怒りが湧いてくるのです。

ブッダは世間に対して、何も必要とするものはないのです。完全な幸福に至っているので、見返りは何も要りません。それなのに、私たちにも幸福に至る道を必死で語るのです。実践する人々に、昼も夜もアドバイスをしてあげる。人の理解能力を考察して、理解できるように語る。いかなる質問にも親切に答える。修行している本人よりも、その人の修行が進んでいるか否かを心配します。理解できる人がいれば、どんな遠くでも歩いて会いに行くのです。

では、ブッダは何を見返りにもらうでしょうか。ただ、身体の疲労のみです。ただ疲れるだけなのに、何故そんなにも皆のために幸福に至る道を説き続けたのでしょう。お釈迦さまはただ一人、人間や神々や他の生命のことを本当に憐れんでいる。そして「私を尊敬したいなら、自分の苦しみを無くすために修行に励みなさい」と言われるのです。

仏教徒にとっては、無条件で信頼できる唯一の人物は、正覚者であるブッダです。お釈迦さまが人格完成者のモデルであり、道徳の完成者、智慧の完成者の模範なのです。お釈迦さまとその教えを日々念じて、悪に誘惑されないように、心が清らかになるように、仏教徒は日々、努力をするのです。お釈迦さまは完全なるモデルとして仏教徒の心に常に住み着いています。これはブッダの教えの宗教的な側面になっています。

賢い人は恨みを捨てる

お釈迦さまが説かれたのは非常に深い教えですから、常識だけで完璧に理解するのは無理です。しかし経典というものは、超越した智慧を得た人々のために語られたものではありません。私たちのように、ごく普通の人間が正しく真理を発見できるように、その手助けに語られたものなのです。
経典を翻訳する人々は、一般的な誰にでも分かる言葉を使って日本語に置き換えます。それは読み易く分かり易いと思います。しかし、ただお読みになっただけではブッダが語られた真理を完全に理解できたといえない。真理を完全に理解した人はすべての悩み苦しみから脱出して、完全なる平安を経験しているのです。その境地に至るための第一歩は、経典の内容を理解することです。

常識で理解できる真理とは以下のような教えです。たとえば『Dhammapada法句経』には有名な言葉があります。

Na hi verena verāni, sammantīdha kudācanaṃ;
Averena ca sammanti, esa dhammo sanantano.

Dhammapada 5

恨みは恨みを返すことでは消えません。
恨まないことでのみ消える。これが永遠の真理です。

法句経 五偈

怒った人に怒り返すことでは決して怒りは消えません。怒らないことでその怒りが消える。これが永遠の真理だと、お釈迦さまは判を押すのです。
怒鳴られたら怒鳴り返す、殴られたら殴り返す、怒られたら怒り返す。普通の世界では、このような「目には目を」という生き方を正しいと思っている。そのような生き方をしているからこそ、ブッダが私たちに真理を語っているのです。私たちにはどのように見ても地球が平らに見える。しかし、地球は丸いというのは事実でしょう。客観的に調べてみると「目には目を」の考え方は正しくないと分かるはずです。

試みにお釈迦さまに逆らって、怒った人に怒り返してみてください。その結果として平和、平安が訪れますか? 始めは一人だけが怒っていたのに、今度は二人が怒っている。二人とも怒りで苦しむことになる。怒りを返すとその人の怒りの炎がさらに燃え、相手の怒りもより強く燃え始める。これは一方的に怒りが増える道になります。苦しみが増える道になります。周りの人々も参加して同調するなら、怒りが制御できない規模にまで広がる。「相手が殴ったのだからこちらにも殴る権利がある」という教えは苦しみを無くすための真理ではありません。それで人が不幸になる。ですから怒りを正当化する理屈を聞く必要さえもないのです。

ここまで説明した「真理」は、誰にでも簡単に理解でき納得いくものです。しかし仏教はそれだけでは済む教えでありません。怒りが良くないと分かったからといって、怒らずにいられるはずがない。すぐ怒ってしまう心の弱みは、手付かずのままです。ブッダの真理を理解した人は、もう一歩進んで、心の弱みをなくす技法を実践します。この実践の結果として、最後に怒りが生まれない状態を獲得します。それではじめて、ブッダの教えが真理であったのだと理解できます。

仏教を語ることで有名になったある方が、「釈迦の教えはあまりにも簡単で、大したことは教えてない」と述べるのを聞いたことがあります。この人はお釈迦さまの教えを日本語で読んだだけで、分かっていないかもしれません。すべての生命よりもブッダの智慧が勝れていたからこそ、ブッダは誰にでも分かるよう真理を語ったのです。「ブッダの教えを理解できる」と言うことは、私たちが勝れた知識人だということではなく、ブッダ自身があまりにも勝れた能力を持っていたということの証拠なのです。ブッダの教えを読んで何か理解できたからといって、教えを軽視してはならないと思います。

お釈迦さまは明確に、反論の成り立たない真理を語っています。自分に対して誰かが怒ったら、それに怒り返さないことで怒りは消える。それは自分だけではなく、他人に対しても役に立つ教えです。自分に対して怒った人に、全く怒らずに何もなかったかのように慈しみで行動してください。結果として、相手の怒りもどんどん減るでしょう。怒りが減って、その人も幸福になるでしょう。自分も他人も幸福になる道を、お釈迦さまはひとつひとつ教えているのです。それは常識のレベルでもわかる真理です。

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この施本のデータ

何が平和を壊すのか?
争いの世界を乗り越えるブッダの智慧 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2003年5月