施本文庫

「死」は幸福のキーワード

~「死隨念」のススメ~  

アルボムッレ・スマナサーラ長老

無限の苦しみを作る「希望」 

生きることは、ただでさえ苦しいのです。人間は、その苦しみに一生懸命、付加価値として耐えがたい苦しみを付け加えます。他でもない人間自身が作るのです。なぜだかわかりますか? 「人間は死なない」という、あり得ない希望を抱いているからです。そのあり得ない希望がどこから現れたのかというと、「死にたくない」「死ぬのは怖い」という気持ちからなのです。 

「何でも壊れる」と、本当にわかっているなら、「もう放っておけ」で終わるでしょう? 我々は、川が流れることを「すごく怖い」とは思いませんね。それが自然で、余計なことをしないで放っておけばいいことです。それなのに「では、洪水になったらどうしよう」と、人間は考えるのです。洪水になることも自然です。洪水になったら逃げればいいのです。それを「洪水になることを止めてみよう」と思ってしまうと、たいへん苦しいことになります。 

東京都の「スーパー堤防」も見直されることになりました。いくら東京の街が洪水になっては困るといっても、スーパー堤防が必要なほどの大洪水は100年に1回も起きません。「このままいけば起きるだろう」と妄想して、「これで大丈夫だ」という堤防の構想を作り国のお金を湯水のように使う。大金を投じて完成したのに、大洪水がなかなか起きなかったらどうするのでしょうか? もし、完成後百年、数百年経ったところで大洪水が起きても、そのときはスーパー堤防が脆くなってしまっているでしょう。 

そもそもスーパー堤防による効果はほんのわずか、「ああ、洪水が起きたけど何もなかった」というだけのことです。そのためにどれほど苦労するのでしょう。洪水が起こったときには、どこか高いところに逃げればいい。水がひいたら、また元に戻ればいいのです。 

死を認めて安らぎを得る 

無常に逆らうよりは、無常を観察して、無常を理解したほうがいいのです。そうすれば、心に安らぎが生まれます。親の財産をどう分配するのかという兄弟・親族間のお決まりの争いもなくなります。あるいは、私たちがいつもやっている地球の資源の奪い合い、喧嘩もなくなります。 

最近では、日本の皆さんは、見たこともない尖閣諸島の件で腹を立てているでしょう? もし日本領と認められなかったら「ずいぶん損をした」と憤ることでしょう。でも、尖閣諸島を見たことがありますか? 「お金がかかってもいいから一度、見に行こう」と思っても、一般人は立ち入り禁止です。政治家や海上保安庁の人たちなどしか行けません。 

自分の家にシロアリがいて、「困ったな」と思うのはいいですが、我々は尖閣諸島のように見たこともないものにまで困って、心配したり、腹を立てたりしてしまう。余計な争いごとを作るのです。「死ぬ」ということを考えていないから、そんなはめに陥るのです。 

「死ぬ」ことを考えないと、「死」がもっと怖くなってしまうのです。我々は「死ぬことが怖い」と思います。それは頭が悪いからなのです。「死なない」「死にたくない」と思っているから、死ぬことを考えると怖くなるのです。
ですから、もうそんなバカなことはやめにして、「必ず死ぬのだ」という、当たり前の事実を認めましょう。 

「必ず死ぬのだ」ときちんとわかれば、小さな恐怖は消えてしまいます。そして、宗教はもう商売ができなくなって、倒産してしまいます。人の商売を倒産させるのは悪い考えかもしれません。でも、皆さんが「死ぬ」ということをきちんと理解して、宗教が倒産するならば、決して悪いことではありません。 

たとえば「トヨタ自動車」はアメリカでバッシングを受けましたけど、私はトヨタには倒産してほしくありません。いろいろ世の中に迷惑をかける部分があったとしても、世界的に車を作っていることで、多くの人がトヨタのお世話になっているのです。製品の自動車を通して世話になっているだけでなく、トヨタがあることでたくさんの仕事が生まれて、それで多くの人が家族を養っているのです。トヨタのような利潤を求める企業でも、倒産したら生計が成り立たずに困る人がたくさん出るのです。 

では、宗教はどうでしょう? 宗教というビジネスが倒産したら、どこかで誰かが困るでしょうか。誰かが飛行機に乗れなくなったり、医者が薬をくれなくなったり、レストランのご飯がまずくなったりするでしょうか? 
具体的には何の損もありません。宗教は私たちに、「何だか知らないけれど永遠なものがありますよ」と無智を煽るのです。「死ぬのは恐いでしょう? でも永遠な天国がありますよ」と脅して、我々の恐怖感に思う存分、栄養を与えてくれるのです。考えてみると、人を助けるべきところを、恐怖で盲信させる迷惑な代物です。宗教ならば、倒産してもかまいません。 

宗教は、人に恐怖感を与え続けて、それから「助けてあげますよ」というのです。これは仕事のなくなった建築会社の人が、家々に放火してまわってから、また家づくりを勧めるようなものです。あるいは人を病気にしてから、インチキの治療を施すようなもの。
大きなお世話で、最初から「来ないでください」と言いたい代物なのです。 

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「死」は幸福のキーワード
~「死隨念」のススメ~  
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2010年11月21日