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こころのセキュリティ

爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

「慈悲の瞑想」のすばらしい効果

ところで、偈に詠まれているそれぞれの二行目から四行目までは、みな同じことばです。これについても解説しなければいけませんね。

各偈の二行目にあるのは、

Sattā(サッター) sadā(サダー) hontu(ホントゥ) sukhā(スキー) averā(アヴェーラー)

「日夜の指針」三つの偈の、それぞれの冒頭で仏・法・僧に礼拝した人が、それから仏・法・僧の戒めを守ることになります。二行目で慈悲の瞑想をします。「サッター」=衆生が。「サダー」=いつも、つねに。「アヴェーラー」=無瞋、怒りが消え。「スキー」=幸福で。「ホントゥ」=ありますように。

二番目の行で、すべての生命にたいして慈しみを念じるのです。「『すべての生命が幸せでありますように』と祈ったぐらいで幸せになるはずがないではないか」という質問をした人がいます。その人は、「人びとの幸せを希うのであれば、なにか行動を起こすべきではありませんか」と言うのです。
私は、こういう考え方こそ観念的ではないかと思ってしまうのです。ものごとの真実を理解しない人が、どんなにしゃかりきになって行動を起こしても、なにかいい結果を生むとは、少しも思えないのです。すべての行動は、思考があってはじめて起こるのです。その思考自体に少しの汚れでもあれば、いいと思って起こす行動も悪い結果になってしまうのです。はじめに思考ありきで、思考のない行動はありえません。

すべてのこころは、貪瞋痴という感情によって動いているのです。これまでお話ししてきたように、こころが少しでもまちがった状態になると、どんな危険なことが起こるかわからないのです。原子爆弾の例を出しましたが、欲や怒りや無知による一触即発の危険を、こころは秘めているのです。そういう思考状態で、なぜ人類を幸せにする行動を保証することができるのですか? 覚らないかぎり、この危険な状態から抜け出すことはできません。
私たちは、日常生活のなかでなんとか平和で楽しい人間関係を保っていく努力をするべきではないでしょうか。後悔するような生き方だけは、なんとか避ける方法を実践するべきではないでしょうか。罪を犯すような、そんな危険な状態をつくりだすことだけは、くいとめなければなりません。こころという原子爆弾よりも怖い破壊兵器が爆発しないように、みんながそれぞれに努力しなくてはならないのです。

「すべての生命が幸せでありますように」という念で生活する人のこころは、絶対に爆発しません。行為の原因は思考ですから、「すべての生命が幸せでありますように」と念ずる人のこころは、完璧に守られているのです。一人、二人、十人、二十人の念は小さいものかもしれませんが、もしそれが百人、千人、一万人、十万人と広がっていったとしたら……。
人びとの幸せのためになにか計画をして、なにかの行動を起こすことなどより、はるかに確実に生命の幸せは守られますし、危険な行動や大胆な考え方もなくなって、すべての生命が平和で仲良く生きていくことができるのです。

この二行目で唱える慈しみの念は、厳しいこの世の中で自分を守るためにある、この上ないお守りなのです。慈悲の瞑想にあたるこの二行目の偈で、人を簡単に不幸にしてしまう怖い怒りや欲のこころを、一挙に制御するのです。

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こころのセキュリティ
爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月