わたしたち不満族
満たされないのはなぜ?
アルボムッレ・スマナサーラ長老
第2章 「満足」と「生きる」は敵同士
1 満足するとたいへん!
どんな人でも満足して生きていきたいものです。
でも「満足すること」と「生きること」は敵同士なのです。この両者は天敵で、一緒になることはありません。「満足して生きる」ということは成り立たないのです。
生きていたければ不満でなければなりませんし、生きることをやめたいなら満足するしかないのです。
◇満足した瞬間には喜びがあるが……
「満足した」というその瞬間、喜びがあります。しかし、本当に満足したなら、二度とその行為をやる必要がなくなるのです。機能が停止し、活発性がなくなり、もうやりたくなくなるのです。
みなさんはこのような経験をしたことがないでしょうから、あまりピンとこないかもしれませんが、たとえば子供が部屋でゲームをやっているとしましょう。
外へ出たくないし、電話がかかってきても受話器をとりません。ご飯も食べないし、母親が話しかけても返事をしません。このとき、子供はゲームをすることに熱中し、時間も忘れ、ゲームに満足して、そこでストップしているのです。
このように、面白くて楽しくて夢中になっているときには、そこに釘付けになり、動かなくなるのです。
理解しやすくするために今ゲームの例を挙げましたが、これは本当は満足している状態ではありません。子供はゲームに夢中になり釘付けになっていますが、ゲームに負けたり勝ったりして、こころの中ではかなり葛藤が生じています。
本当に満足したなら、身体もこころもすべての機能が停止するのです。
◇満足は「死」を意味する
「生きることに満足した」なら、生きることができなくなり、生きることが終了します。人生に満足したということは、人生が終わったということです。やることもないし、がんばれなくなります。
これは冗談ではなく、本当に停止するのです。つまり「死」なのです。すべての機能がストップするのです。
これは、肉体が壊れるという意味の「死」ではありません。
普通、わたしたちは満足して死ぬのではなく、「絶対死にたくない。もっと楽しみたい。もっと生きていたい」と思いながら否応なしに死んでゆきます。このとき、途轍もない不満と恐怖、絶望を抱えて死んでゆくのです。
◇明日もがんばって生きる理由
ご飯を食べる、仕事をする、学校に行く、人と喋る、掃除、洗濯、料理、買い物をするなど、わたしたちは日常の生き方に満足していないから、明日もがんばって生きるのです。
何をやっても満足しません。
掃除をしてもすぐに汚れるでしょうし、一回の買い物で一生分の買い物をすることもできません。物は腐ったり壊れたりしますから、明日も買い物に行かなくてはならないのです。
今日ご飯を食べても、明日も食べなくてはなりません。
今日懸命に勉強しても、知識をすべて身につけることはできませんから、明日も勉強しなければならないのです。
ということは「満足していない」ということです。満足していないから「明日もがんばろう」と元気でがんばるのです。
◇努力・競争・苦労のエネルギー
不満があるから、わたしたちは努力したり、競争したり、苦労を厭わず、いろんなことに挑戦しています。
たとえば「お金がない」という不満があると、「よし、儲けよう!」と仕事に精を出すのです。
このように、不満がわたしたちの行動を促しているのです。
◇花が咲くといっせいに枯れる竹
仕事は忙しいし、やりきれないし、子供は言うことを聞かないし、なんとかしたい、安心したい、幸せになりたい、満足したいと、わたしたちは満足することを求めてやみません。
でも、実際に満足すると、想像していることとは全く違うことが起こります。やる気を失い、生きる衝動が消えるのです。
ところで、植物はなんのために成長するかご存知でしょうか。それは花を咲かせるためです。
植物の中でも竹はものすごいスピードでみるみるうちに成長するでしょう。竹も、花を咲かせるために成長するのです。でも花が咲いたらどうなるでしょうか。いっせいに枯れるのです。
満足するということは、この竹と同じようなものです。
わたしたちは「楽しみたい」「満足したい」「幸せになりたい」と希望していますが、実際にその希望が満たされると、完全にストップするのです。
満足した時点で、やる気がなくなり、生きる衝動が消えるのです。
◇不満が生きる衝動――「生きる」という法則
わたしたちは「満足」「幸福」「楽しみ」というニンジンを目の前にぶら下げて、それを目指して生きています。
でも万が一、そのニンジンが口に入りでもしたら、前に進めなくなるのです。満足すると、生きることが停止してしまうのです。
「満足すること」と「生きること」は敵同士です。これが生きる法則なのです。
したがって、元気に明るく生きるためには、不満というエネルギーが必要です。不満があるから、わたしたちは満足を目指してがんばるのです。
「満足」というニンジンを目の前にぶら下げて、いつまでも走り続けること――これが生きるということなのです。
この施本のデータ
- わたしたち不満族
- 満たされないのはなぜ?
- 著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
- 初版発行日:2006年9月23日