施本文庫

こころのセキュリティ

爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

爆弾のスイッチを切る唯一の方法

瞑想といってもいろいろな種類がありますが、仏教でいう瞑想法は「自分のこころを客観的に観ること」なのです。自分のこころの動きを観察して、善、不善などのカテゴリーに分けて見るのです。この修行をしつづけていくと、やがてかつて経験もしなかった智慧が現われます。その智慧によって、欲・怒り・無知という三悪は消えていってしまうのです。三悪が消えたこころは、もう絶対に安心です。突如発病するなどという危険も、まったくありません。

こころを観察するといっても、もう少し詳しく言えば、「観察すること自体」を実践すること、それに瞑想と言っているのです。こころを育てるために、これ以上早くできる方法を見つけることは論理的にいっても不可能です。

これをVipassanā(ヴィパッサナー)瞑想法と呼んでいます。この瞑想の実践から私たちは、仏教の教えの基本である「一切のものごとは無常であり、実体のないものだ」という真理を体験できるのです。貪り・怒り・無知――いわゆる貪瞋痴(とんじんち)――があとかたもなく消えていくのです。
このお話のなかで、私はよく具体的にとか客観的になどということばを使っていますが、仏教の真理から見ると、「ものは実際に存在している」ということも、じつは妄想であると言っているのです。

でも、世界中の人間はそんな真理には見向きもせず、相変わらずマンガや小説、SFに描かれる妄想世界を現実の自分の人生と重ね合わせて、こころに危険因子を培養しつづけているのです。

急がなくてはなりません。こころの危険因子は、いつ爆発するかわからないのです。爆発したら自己破壊するか、他人を巻き込んで迷惑をかけるか、世の中を騒がせるような大きな罪を犯してしまうか、人類の生命を脅かすような危険なことをする可能性もあるのです。なんとか Vipassanā 瞑想を実践して、こころを立て直さなくては手遅れになってしまいます。

それでも、Vipassanā瞑想を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだという人に、「ではこちらはどうでしょうか?」と提案したい方法があります。それは、Vipassanā瞑想を実践するうえで準備体操のようなものになり、それ自体も仏教の教えを知るうえで非常に役に立つ方法です。さらに、毎日の生活習慣にすることで、皆さんの考え方・気持ちなどがおのずと安らかな方向へと切り替わっていく、すばらしいお守りなのです。

その方法とは、仏教徒が「日夜の指針」とする三つの詩――仏教ではこれを偈(げ)(gāthā ガーター)と言う――を日々念じることです。経典にはたくさんの詩(偈)がありますが、「日夜の指針」の詩はこころを清らかにし、たとえ瞑想できないときにも、歌っていればそれだけで自分を守ってくれるお守りにもなるのです。次章で詳しく説明いたします。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13

この施本のデータ

こころのセキュリティ
爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月