毎月更新される
スマナサーラ長老の法話集
このセクションでは、協会機関紙『パティパダー』に毎号掲載されているスマナサーラ長老の巻頭法話をご紹介しています。
このサイトには本誌より遅れて掲載されますが、『パティパダー』誌上には毎月、時節に沿った書き下ろしの法話が連載されています。最新の法話に触れたい方は、ぜひ入会もご検討ください。
新着の法話
2024年12月8日
322 不放逸
見方を変えてみる
今月の巻頭偈 2. Appamādavaggo 第二章 不放逸 Appamādena maghavā Devānaṃ seṭṭhataṃ gato Appamādaṃ p […]
2024年11月1日
321 仏道は不放逸に極まる
智者は世の流れを渡る
今月の巻頭偈 2. Appamādavaggo 第二章 不放逸 Appamatto pamattesu Suttesu bahujāgaro Abalassaṃva sī […]
2024年10月1日
320 高台に登って観る
智慧とは今・現在に生きることです
今月の巻頭偈 2. Appamādavaggo 第二章 不放逸 Pamādaṃ appamādena, yadā nudati paṇḍito; Paññāpāsādam […]
巻頭法話インデックス
好き」と言っても、意味はいろいろです。「好き」と言うときは、人の気持ちを表しています。 普通、人は誰かを好きになります。また、何か物を好きになります。さらに、他人の思考、 […]
「好き」という人間の感情について、続けて説明したいと思います。 この概念を明確に理解すると、生命のからくりが明らかになるのです。「好き」と言えば、反対に「嫌い」という感情 […]
時代が変わっても場所が変わっても、決して変わらない真理、すべての人種に普遍的に当てはまる真理を、お釈迦さまが二千五百年前に発見されて仏陀となられたのです。 今月は、人類に […]
人の様々な「好き」について語ってきましたが、今月は他人が自分を好きになるということについて、考えてみましょう。他人に好かれることは、決して悪いことではありません。タレント […]
涅槃は仏教が語る最終的な境地です。その境地を目指して仏教徒は修行してきたのです。しかし現代においては、仏教徒が皆その涅槃を目指して励んでいるのかは、疑問です。個人的に聞い […]
人に好かれることは、人間にとってはとても必要なのです。 好かれる人は、楽しく生きていられます。頑固でわがままな人は、「私は人に好かれても、嫌われても一向に気にしない」と豪 […]
今月から、怒りについて考えてみたいと思います。怒りは良くないという話は、嫌になるほど聞いておられると思います。「その話は聞き飽きた」と思われるでしょう。実は、その感想も怒 […]
自動発火する怒りは、人の道徳も幸福も生きる楽しみも、燃やしてしまうのです。怒りの種火が起きたら、急速に怒りの炎が燃え上がるのです。怒りは火に喩えられていますが、この喩えを […]
仏陀の教えは慈しみと智慧という二本の礎の上に築く、解脱(涅槃)という究極の幸福・平安に人を導くものです。この教えはただ解脱を目指すのみで、現代人の生き方には役に立たない、 […]
死後だれが天界に生まれるのでしょうか? ほとんど興味が湧かない質問でしょう。皆死後成仏するでしょうと日本文化では包括的に思われているようです。そうすると、死後のことなんか […]
新年を迎えることになりました。皆様方に三宝のご加護がありますようにと、また真理の力により幸福に満たされますようにと祝福いたします。 人は誰でも「おめでとう」と互いに祝福を […]
釈尊がサーケータ町のアンジャナワナという森に泊まっていたときの話です。 サーケータ町に托鉢に出掛けました。その町に住んでいたバラモンの老人が、家を出ようとしたところで仏陀 […]
注意深く気にするべきものは心です。 といっても皆、苦笑いしてこのアドバイスを無視します。人にとって、肉体だけが何よりも価値のある大事なものです。肉体のためなら、どんな苦労 […]
人間は二種類います。 (1)他人を批判する人 (2)他人を賞賛する人 です。こんなに簡単に二分化できるとは思いませんが、少々考えてみましょう。 (1)他人を批判する人は、 […]
お釈迦さまの出家弟子たちの中に、六人の不良グループがいました。不良といっても、戒律を犯したり、仏陀の教えを認めなかったりしたわけではありません。比丘としての基本的な戒律・ […]
舍衛城に肉屋さんがいました。牛を屠殺して肉を売って生計を立てることは、彼の一生の職業でした。 この人も肉を食べるのが好きで、毎日の食事に肉料理は欠かせませんでした。 ある […]
人間は、面白い性格を持っています。難しいことを喋ると、「難しくて嫌だ。簡潔に言えないのか」と思う。簡潔に言うと、自分の知識能力を軽視されたような気がして嫌になる。言われた […]
舎衛城(Sāvatthī)に住んでいたある人が出家してティッサという名前で呼ばれるようになりました。彼は地方に行って雨安居に入りました。三ヶ月の雨安居の終わりに彼が生地一 […]
こころの汚れ(錆び)について続けて考えてみましょう。「生きている」ということの意味はこころが働いていることです。肉体はただの物体なのです。しかし、この肉体の中で「生きる」 […]
今月も錆の話を続けます。「人生の錆び」は色々あるから覚えておけば役に立つのです。錆びない輝かしい生き方が出来るようになるのです。我々は身体(肉体)のことならよく気になりま […]