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こころのセキュリティ

爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

噂、無駄話がつくり出している汚染現象

私たち人間は、いつ、どこでも会話を楽しみます。自宅で、会社で、街の喫茶店で、同僚や友人、家族間で、それぞれいろいろな話題を持ち寄って会話をします。場合によっては、対話ではなく電話でもおしゃべりをして楽しむのです。会話は、さまざまな情報交換や意思の疎通を計れるので、それ自体はとてもいいことだと思います。
しかし、その会話のほとんど多くは、無駄話、噂、取りとめのない雑談の類に陥っているのではないでしょうか。よく、その「無駄話や噂を言いあって憂さを晴らすことがストレスの解消になるのだ」などとうそぶく人もいますが、仏教の真理からいうと、これはとんでもないまちがいであり、自らのこころをどんどん汚していく三悪養成所になってしまうのです。

無駄話というのは、ことばを換えて言えば、言っている本人が無責任でなんの根拠もない、自分たちの感情を刺激するだけのつくり話です。その内容は全部、妄想概念によって構成されています。そしてタチの悪いことに、無駄話をはじめた相手と仲良くするためには、聞いているこちらもその妄想概念の真っ只中につきあうはめになるのです。それで自分のこころのなかに、なんの役にも立たない雑念を育てることになってしまう。そうなると、聞いている人も現実と妄想世界の区別がつかなくなってしまうのです。

また、もっといけないのは噂話です。だいたい噂話というのは、噂にする主人公のいないところでやるから噂話と言うのであって、その内容はぜんぶ悪口、陰口、批判などで、そういう雑言を無責任に言いふらすことです。その人のいいことを言う場合は、本人の前で言うかその人に伝わるように言うはずですから、その人のいないところで言う噂話は悪口に決まっています。当人がその場にいないので、好き勝手におもしろおかしくなんでも話すことができます。聞いている相手が興味をもつように、誇張したり尾鰭をつけたり部分部分を創作することもするでしょう。

噂をまき散らしている本人はもちろんよくありませんが、その話を聞いた相手には、聞いたそのときから、それは噂ではなくニュースになってしまうのです。その噂は、さらに第三者へと伝わります。なんの根拠もない無責任な噂が、この世で事実となって伝わっていく。これが噂の怖い部分であり、いけないところなのです。
噂を最初に言いはじめた人間は、データを取って客観的に事実であることを実証して話すことはしないのです。ですから、あくまでも自分の憶測、保身、わがままなどから、噂という形をとって妄想世界をまき散らしているわけです。そこには、正しい批評精神などはいっさいありません。自分中心にものごとを都合よく理解しているだけです。あるのはただ、欲、怒り、憎しみ、嫉妬などで、それらに支配されて自分の感情を発散しているにすぎません。
それでも、どこかにこういう行為はいけないという自浄作用は残っているようで、その証拠に自分がそういう噂をまき散らしているということが他人に知られたりすると、当人は激怒するでしょう。頭がおかしくなって爆発するのです。

ですから、私たちはどんな場合にも、その場所にいない人のことを話題にするときは、細心の注意を払わなくてはなりません。いちばん近い例としては、自分の夫や妻、兄弟、友人、同僚などで、話をするのはいっこうにかまいませんが、それが噂話にならないように厳格に注意するべきです。それを実行していけば、話す人のこころも成長しますし、そういう人の話すことは聞いていても気持ちがいいのです。また、他人のこころに三悪の芽を蒔くことにもなりません。
そういう訓練をつづけていくと、妄想に支配されているこころから、だんだん事実だけを見ていく能力がついてくるのです。

重ねて言いますが、こころの根底に住みついている欲・怒り・無知という三悪をきれいに取り除かないかぎり、こころはいつも危険な状態にあります。そして、その危険なこころは、いつ、どんなときに悪い人間に変えてしまうかわかりません。瞬時に、悪人に豹変することだって珍しいことではありません。皆さんはご自分の人生で、ご自分の生き方で、確信をもって「大丈夫だ」と言い切る自信がありますか?

「私は、けっして人を騙しません。賄賂なんか、絶対に受け取りません。ケンカはしません。怒りません」と正直に言えますか? この世の中では条件次第で、人を騙すことも出てくるだろうし、賄賂を受け取ることだってあるかもしれない。ケンカするときだってあるでしょう。「でも、私はけっして人を殺したりはしません」と言う場合でも、絶対にそうだとも言えないのです。人生、なにが起こるかわかりません。その人を殺さなければ、自分が死んでしまう場合だって十分ありうるのです。

この、自分の人生で確信をもって、「私は、絶対に悪いことはしません」と言える自信を得る方法があるのです。それが、さきほどもちょっとお話しした瞑想法で、こころを育てる方法もそれ以外にはありません。

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爆発寸前のあなたを幸せに導く「日夜の指針」 
著者:アルボムッレ・スマナサーラ長老
初版発行日:2002年9月