わたしたち不満族
満たされないのはなぜ?
アルボムッレ・スマナサーラ長老
第4章 不満を克服する道
ブッダの推薦
これまで見てきたように、生きることは不満ですが、はたして不満を克服する方法はあるのでしょうか。
あります。
仏教では、「不満を消す方法」を教えています。
◇世俗編
日々の生活のなかで悪い行為をやめ、みんなの役に立つ善い行為をおこなうことです。
感情的にならずに理性をはたらかせ、慈しみのこころをもって生活してください。
そうすれば、確実に成功をおさめることができるでしょう。
こころに喜びが生まれてきますし、充実感が得られます。
不平不満も徐々に減ってゆき、期待どおりに生きることができるでしょう。
みんなと仲良く、穏やかに、落ち着いて、平和に生きることができます。
競争で苦しむこともありません。
世俗の方々にたいしては、不満を完全になくすことより、不満にうまく対処する方法を教えているのです。
◇出世間編
では、不満を完全に解消するためにはどうすればよいのでしょうか。
次のことを観察してください。
●すべてのものは無常である。
●瞬間瞬間変化している。
●実体はない。
●幻覚や陽炎に引っかかって苦しんでいる。
●執着したものは得られない。
・「捨てる」ことを習う。
一切のものは瞬間瞬間変化していますから、何を得ても、結局は意味がないのです。
第3章の4「不満を満たせない仕組み」のところでもお話しましたが、田中さんがBという品物を欲しいと思っても、Bを得ることはできません。なぜなら「時間のずれ」があるからです。
「Bを欲しいと思ったとき」と「Bを実際に得たとき」では、田中さんもBも変化しているのです。ですからBを得ても、そのとき田中さんにはBが必要なくなっているのです。
そこで「欲しい」という欲が生まれたとき、「欲しいものは得られない、執着したものは得られない」ということを理解して、こころの執着を捨てることを仏教は勧めています。
絶えず変化しつづけている現象世界のなかで「満足」を探すことは、火の中で氷を探すようなものです。火の中に氷を見つけることはできるでしょうか。
できません。
仏教では「火の中に氷はない」と理解して、ものごとにたいする執着を捨てることを説いているのです。
・最高の安らぎ「涅槃」を経験する
自分の身体も、こころも、外の世界も、すべて無常です。
生きることは不満を満たすことではなく、捨てることです。
捨てて、捨てて、捨てて、先へ進むようにしてください。
すべてを捨てきったところで、究極の安らぎを経験します。
別の言葉でいえば「完全なる無執着」の状態です。
このとき、すべての不満が消滅するのです。
したがって、不満を完全に解消するためには、こころを清らかにし、悟りを開かなければならないのです。
この施本のデータ
- わたしたち不満族
- 満たされないのはなぜ?
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2006年9月23日